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第1話 大阪から来た男
「本日付けで関西支社の柳くんが、ウチの営業部に転任となった。席は雪本くんの隣が空いているだろう。皆、よろしく頼む」
課長から朝礼で発表があったのは四月の初めのことである。
移動のシーズンなので、空いているポジションに誰かが来るのではないかということはすでに話題に上っていた。
「柳真一郎です。まだ東京に出てきたばかりで右も左もわからない状態ですが、どうぞよろしくご指導下さい」
おしゃべりな男だったら嫌だなあ、と雪本は内心思っていた。
関西人はどうもしゃべり過ぎるイメージがある。隣で騒がしくされるのは苦手だ。
「ああ、雪ちゃん、ちょっと」
朝礼が終わると、課長が雪本を呼んだ。
「柳くん、彼が雪本くんだ。役職は主任だが、キミよりは少し年下だ。わからないことがあれば、なんでも彼に聞くといい」
「わかりました、しばらく迷惑かけるかもしれませんが、よろしく」
「こちらこそ。雪本航太と言います。柳さんよりは二年後輩なんで、なんでも遠慮なく言いつけて下さい」
柳も関西支社では主任だったと聞いている。年齢も上なのだし、と雪本は取り敢えず柳を先輩扱いすることにした。
関西支社から本社営業部に転勤してくるということは、おそらくこのあと出世するという可能性が高い。
雪本の主任などという役職はすぐに飛び越えていくのだろう。
雪本は去年やっと主任という肩書きになったのだが、営業部の中では一番年下で平社員のようなものなのだ。
雪本は柳を自分の隣のデスクに案内すると、必要な文房具などを揃えてやり、ロッカールームへと案内する。
総務からは前もって鍵を預かっていた。
「みんなから雪ちゃん、と呼ばれてるみたいだけど、俺もそう呼んでいいのかな」
「いいですよ。柳さんの好きなように呼んで頂ければ」
「俺のことも呼び捨てでも構わないんだぜ。そんな敬語でしゃべらなくても、俺はヒラなんだし」
「それは無理です。柳さんは先輩なんですから」
「まあ、慣れたら敬語はやめてくれるかな。俺まで緊張するし」
「そうですか……ではなるべく」
柳は案外ざっくばらんな男のようだ。
それにしても、今のところ大阪弁は出てこない。ひょっとして関西支社から転勤してきたというだけで、出身は関西ではないのだろうか、と雪本は疑問に思う。
「柳さんは、関西の出身ではないのですか?」
「いや、バリバリの関西だけど」
「その割には大阪弁が出ませんね」
「いやぁ、練習したのよ。転勤前に。東京から来たヤツ相手に猛特訓。でも、そのうちボロが出そうなんだけどな」
照れ笑いをしている柳を見て、雪本は見かけよりも真面目な人なんだな、という印象を抱く。
柳は身体が大きく精悍なタイプで、見た目はスポーツマンタイプだ。
なかなかお洒落にスーツを着こなしていて、一般的にはモテるタイプだろう。
関西人はもうちょっと強引でずうずうしいイメージがあったのだが、そういう人ばかりでもないのだろう。
わざわざ言葉を練習してきた、という柳が思ったより緊張しているのではないかと、雪本はできるだけ親切にしてやろう、と思っていた。
変に先輩扱いするよりは、友達になってあげた方がいいのかもしれない、と思う。
雪本の勤める会社は中規模の自動車部品の商社で、中部、関西、九州に支社がある。
独身の間は転勤など日常茶飯事だ。雪本だっていつどこへ飛ばされるかわからない。
知らない土地へ転勤させられてきた人には親切にしてあげないといけない、という気持ちは雪本だけでなく社員皆にあった。
柳が転任してきた週末には歓迎会が開かれることになった。
会社が入っているビルの地下に居酒屋があるので、飲み会と言えばそこにだいたい決まっている。
飲み会がなくても独身の社員はその店で食事をして帰ることも多く、店内は同じ会社の社員でいっぱいだ。
歓迎会には国内営業部の部長以下二十名ほどの社員が参加した。
当然のことながら一番年下の雪本は会計及びパシリである。
柳は主役なので部長や課長の近くの席で、仕事の話をしているようだ。
仕事が終わってまでエラい人に囲まれてさぞかし疲れることだろう、と雪本は離れた席で一人ビールを飲んでいた。
二時間ほどで宴会はお開きとなったのだが、その後もう一軒行かないか、と課長に誘われた。
誘われたのは柳なのだが、ついでのように雪本も一緒に誘われた。
たまには若手を飲みに連れていってやろうという、課長の先輩風のようなものだろう。
本当は早く帰りたかった雪本も、柳の手前一緒に行くことに同意した。
課長と二人で飲みに行くのなんて、気を使うだろうと思ったのだ。
課長が連れていってくれたお店は、小さなスナックで課長の個人的な行きつけの店のようである。
今日のところは課長がポケットマネーでおごってくれるというので、二人は礼を言ってカウンター席についた。
課長はなじみの女性に声をかけると、二人のことは気にせずに世間話をしている。
こういった場所に慣れていない雪本は、黙ってグラスを傾けていた。
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