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第43話 ウルティスレット

 ふわふわと真っ白な空間を漂ってた僕の手を誰かが掴んだ。  まだ小さな頼りない手。誰だろう、って思って小さな手を握り返しながら目を開ける。  金髪というには白が強い白金の髪。白磁の肌に深い青の瞳。まろい頬にうっすら赤みがさして桃色の唇がにこりと笑う。  ビスクドールみたいな可愛い顔は“僕”の顔だった。ただ8歳くらいの頃の、きっと栄養状態も生活環境も良かったらこうだったんだろうな、って感じの僕だけど。 「ウル……?」 「うん」  にこ、って笑うと我ながら本当に可愛い。天使だ。こんな天使を虐げられる奴らはみんな悪魔に違いない。 「僕死んだの?」 「ううん」  ウルに手を引かれるまま歩きながら訊くけど、どうやら僕は死んでないらしい。  あれ、でもあの体は元々のじゃなくてウルの物だ。ウルと僕が同時にここにいるって事はもしかしてあの体をウルに返す時が来たのかな? 「体、返してもらいにきた?」 「ううん」  また笑顔で首を振る。  周りを見渡せば真っ白な空間だと思ってたそこは綺麗な花が沢山咲いてる丘みたいなところで、地平線の向こうまで花で埋め尽くされた本当に綺麗な場所だった。  ……天国か……?大丈夫か?僕やっぱり死んでない?  不安になって眉を寄せたら、ウルがクスクスと楽しそうに笑う。になる前のウルが他の人に見せた事がないだろう楽しそうな笑顔に僕もつられて笑ってしまう。 「あのね」  鈴を転がすような、なんて男の子に使う表現じゃないかも知れないけど、そんな感じの涼やかで少し高い声。声変わり前の僕の声だけど、僕と違う甘やかな声だ。 「ぼく、痛いのいやだったの」 「うん」 「とうさまが怒るのもこわくて」 「うん」 「どうしてハガルみたいにしてくれないんだろう、って悲しかったの」 「うん」  ひらひらと虹色の不思議な蝶が舞うのを眺めながら歌うみたいにウルが言う。 「こわくて、痛くて、悲しいから……いなくなっちゃえ、って。ぼくなんて消えちゃえって、思ったの」  泣けないウルが笑って僕を見上げる。  そうだよね。泣くと父様が怒るから笑うしかなかったよね。笑っても怒るけど、泣くよりまだ殴られる回数が少なかったから、泣けなかったよね。 「そしたら君が来てくれて、ぼくの痛いもこわいもぜんぶかわってくれたんだよ」 「今はもうウルを苛める人は誰もいないよ。だからもう戻っておいで」  すべすべの柔らかな頬っぺたを両手で挟む。  ウルがもらう筈だった愛情は全部オーナーがくれるし、ハガルやラーグともきっと仲良くやっていけると思う。  ウルの周りにいた悪意はもうないから。  僕の役目が悪意からウルを守る為だったのなら、もうその役目は終わりだ。  でもウルは首を横に振った。 「あの体はもう君のだから」 「違うよ。あれはウルの体だよ!」 「ううん。痛いのもこわいのもずっとがまんしてがんばってくれた、君のだよ。ぼくずっと見てたんだ。ぼくだったらできなかった事、たくさんやってくれたでしょ」  君がぼくになってくれてから楽しかった、って。 「――ウル」  体が透けてる。  ダメだよ、まだ消えたら。 「待ってよ……だって、ウルはまだ幸せになってないよ!」 「ううん。君と一緒にいるの、楽しかったからじゅうぶんだよ。だからね、次に生まれる時は君のところがいいなって、今かみさまにおねがいしてるの」  一緒にいたずらして、一緒に沢山笑って、一緒に色んな所に出掛けて。  あんな薄暗い地下室じゃなくて、明るい陽の当たる場所で。 「だからね、先にみんなの所に帰ってあげて。みんなが呼んでるのはぼくじゃない“ウル”だから」  うっすらしてる体に必死でしがみつく。もうほとんど空気を抱いてるみたいな感触しかないけど、それでもそこにウルがいる。  幸せになれなかった子。もう1人の僕。 「絶対、絶対ウルを僕の所に呼んで!