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第3話 Bar マロン

 佐久間に連れて来られたのは、古い雑居ビルの二階にある店。 『Barマロン』と書かれた白い扉は、普通のスナックのような雰囲気で、中の様子は外からは見えない。  しかし、名前がすでに怪しい。  佐久間はなじみ客なのか、ためらいもなくドアを開けて中に入る。  森下も仕方なくついて入る。 「あらーん、いらっしゃーい! 佐久間ちゃん、ご無沙汰やないのぉ」  けばけばしい化粧で、角刈りのママがダミ声をはりあげる。  やっぱり今日は厄日だ……と森下は、頭痛がしてきて、額を押さえた。 「お前……これが罰ゲームか?」 「飯食わせてやるって言っただろう。ここのママが作るそば飯が絶品だから」 「いやーん、覚えててくれたん? じゃあ、テンコもりもりでサービスしちゃうん!」  十席ほどしかないカウンターの真ん中に二人は座る。  どうやら今日最初の客のようだ。  角刈りママは、佐久間の札のかかったボトルを棚の上段からさっと探し出して置いた。  マッカランの12年か。  俺なんかより給料いい会社勤めてんだろうなあ、と森下は卑屈な気分になる。  佐久間……慎って名前なのか。  名前も俺より男らしいんだな…… 「店、ヒマなのか?」 「んーぼちぼちやわ。あ、あとで佐野ちゃん来るんやて」 「佐野? あいつ、今日早退したぞ」 「乳首ピアスあけたから、見せてくれるんやて。可愛いやろなあ、佐野ちゃんの乳首!」 「あいつ、真性のドMだな」 「見たかったわあ。ピアスあける時の、佐野ちゃんの泣き顔。課長さんが無理矢理押さえつけてやったらしいんよ。ああ~うらやましいわぁ」  どうやら佐久間の会社の人間の出入りしてる店らしいが、どんな会社なんだ、と森下は呆れながら二人の話を聞いている。  課長が部下に無理矢理乳首ピアスって。 「で、佐久間ちゃん久しぶりに来てくれたんは、やっと彼女できたん? 可愛いやないの~なんていう名前?」 「……森下です。彼女じゃないんですけど」  森下は気分がさらに低空飛行になりながら、ぼそっと答える。 「森下、なんていうの?」 「青葉……です」 「まああ! 名前までプリティー!! 佐久間ちゃん、どこでゲットしたのよぉ。こんな可愛いネコちゃん」  だから俺は、タチだっつーの!  森下は、今日何度繰り返したかわからないセリフを心の中で叫ぶ。 「ディープブルーの常連」 「ああ、あの無愛想なマスター、元気なん?」  角刈りママは、二人に水割りを作って出すと、手慣れた様子でトントンと料理を始める。 「とりあえず、乾杯」 「何にだよ」 「俺たちの出会いに」 「ばっかじゃねえの。俺をお持ち帰りして、どうすんだよ」  森下はしぶしぶ乾杯をすると、一気にグラスを半分ぐらいあけた。  こうなったら、高い酒飲んでやる。 「青葉っていうのか」 「そうだよ。呼ぶなよ、その名前」 「なんでだ。可愛いじゃないか」 「誕生日が子どもの日なんだよ。おやじがつけたんだけど、おふくろが止めなかったら早月か若葉にされるところだった」 「どこが気にいらないんだ。いい名前だと思うぞ」 「生まれるまで、女の名前しか考えてなかったらしい。で、生まれたら俺だった、ってわけ」  両親が女の子を欲しがっていて、女の子みたいな服を着せられていたのは、森下の子ども時代の苦い思い出だ。  そして、可愛い可愛いと言われて育ったので、俺って可愛い、と本気で思っていたのも、さらに苦い思い出だ。  おかげでゲイになってしまった。  馬鹿両親。  なんでこんな話してるんだろ、俺。 「しかしお前、見た目と中身、全然違うんだな」  佐久間は森下の話を聞きながら苦笑している。 「どう違うんだよ」 「その……黙ってたら、お前キレイな顔してるだろ」 「ホメてもヤらせねぇぞ」 「正直、タチには見えなかった」 「タチだっつーの……」  本日何度も叫び続けたセリフが、若干弱い声になる。  実のところ、森下のゲイ・デビューは、ネコだった。  それが人生たった一度の、封印したいほど嫌な思い出だ。 