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第16話 ラーグ
結論から言えば祭りの日に弟を見たというのは気のせいじゃありませんでした。
翌朝庭で洗濯してた僕の目の前に急に影がさしたと思ったら弟が立ってたんだよ。
ハガルは母親譲りの薄ピンクの髪だけど、ラーグは父親譲りの紺色の髪と青い瞳、α×Domに相応しく16にして既に体は結構出来上がってる。
まぁオーナーの筋肉に比べたらまだまだだけどね!
背は高いし、顔つきも父親に似てきたんじゃないだろうか。切れ長の目と通った鼻筋、笑うことの少ない薄い唇が冷たい印象を与える所もそっくり。
だから正直父親に似てきたその顔をずっと見ておくのはメンタルによろしくない。相手がラーグだってわかってるのにさっきから心臓がバクバク嫌な音を立ててるんだ。
でも無言でいるわけにもいかないし、とりあえず口を開いた。
「久しぶり。どうしてここにいるの?」
「……殿下の他国交流の付き添いとして」
え、殿下まだいたの?とっくに帰った若しくは不興をかって帰らされてるかと思ってたわ。
「ん?でも殿下の付き添いって……ラーグまだ学生でしょ?」
殿下はもう卒業して公務一本になってるけど、ラーグは学生の身なのに付き添いってどういう事?
「公爵代理として付き添いです」
「……公爵代理?」
えぇ……?あのクソ親父は何してるの?ここにいたのがあの人だったら僕の心臓びっくりしすぎて止まってたかも知れないけど。
ラーグはしばらく黙って僕の手から滴る泡とタライの中の洗濯物を見つめてからおもむろに僕の肘を掴んだ。
「帰りましょう」
「え、帰るってどこに」
僕の家ここなんだけど。
「公爵家にです。邪魔な人達は皆排除しましたから」
「邪魔な人……?排除って……、ラーグ?」
何を言ってるんだろう?
握られた腕を軽く引かれたけど、僕は慌てて足を踏ん張って首を横に振った。
「待って、ラーグ。公爵家に帰るつもりなんてないよ。確かに追い出された形だけど、僕はここで楽しく暮らしてるから」
もしかして僕がここで洗濯なんてしてたから虐げられてると思ったんだろうか。
これは僕が好きでやってるんだよ、って言っても信じない顔してるしラーグは僕が夜中こっそり井戸で洗濯してたのも知ってたからなぁ。ここでも同じ事してると思ってるのかも知れない。
でも違うんだ!これはオーナーの防御力抜群な黒おパンツなんだ!これを洗うのは僕の使命なんだから邪魔しないで!って言ったら頭のネジが飛んだとか思われそうだし……。
いや、そもそもどうしてこの場所をラーグが知ってるの?
「それよりラーグ、どうしてここがわかったの?」
「殿下が兄さんを見た、と」
……あのバカ殿下……本物のバカだったか……。バカ正直に娼館に行ったって報告したんだね。さぞやパルヴァンの王族は呆れ果てたでしょうね……。
ちょっと遠い目になってしまったけど、目の前のラーグはまだ僕の腕を離してくれない。
というかラーグと僕にはそんなに接点もなかったと思うんだけど、どうして僕を連れて帰ろうとするんだろう?
「僕は本当に好きでここにいるから帰らないよ。それに僕は父様――アルタメニア公爵からも勘当されてるし、殿下からも国外追放されてるんだよ?」
まあその殿下にここで出会っちゃいましたけどね。
でも別に殿下は僕の国外追放取り消しはしてないし、取り消されたところで帰るつもりなんて毛頭ない。公爵家なんて未練の欠片もないもの。
「……父上はもう隠居されました。まだ学生なので公には代理という立場にはなっていますが今の公爵は私です。兄さんの国外追放も取り消すよう王家には嘆願を申し立てていますから近々受理されるでしょう」
「……何で?」
え?何で?
いや、本当に何で??それしか言葉が出てこないんだけど。
だって別に帰りたいとか言った覚えもなければラーグとそんなに仲良くしてた記憶もない。たまに出会うくらいだったのに、どうしてそこまで?
「……兄さんと話そうとすると父上が兄さんを酷く殴るからずっと近寄れませんでした」
ああ……そういえば毎回だったわけじゃないけど僕は別に何もしてない気がするのに急に来て殴られた事があったな。確かにそういう時って直前にラーグがお菓子を持って来てたかも。
もしかして小説のハガルがウルに近付かなかったのも同じ理由かな?って言っても現実のハガルは嬉々として僕の事苛めてきたけどさ。ハガルとラーグの役割が入れ替わってる感じ?
もっともハガルもラーグも小説では公爵代理になんてならなかったし、その公爵は確か魔王の最初の犠牲者だったけど。暴走した時に巻き込んだんだよね、確か。そう考えるとあのクソ親父も僕のおかげで命拾いしたんじゃないの?感謝して欲しいくらいだわ。
「兄さん?」
ハッ!?自分の世界に入ってた!
えっと?つまり……。
「公爵家にはもう父様達はいない……?」
だから田舎に行ったって事?変な時期に王都邸離れたな、って思ってたんだけどラーグが追い出した……って事だよね?