神様!!絶対だよ!!!!」  今度こそ全身全霊かけて幸せにするから。  泣いてもいいよ。怒ってもいいよ。ずっと出来なかった顔して。でも本物の笑顔でいてくれたらもっと嬉しい。  だから絶対。神様お願い。ウルを幸せにして。幸せにさせて。僕がオーナーに幸せをもらったように、ウルにも。  にっこり笑ったウルが空気みたいにす、っと溶けて消えていくのと同時に僕の体もぎゅん、って何かにひっぱられるみたいに落ちていった。  ◇ 「う……」  ウル!って叫ぼうとして、それは自分の名前だって考えて、どうしてその名前を叫ぼうとしたのかを考えた。  でもわかんなかった。  何か大切な物を失ってぽっかり穴があいたみたいな、そんな感覚がしてポロポロと涙が溢れる。  どうして自分が泣いてるのかわかんなくて、この喪失感の意味もわかんなくて泣いてた僕の近くでごとり、と何かが落ちる音がして思わずビクっとしてしまった。 「ウル……?」    ああ……床がコーヒーまみれ……、掃除しなきゃ、って思って体を起こそうとするけどなんだかギシギシバキバキいう。  何これめっちゃ痛いんだけど。  混乱してる間にサッとやって来たオーナーに背中を支えられてついでに抱き締められて、背骨がばきばき音をたてる。  ええええ……これ大丈夫な音?痛いわけじゃないから整体する時に鳴るあれか? 「オーナー……?」  カッスカスに掠れた声に僕の方が驚いてるうちにオーナーが光の早さではちみつ入りのミントティーを持ってきてくれた。  程よい温度が喉に気持ちいい。  それからじわじわと記憶が甦ってくる。    あれ。そういや僕触手に貫かれなかったっけ……?  そう、本来ならオーナーの命を奪う筈だった魔物からの最期の一撃をこの身で受け止めた筈。  ガン見してくるオーナーが怖いんだけど、恐る恐る一撃を食らった心臓あたりに手を這わせてみるけどもちろん痛みなんて欠片もない。手当てをされてる感触もない。  ってことは傷はない……?  僕がカップの中身を飲み干して、オーナーがそれを流しに持っていって。  それから僕の表情と仕草で僕がやらかした事を思い出したって気付いたんだろうオーナーの顔が般若になった。ついでに 「この!大馬鹿野郎!!!!!」  超特大の雷が落ちた。鼓膜破れるかと思った……! 「ご、ごめんなさい……」 「ごめんで済むと思ってんのか!!!」 「あの、でもオーナーが死んじゃうって思って体が勝手に動いてですね……」    「お前より丈夫だからそう簡単に死ぬか!」    そう思うでしょ?でも小説では死んでたんだもん。  なんて言おうものならさらなる雷が落ちそうだから黙っておく。 「はい、すいませんでした」  そこからめちゃくちゃ説教されて、長い、オーナーの説教長いよ……って思ってるのがバレたらまた特大雷が落ちてくるから精一杯しおらしくしてたら。 「本当に……!この馬鹿野郎……!!」  オーナーの顔が乗ってる肩が生暖かくなる。  泣いてる推しの顔が見たい!!って思ったけど、泣かせてしまったのは僕だ。本当に申し訳ない。もう二度としません。 「ごめんなさい」 「お前は……!2週間も眠り続けて!シーラももしかしたらもうダメかも、なんて言いやがるし!ふざけるなこの馬鹿!」 「え、僕そんなに寝てた……?」    体感では一瞬だったんだけど。 「魂だけどっかに飛んじまったっぽい、って治癒師も言いやがって!俺がどれだけ……!」    いや、本当に申し訳ない。すいません。謝ります。だからオーナー、泣かないで~!!  そこからさらに説教が続いて僕はひたすら平謝りして、ようやくオーナーが落ち着いてくれたのはかなり経ってからだった。    落ち着いてから、あの日あった事を聞く。  だって小説ではオーナーはあれで死んだんだもん。どうして僕は助かったんだろう。     

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