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第39話 始まりの日

 深夜、桜庭が自分の部屋でインターネットを見ていると、朝比奈がパジャマ姿でそっと部屋に入ってくる。 「仕事してるの?」 「いや、ちょっとな……」  画面には、アジアや東洋の家具や雑貨の写真が表示されている。  何の調べものだろう。 「あ、これ、好みだな。こういうのもいい感じ」  朝比奈が、ツボやら絨毯などを横から指さす。 「買うか?」 「まさか。総一郎の家には似合わないよ」  朝比奈が可笑しそうにクスクス笑う。  桜庭は自分には家具などを選ぶセンスがないと思っているが、朝比奈はそうでもないと思っている。  好みが違うだけだ。  桜庭の家はモノトーンで統一されていて、機能的でそれなりにお洒落である。  無駄な物が一切ないのも、桜庭らしい。 「絵は完成したのか?」 「まだ。最後のところで迷ってて」 「まあ、あんまり根をつめるなよ」 「続きはもう明日にするよ。それより……」  朝比奈が、後から桜庭の首に抱きついてくる。 「ねえ……今日はしようよ」  フっと顔を緩め、桜庭はパソコンの電源を落とす。  察する、ということが苦手な桜庭にとっては、はっきり言葉に出して誘われるほうがわかりやすい。  同じ言葉を女性から言われると、違和感があるが、朝比奈ならただ可愛いだけだ。  桜庭は、まとわりついて待っている朝比奈を抱き上げて、ベッドへ運んだ。  今日はずいぶん積極的なんだな、と桜庭は内心驚きながら、朝比奈をじっと見ている。  桜庭の上にまたがって、腰を振っている朝比奈を、下から見上げるのはめずらしい。  自分で動くのと違って、快感が調節できないので、気を抜くとイってしまいそうだ。 「陸……そんなに動いたら、くっ……」 「イきそうなの? ねえ、イきそう?」  嬉しそうな朝比奈の顔に余裕があるような気がして、桜庭は下から自分も突き返す。 「ああっ……すごいっ……総一郎っ」  朝比奈の腰に手を添えて、下から突き上げると、朝比奈は腰を止めてそれを受け止める。 「イクっ、もう……そ、いちろ……一緒に」  朝比奈が身体を震わせて締め付けてきたので、桜庭は跳ね起きるように上半身を起こす。  ねだるようにキスをしてきた朝比奈を抱きしめて、激しく中をかきまわす。 「総一郎……大好きっ……愛してる……ああっ」  涙目で桜庭を見つめながら、朝比奈が達したのを追いかけるように、桜庭も弾けた。  脱力したように、おおいかぶさってくる朝比奈に押し倒されて、身体の上で抱きしめる。  桜庭のモノを確かめるように締め付けられて、ぴくんと下半身が反応する。 「まだするか?」 「ううん、今日はもういい。もう少しこうしていたいだけ」  甘えるような朝比奈を抱いて、桜庭がとまどいがちに口を開く。 「なあ……陸。お前、後悔してないか」 「後悔?」  朝比奈は驚いたように、身体を起こして桜庭の顔を見る。  セックスが終わったばかりの、一番幸せな時にふさわしい言葉じゃない。  何を言い出すの……と、朝比奈の顔が曇る。 「それ、どういう意味?」 「いや、その……お前が、前の部屋に戻りたいんじゃないかと思ってな。気に入ってたんだろ?」 「引っ越したことを、後悔してないか、って聞いてるの?」 「もし、ここが気にいらなければ俺の部屋以外は改装したっていいんだぞ? 陸の好きに変えたらいい」  言い訳するように早口になる桜庭を見て、朝比奈はようやく言いたいことを察する。  恋人になったことを後悔してないか、と聞いているのではないようだ。  桜庭の言葉数が足りないので、たまにびっくりするような誤解がある。  どうやら、朝比奈が絵を描いていたのを、前の部屋を恋しがっていると思っているようだ。  なるほど、それでさっきはアジアの家具なんか調べてたのか。  言葉数が少ない分、桜庭は行動が分かりやすい。 「後悔なんかしてないよ。たかが賃貸マンションの部屋と総一郎のどっちを取る、なんて比べるほうがおかしいじゃん」  口をとがらせて、朝比奈は反論する。 「前の部屋が恋しいのかと思ってな」 「部屋が恋しいんじゃなくて! あの部屋であった総一郎との思い出を忘れたくないだけ! バカ」  朝比奈に小突かれて、桜庭は、そうか……と、ほっとした様子で身体を起こした。 「シャワー浴びてくる。お前は?」 「ん……俺、あとで」  ごろん、と朝比奈は横になる。  引っ越してきてから、ルールがひとつ変わった。  セックスの後のシャワーは別々でもいい、と朝比奈が許可したからだ。  でないと、毎回風呂場で第2ラウンドが始まってしまうので、お互いに身体が持たない。  以前に朝比奈が、セックスの後にひとりでシャワーを浴びに行くのは最低、と桜庭に言ったのは、そのまま置いて帰られそうで怖かったからだ。  一緒に住んでいれば、もうそんな心配はない。  床に落ちているシャツを拾って、風呂場に向かおうとする桜庭の後姿を、朝比奈はじっと見ていた。  もしあの時、桜庭を引き止めなかったら。  あのまま桜庭が帰ってしまっていたら、今頃こんな関係にはなっていなかっただろうか。  あれは一時の気の迷いだったと、自分をごまかしながら、また寂しい毎日を送っていたのだろうか。 「待って! 総一郎」  思わず呼び止めると、桜庭がどうした、と優しい笑顔で振り返る。  ああ……多分違う、と朝比奈は思う。  あの時、引き止めなかったら、という選択肢は最初からなかったんだ。  何がなんでも引き止めれば、やっぱり桜庭はそのわがままを聞いてくれたんだと思う。 「やっぱり、俺もシャワー行く」  朝比奈が手を伸ばすと、桜庭が戻ってきて朝比奈を抱き上げる。  そう、こんな風にきっと、戻ってきてくれたはずだ。  俺が呼べば、必ず。  抱き上げてくれた桜庭の首にぎゅっと抱きついて、頬に小さくキスをする。  その夜、桜庭が深く寝入ったのを見届けてから、朝比奈はそっとベッドを抜け出した。  迷っていた絵に、最後の筆を入れる。  ベッドの横に、立っている桜庭の輪郭だけがぼんやりと描かれている。  朝比奈は、絵の中の桜庭が、ベッドの方を振り返っている顔を書き足した。  この後、総一郎は戻ってきて、俺を抱き上げてくれるんだ。  そして、恋が始まる。  きっとこれからも、何度でも総一郎は振り返って、手を差し伸べてくれるだろう。  仕上がった絵の隅っこに、朝比奈は小さく文字を書き込んだ。  二人の新しい人生が始まった大切な瞬間。  ”Starting Over”    Soichiro & Riku 【番外編SS Starting Over ~End~】

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