「もう兄さんを虐げる人はいませんから。私と一緒に帰りましょう」
使用人も一新して、ハガルや継母と一緒になって僕を虐げた人達はみんないなくなってるんだって。小説で最後の一押しをしたあの従者の青年は元から側に置かなかったけどやっぱりあいつも一緒になってイビってきたからいなくなったのは正直清々する。
でも傷ついて苦しんで魔王になってしまうウルはもうどこにもいない。だってここにいるのは僕だから。
だから僕は別にあの家にも家族にも何の思い入れもないし戻る気もない。せっかく頑張ってくれたラーグには悪いけど、推しの側から離れるなんて絶対ごめんだよ。
「ごめんね、ラーグ。僕はここの生活が好きなんだ。この洗濯だって僕がやりたくてやってるの。やらされてるわけじゃないんだよ」
なんせオーナーのおパンツですからね!そりゃあ気合い入れて洗うよ!
「ね、せっかく来たんだから僕の手料理食べて帰る?殿下の付き添いだったらあんまり時間ないかな?」
あれ?そういえば公爵代理だったら護衛の人とかいるんじゃないのかな?
ひょい、と大きな体の向こうを覗いてみても誰も見えない。もしかしてラーグもお忍びで来たんだろうか?もしそうなら殿下に続き付き添いの公爵代理まで勝手な行動をした、ってすごい反感買いそうだけど大丈夫なの?
「……あの、ラーグ?手……」
そろそろ腕が痛くなってきたから離してくれるとありがたいんだけど。
話してる間にすっかり泡が乾いてしまった手がカピカピしてるし、洗濯も途中だし。
あんまり思いっきり振り払ったら可哀想かな、って思って控え目に腕を引いてみるんだけどびくともしない。
ええ~、力強すぎない?そんなに掴まれたら痣になっちゃうよ。
「帰るって言うまで離しません」
なんて強情!
「帰らないってば。どうしてそんなに僕を連れて帰りたいの?王太子妃になるけど、ハガルがいるでしょ?」
僕とは半分しか血が繋がってないけど、ハガルとはちゃんと血が繋がってるんだから兄弟仲良くしなよ。
それに一応あんなのでも王太子妃になる予定なんだしさ。公爵家としては政治的地位が上がってありがたいんじゃないの?
その辺興味ないから知らないけど。
なんてったって僕の頭には今推しのおパンツを早く洗って干さないとヨレヨレになっちゃう!って思いしかないからね!
「あの人は――王太子妃にはなれませんよ」
「え?何で?」
あんなに堂々と皆の前で宣言したじゃん。今更覆せないでしょ。
……ハガルがダメ過ぎて無理、ってなってるのかも知れないけどそれなら別に後宮にでも入れとけば良いんじゃないの?
未来の王妃とかには向かないだろうけど夜のお相手は喜んでしてくれると思うけどな~。
「……わかりました。今は時期尚早だったかも知れません」
「どの時期に来ても帰らないよ?」
何なの?その意地でも連れて帰ります、みたいな顔は。
わけがわからなくて見上げたら思いの外近い場所にラーグの顔があって――
「……んん!?」
唇に当たる柔らかな感触は何なんだ。
どうして視界一杯にラーグの顔があるんだ。
わけがわからなくて固まった僕とラーグの唇の間で、ちゅ、なんて可愛らしい音が立ったのは一体どういう事なんだ。
驚きすぎてそのまま上目で見上げたら、目元を赤くしたラーグの顔がまた近寄ってきて……。
思わずその胸を思いっきり押して距離を取る。
え?今キスされたよね?気のせいじゃなかったよね?
まだ唇に感触が残ってるんだけど!
「今のは何?」
「……また来ます」
くる、っと背を向けるラーグにもう1回説明は!って叫んだけどそのまま行ってしまった。
追いかける事も出来たけどそんな気にならなくて、とりあえず感触の残る唇をゴシゴシと袖で拭く。
(何だったんだ今の!)
大体こんな展開小説にはなかった。
いやウル が魔王になってない時点で小説とは全然違うけど。
でもラーグが公爵代理になった?
ハガルが王太子妃になれないってどういう事?
一応公爵家の長男っていう立場ではあったけど除籍された僕の存在がラーグの邪魔になるって事はない筈だ。
ラーグは一体何を考えてるんだろう?全くわからない。一番わからないのは今のキスだけど。
驚きが過ぎたら今度は気持ちが悪くなってきた。
何だか覚えがある気持ち悪さだ。何だっけ、これ。
(ああ、そうだ……)
Subドロップする時の気持ち悪さだ。
グラグラする視界の中、何とかみんなの洗濯物から離れて庭の隅まで歩く。
だってオーナーのおパンツに吐き散らかすわけにいかないからね!!いや、お姉さん達のほぼ紐な下着達もだけど!
そんな事考えながら無意識にゴシゴシと唇を擦って、庭の隅に行って。何とか耐えてた吐き気がそこでピークに達したからゲロっと吐いてしまった。
一度出しても止まらない。元々そんなに物が入らない胃の中身が全部出て胃液ばっかりになっても止まらなくて息が苦しい。
どうしよう、気持ち悪い。
頭痛い。
吐き過ぎて息出来ない。
支えにしてた木に爪を立てた所為で血が出てるのがぼやけた視界に映ったのを最後に意識が遠退いていく。
誰かが僕の名前を呼んだ気がしたけどぶつりと強制的にテレビを切られたみたいな感じで僕の意識はなくなった。
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