2 / 3

第2話

 井之原マコト。  それが僕に与えられた名だった。  僕を買ったのは大野イダカという人。年の頃は16歳か、それくらい。それだけで、この人がどれだけ愛されて来たのかがわかってしまう。  証拠になるかはわからないけれど、僕を開封した時、彼は笑顔でこう言った。 「俺は君を奴隷として買ったけど、奴隷になる必要なんてない。今日から君は自由なんだ」  自由。  奴隷として製造され、様々なテストを経て出荷された僕に、最も縁遠い言葉。始まりから終わりまでが決まっている奴隷に対して、自由。  不信感しかなかった。  主人が奴隷に笑顔を向けること自体あり得ないのに、彼は良く笑う。常に笑っている。笑顔を振りまいている。  それは、本当にあり得ない。だってそんな人好きのするようなことをすれば──老いてしまう。  誰もが永遠を求めるこの世界では、誰もが他者に冷酷だ。  仮にビジネスライクな関係を築けたとしても、決して心を許すことは無い。  だから、笑顔は笑顔でも嘲笑だとか冷笑だとかで、あんなに心底笑っている人は──あり得ないと僕に植え付けられた知識が言っている。  あり得ない。  けど、現実だった。 * 「起きたかい、マコト。朝食はできているから、まず顔を洗ってきなさい」 「……失礼いたしました。すぐに」 「ゆっくりでいいよ」  朝、主人より遅く目覚める奴隷など、使い物にならない。そんなことわかっていたはずなのに、大野様は常に僕より早く目覚めている。どれほど早起きをしようと頑張っても無理だった。いや、言われた、というのもある。  言われた。「君があまり早く起き過ぎると俺が多くを眠れない。だからゆっくり眠ってほしいな」と。  初めは意味がわからなかったけれど、どうやら大野様はこの家の誰よりも早く起きるようにしているらしく、だから僕も、僕以外の奴隷も朝早くに起きない……起きてはいけない、という暗黙の了解に従うようになっているらしかった。  奴隷よりも早く起きる主人。奴隷に朝食を振舞う主人。  では何のために僕たちは買われたというのか。  ──愛されるため、かもしれない。  この屋敷にいる奴隷は僕を含めて10人。  その内の半分が成人を迎えている。それはつまり──愛されているということ。    少しだけ。   少しだけ、恐ろしくなった。  もし大野様が僕たちを愛する主人であるというのなら、僕たちはみるみるうちに年老いて、永遠を手放してしまう。あるいはそれが狙いなのだろうか。そんな回りくどい方法で、僕らを殺そうとしているのだろうか。  ……だとしても、何も言えない。   奴隷は主人に従い、主人は奴隷を好きに使う。生かすも殺すもルールはない。ただ奴隷は、主人に逆らってはならない。それだけ。頭の根本に植え付けられたルールだから、これを破ることは不可能に近い。   「マコト? まだ寝ぼけているのかな」 「申し訳ございません。すぐに向かいます」 「そう畏まらなくてもいいよ。俺とマコトはもう家族なんだから」 「……はい」  家族。  兄弟、という意味であれば、僕の同型機が何十体かいるはずだ。僕と同じ顔をして、僕と同じ声で喋るデザインベイビー。流石に性格は変わってきてしまうから、そこで差が出て、その差を見て主人は奴隷を購入する。  僕という人格が買われたのには何か理由があり、そしてそれは大野様のお眼鏡に叶う……この屋敷の奴隷たちのと同じ途を辿るものとして見られたのやもしれない。 「マコト」 「はい」 「一つだけ、お願いがあるんだ」  優しい顔で、人好きのする笑みで。  大野様は──。 「俺をね、愛してほしいんだ。いつでもいいから、いつかね」  そんな、ことを。

ともだちにシェアしよう!