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第2話 大阪弁

 店内は暇で別の女性が柳と雪本に気を使って話しかけてくる。 「こちらのお二人は初めていらっしゃったんですよね」 「そう。課長のお供でね。今日は歓迎会だったから」 「異動のシーズンですものね。どなたか異動になったんですか?」 「異動になったのは、俺。大阪から来たばっかりや」 「あら、大阪ですか!私、大阪弁大好きっ」 「そうか、ほな、大阪弁でいこか」    キャーっと喜んでいる女性を相手に、柳は大阪弁で話し出す。  雪本も初めて聞く柳の大阪弁だ。なるほど、女性をくどく時には使うのだな、と少し皮肉な目で見てしまう。  少し酔ってきたのか、柳はなかなかおしゃべりだ。  やはり仕事中は猫をかぶっていたのだろう。  機嫌よく女性相手に冗談を飛ばしている柳を見ながら、こっちが本当の姿なのだろう、と雪本は一人観察していた。 「なあ、雪ちゃん、カラオケ歌わへんの?」 「いえ、俺は歌はあんまり……」 「そしたら、俺が先いってええか?」 「いいですよ、どうぞどうぞ」    柳はご機嫌でマイクを握り、課長も上機嫌だ。  柳のようなタイプがいると、宴会や接待には役に立つだろう。  雪本も自分が歌を薦められると困るので、柳にリクエストをしながらほっとしていた。    柳はなかなか歌が上手だ。  女性たちも聞き惚れては拍手をしている。  女性社員の間でも柳の人気が出るのは時間の問題だろうな、と雪本は思ってしまう。    タクシーで帰った課長を見送って、終電ぎりぎりに柳と雪本は駅へ向かった。 「柳さん、女性としゃべる時は大阪弁なんですね」    雪本はそれとなく柳に探りをいれてみる。女性にモテたいタイプなんだろうか。 「ああ、だってああいう相手には信用される必要もないからな」    店を出ると柳はまた標準語に戻っている。なんだか使い分けをされているようで、雪本は不審に感じてしまう。  自分には距離を置かれているように感じるのだ。 「信用……ですか?」 「昔東京の大学に行ったヤツや、東京に転勤したヤツから釘刺されたんだよ。大阪弁は信用されないからって」 「そんなことはないと思いますけど……皆喜ぶと思うけどなあ」 「最初はな。めずらしがられて、しゃべれと言われる。だけどめずらしがられているうちは、お客さんということだ。早くなじみたかったら仕事では使うな、と言われてきた」 「そういうもんなんですかね……」 「そのうち、何を言ってもふざけている、とか冗談だと思われて軽いヤツだという烙印を押されるらしいからな」    なるほど。柳が仕事中は大阪弁を絶対に出さないのは、そんな事情があったのか。  それなら転勤前に言葉の練習をしてきた、という理由もうなずける。 「しかし……疲れませんか?俺はさっきの柳さんの方が生き生きして見えたけど」 「そりゃあな、仕事を離れた時ぐらいは自由にしゃべりたいと思うさ」 「なら……今は別にいいんじゃないですか?課長も帰ったし、俺しかいませんから」 「雪ちゃんも一応仕事の同僚だからな。信用されないと困る」 「俺はそんなことで柳さんがふざけてるなんて思いませんよ。事情も聞いたし、柳さんが真面目に努力してるのは分かりましたから」 「そうか?ほな、雪ちゃんと二人の時限定で、気を抜かせてもらうわ」 「いいですよ。俺には気を使わないで下さい」    柳はまだ本当に右も左もよくわからないようで、雪本は帰りの乗り換えの説明をして、切符を買ってあげた。 「週末はゆっくり休んで下さいね。お疲れ様でした」 「ああ、まだマンションの片づけやなんやでつぶれてしまいそうやわ。雪ちゃん、今日はつきおうてくれてありがとうなっ」    笑顔で手を振る柳を見て、大阪弁の方が可愛らしいのになあ、と雪本は好感を抱いていた。  『雪ちゃんと二人の時限定で』と柳が言った言葉にも、密かな喜びを感じていたのを、雪本はまだ自覚していなかった。  翌週になると、雪本は固定の営業先に柳を連れて回ることになった。  いくつかの得意先は柳に担当が代わる予定になっている。  そのうちのひとつにたたき上げの口うるさい社長のいる部品メーカーがあった。  雪本はこの社長が苦手なので、柳が代わってくれると助かるのに、と密かに思っていた。 「今日行く得意先なんですけどね、ちょっと気むずかしい社長がいるんですよ」 「なるほど。ほな、俺はあんまりしゃべらんとくわ。挨拶程度やな」    道すがら雪本は柳に説明しておいた。  機嫌を損ねるとややこしいことになるからだ。  いつものように応接室へ通されると、仏頂面の社長と専務が顔を出す。  小さい会社なのでいつもこの二人を相手にしないといけない。  雪本はできるだけ低姿勢で新しい取引の説明をする。  雪本の方が買い取る側なので実はお客さんなのだが、なぜか立場は逆転してしまっている。 「では、価格は現状通りということで」    いつものように説明が終わったらクロージングだ。  社長はいいだろう、という顔でうなずく。 「社長さん、この部品、ウチには粗利7%しかないんですよね」    突然何を言い出すんだ……と雪本は仰天してしまう。  社内秘の粗利率をバラしてどうするのだ。 「フン、お前んとこはメーカーじゃないんだから、それぐらいで当然だろう」 「しかし次の大きな取引では、これだと輸出できなくなりそうなんですよ。今回はこれでいいとしてもねえ……」 「次の予定が決まっているのか」    社長は大きな取引、という柳の言葉に乗せられて身を乗り出す。 「フィリピン向けに大量に受注が入りますよ。ロットは今の十倍です。しかし競合が出てきてますからね。ウチとしては古い取引先を優先させるつもりですが」    雪本は黙って二人のやりとりを聞いている。  柳が朝から調べていたのは、このことだったのだろう、と思い当たるフシがあった。  社長は腕組みをして何か考えていたが、やがて電卓をたたき出した。 「これでどうだ」    受け取った柳が改めて電卓を叩いて考える。 「ウチの利益が8%ですね。まあ、ぎりぎりというところでしょう」 「ぎりぎりか。仕方ない。今回もその値段でサービスしてやろう。それなら多少お前んところも儲けが出るだろう」 「ありがとうございます、助かりますっ!」    柳が社長に向かって深々と頭を下げたので、雪本もあわてて一緒に頭を下げる。 「しかし可愛くない新人を連れてきたな」    社長は雪本に向かってニヤリ、と笑う。  この社長が笑うことなどめずらしい。  いったい柳のどこを気にいったのだろう。  

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