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第18話 また現れた

 もう会社には来ない、と言ったその男は、三日も立たずにまた姿を現した。  さすがに会社の中までは入ってこれないのか、正面玄関の前でうろうろしているのを、外回りから戻った雪本が見つけた。  柳が連絡先を教えなかったから、ここへ来るしかなかったんだろう。  ビルの中をのぞきこむようにして、立っている。  足早に通り過ぎようとすると、男はめざとく雪本を見つけて声をかけてきた。   「ねえ、あなた、この間真一郎と一緒にいた人でしょ?」    無遠慮なものの言い方に、雪本は一瞬むっとしてしまう。  人にものを尋ねる時に、真一郎、と呼び捨てにするのはいかがなものか。  社会人とは思えないような、世間知らずな雰囲気だ。  柳の学生時代の知り合いだというなら、歳はそう変わらないはずだけど。   「真一郎、社内にいるのかどうか知らない?」 「さあ、俺は今外回りから戻ってきたところなんで」    柳が一足先に会社に戻っていることは知っていたが、そこはお茶を濁しておく。   「柳さんに何か用事ですか?」 「もし、社内で会ったら、どうしても話したいことがあるから、ここで待ってるって伝えてくれないかなあ」 「伝えるのは構わないけど、あなた、どなたですか?」 「野村智史。真一郎とは古い知り合いだから、すぐわかると思う。ね、絶対伝えてね」    男は勝手に伝言を雪本に押し付けると、満足げにひらひらと手を振った。  無邪気なのか、裏があるのか、よくわからないところが少し佐野に似ている。  そういえば柳は転勤してきた当初、すぐに佐野と仲良くなっていたから、そういうのが本来は好みなのかもしれない。    営業部に戻ると、柳はデスクで事務処理をしているところだった。  今日は午後から、別々のクライアントの所へ出向いていたのだが、柳はあの男に出会わなかったのだろうか。   「あ、雪ちゃん、お帰り。お疲れさん」    雪本はとりあえず課長に報告を済ませると、自分のデスクに戻る。  柳とは隣同士の席だ。   「あのう……柳さん、この間の人なんですけど」 「この間の人って?」 「野村さんっていう、昔の知り合い」    雪本が声をひそめると、柳は眉間にシワを寄せた。   「なんで雪ちゃんが名前知ってんねん」 「今、表で会ったんです。話しかけられて」 「雪ちゃん、なんの関係あるねん」 「知りませんけど、こないだ顔、覚えられてたみたいです」 「放っといたらええよ。俺は用事ないし」 「でも……」    放っておいたら、あの男はしつこく何度でも現れそうだ。  雪本もできることなら、何度も顔を見たい相手ではない。   「待ってるって、言ってましたよ。一度ちゃんと話した方がいいんじゃないですか?」 「なんで」    柳は、雪本にそう言われたのが気に入らないというように、不機嫌になる。   「だって……ちゃんと話さないと、多分、何度でも来ますよ、あの人。俺だって、あんまり会いたくないんだけど」 「そうか……そらそうやわなあ。ごめん」 「いえ、柳さんのせいじゃないですけど」    柳は雪本も気分を害していることに気付いて、考え込む。  恐らく野村が元恋人だと雪本は気付いているだろうから、そりゃあ顔は見たくないだろう。   「わかったわ。今日、一度話する」 「そうですか……」 「帰りに、会社の前のルーブルっていう喫茶店で話するから、雪ちゃん迎えに来てくれへんか?」 「俺が?」 「15分立ったら、呼びに来て。それ以上話するつもりないから」 「でも……」 「雪ちゃんに誤解されるようなこと、したくないねん。ちゃんと、迎えに来てや」 「わかりました」  なんだか面倒なことになったな、と雪本は会社のロビーのいすで、コーヒーを飲んでいた。  会社の向かい側のビルの一階にある喫茶店。  硝子越しに、向かい合っている柳と野村の姿が見える。  15分立ったら迎えに来て欲しいと言われていたが、すでに15分は過ぎている。  なんだか話し込んでいる様子で、迎えに行きづらいのだ。  もっとも話をしているのは野村の方で、柳は聞いているだけのように見えるけど。    しかし約束は約束だ、と雪本はコーヒーの空き缶を捨てて、喫茶店へ向かう。  カランコロンと、喫茶店のドアを開ける音で、柳がすぐに振り返った。   「あのう……柳さん、時間……」 「ああ、待たせて悪かったな」    柳は、すぐに伝票を手に取り、立ち上がる。   「もう行くの?」 「もうする話もないやろ。じゃあな」    柳が振り返りもせずにレジへ向かうと、野村は雪本の方を見た。  夕方会った時とは違う、あからさまな敵意の視線。  喫茶店を出て、雪本は柳に何の話をしていたのか、と聞いてみた。   「それ、雪ちゃん聞きたいんか?」    柳は、前と同じ質問を繰り返した。  あまり楽しい話ではない、というのは想像できる。   「隠すつもりはないから、雪ちゃんが聞きたいんやったら話すで」 「よかったら……聞かせてください」    聞いたからと言って、何が変わるわけでもないけど、もやもやしているよりはマシかもしれない。  少なくとも目の前に現れて、自分をにらみつけた元恋人と、どういう話になったかぐらいは聞いておきたい、と雪本は思った。  

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