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第二話 宿屋

 馬車が揺れるたび、サラマンダーは顔をしかめる。近くの街まではそう遠くはないはずだが、いかんせん道が悪い。積み荷に寄りかかり、苛立ち紛れにため息をついた。  道を通りすがった行商人を呼び止め、ビール代ぐらいにはなる青銅貨を払って目的地まで乗せてもらう。人通りの多い道ならなるべくそうしていた。行商人は快く了承してくれたが、今回はわけあって金を上乗せで払っていた。  小石を踏んだ車輪が跳ね上がるたび、腰の痛みにうめく。揺れが直接響いて座っていられない。よろよろと立ち上がったサラマンダーは荷台を出た。腰のこともそうだが、サラマンダーの機嫌が悪い原因は他にもあった。馬車の後方へ移り、悠然と本を読む男を睨みつける。 「ついてくる気なのか?」 「無論そうだ」  人型をとったパルケラィアが紙面から顔を上げる。行商人に「連れかい?」と尋ねられるまで、後ろに立っていることに気付かなかった。  結局あのあと気絶するまでして、目が覚めたときには朝だった。周りに誰もおらず、昨晩のは夢だったのかとも疑ったが、くしゃくしゃに放られた服や錬金術に関するメモ、そしてなにより体中の痛みで現実に引き戻される。留まっていても埒が明かないので、身支度を整えて森を出、馬車を捕まえたところでこれだ。 「正直言って、やりすぎた。お前の怒りはもっともだ。だが、」  弁明というにはあまりにも淡々と答えるパルケラィアは、複雑な顔になるサラマンダーの首元につけた内出血痕を確かめ、ふっと口元を緩める。 「お前に興味がある。それに、お前も今さら一人で満足はできまい?」  整った顔立ちで微笑むパルケラィア。昨夜の情事を想起させる熱を持った視線に、射抜かれたサラマンダーはぞくっと身体を震わせた。 「ッ……勝手にしろ」  思い出したくもない、とばかりに首を振り、踵を返すサラマンダー。身体を引きずるように荷台に戻っていく彼を見送りつつ、パルケラィアは風にそよぐ緋色の髪に目を奪われていた。 「人の世はずいぶんと様変わりしたな」  入国して早々、パルケラィアは空を仰ぐ。人の街については旅人から話を聞くのみで、実際に見るのは初めてだ。到着した街は高度に発展しており、様々な国籍の人間が広い石畳を、肩と肩を擦り合うようにして行き交う。教会やギルドの建物には、魔導装置と思われるものが重厚感のある音を立てて駆動している。サラマンダーが魔導の台頭する時代、と発言したのはあながち嘘ではないようだった。 「おい、置いてくぞ」  呼びかけるサラマンダーは遠目でも目立つためか、長い布をかぶって髪を隠している。物珍しさに立ち止まりたい気持ちはあるが、なるべく我慢してついていこうと、するすると人混みをかき分けた。  サラマンダーは足早に歩を進めつつ、油断なく周囲を見回す。見た限り治安も悪くなさそうだが、日が高いうちに宿を確保したい。それに探し物もある。サラマンダーとしては先を急ぎたいのだが、森を出たことがないパルケラィアは、栄えた街の何もかもに興味を惹かれるようだ。市場の中を突っ切る決断をしたのがまずかった。好奇心旺盛なスライムと何度も人混みではぐれかける。パルケラィアが勝手についてきただけなのだから、見捨てて撒いてしまえばいい話だ。だが、森の賢者と称されるほどの膨大な知識をみすみす逃すのも惜しく、仕方なく先を促す。 「おい、パルケラ……パル! さっさと行くぞ」  さすがに長ったらしい名前を人の多い通りで呼ぶのは憚られた。が、パルケラィアはというと、露店の前から動かなくなっているようだった。舌打ちをして人の波に突っ込み、やっとこさ抜けると、屈んで商品を物色しているパルケラィアを見下ろす。 「何を見てるんだ」 「見事な品だろう」  パルケラィアは悪びれる様子もなく、郷土品らしき物品を掲げて見せた。ただの羽飾りなのに、パルケラィアが持つだけでぞわぞわと落ち着かない心地になる。スライムも邪な気持ちで手に取ったらしく、繊細な羽毛を舐めるように眺める。 「私はスライムだからな、こういった質感を自前で出すのはかなり魔力を消費するんだ。実物が手元にあった方が楽だな」 「買わんぞ」 「愉しみたくはないのか。気づいていないかもしれないが、お前は擽感には弱」 「買わん!」  吐き棄てて、振り返らずに歩き出す。念のため店主とパルケラィアのやりとりに耳をすませたが、「お兄さん、これだいぶ古いお金だねぇ……」という呆れ声が聞こえてきたので、無視してさっさと先を急ぐことにした。

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