「初めてディープブルーに行った時から、お前の顔は目についてたな」  俺もだよ、と森下は心の中で舌打ちする。  嫌みなほど、男前。  俺のプライドをことごとく打ち砕いてくれた男。  忘れるもんか。  俺の金曜パラダイスを返せ! 「酔っぱらってんのか? ほら、ソバ飯食え。うまいぞ」 「これが酔わずにいられるかっての。お前のおかげで俺が何年セックレスかわかってんの?」 「二年だろ」 「そう。二年。二年前までは、あの店は俺の癒しのパラダイスだったのに……あ、これうまいな」 「腹減ってんだろ。しっかり食え。そんな細い腰してるから、ネコと間違われるんだ」 「うるさいっ。今日のあいつだって、タチだったじゃねえか。俺よりちっさいのに」 「あいつは気性がタチだ。それもドSだぞ。獰猛な目をぎらぎらさせてやがった。あんなやつについていってみろ。お前、縛られて突っ込まれて今ごろボロボロにされてるぞ」 「え? マジ?」  森下はスプーンをくわえたまま、目を見開く。  ひょっとして……助けてくれた? 「ヤられたやつから、悪評聞いてたからな。お前、気をつけろよ。ねらわれやすいんだから」 「俺がいつねらわれたんだよ」 「お前なあ。相手を見る目がないんだよ。お前が声かけるやつ、危ないやつばっかだぞ」 「見る……目?」 「先週声かけてたやつ。よその店で出禁になってたやつだぞ。ゲイビの裏やってるやつで」  森下は思わず、そば飯をノドにつまらせて、うっとうなった。 「ディープブルーって、そんなやつ来てんの?」 「最近な。モデルっぽい顔してるやつは、釣りだから気をつけろ。でないとお前がガン掘りされてる動画が有料ゲイサイトのトップを飾るぞ」 「俺、店変えようかな……」 「それ、マスターに言うてあげたほうがええんちゃうのん?」  角刈りママ、会話に参加。 「まあ、マスターもいろいろ大変なんだろ。もうああいう店仕切るの、無理なんじゃねえか」 「昔は安全な店やったんやけどねえ。そやけど、佐久間ちゃん、なんでそんな店行ってんのよ。出会い系、嫌いなんやなかったん?」 「まあな。たまたま連れられて行ってさ」 「気に入ったん?」 「たまにいるんだよ。業界ずれしてない可愛いやつも」  佐久間が、グラスを傾けながらちら、と森下を見る。 「でも、もうええやない。青葉ちゃんみたいな、可愛いネコちゃんつかまえたんやから」  森下は、再びソバ飯をノドにつまらせて、げほげほ、とむせた。 「つかまってないですけど」 「え? まだなん? ほんなら佐久間ちゃんはおすすめよ~! まじめやし男前やし、優しいし、今時こんなゲイ、なかなかおらんわよ~」 「まあね。俺がタチじゃなかったら、よかったんですけど」 「そんなん、今から開発したらええやないの。佐久間ちゃん、優しくしてくれるわよ」 「遠慮しときます」  ママと森下の会話を聞きながら、佐久間は笑いを噛み殺している。 「お前、金曜日以外に飲む時は、ここの店に来たらいいぞ。ここは安心だから」 「そうですね」  相槌をうちながら、森下は、やっぱり佐久間は俺が金曜日しかあの店に行かないことを知っていたのか、と思う。  なんとなく、そんな気がしていたんだけど。  他の客が団体で入ってきたのをきっかけに、森下と佐久間は店を出た。  金曜の夜なのにな、と森下はため息をつく。  いつもなら、終電までディープブルーで飲んでいるのだが、今日は戻る気にもなれない。  結構な量を飲んでいるのだが、森下は酒は割と強いほうだ。  まだまだほろ酔いというところか。 「もう一軒行くか?」  まるで会社の同僚とでも飲んでいるような口調で、佐久間が誘う。 「どっちでも」 「そうか……忘れてたな」  佐久間が思い出したように、何か思案している。 「なんか忘れもんか?」  佐久間はニヤっと笑みを浮かべ、森下の耳元に口を寄せた。 「罰ゲームがまだだった」 「覚えてたのかよ」 「望み、叶えてくれるんだろう?」 「できることなら……なんなりと」    森下は、ため息をついてうなだれた。  

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