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第3話 ある週末に(後編)
バスルームを出てリビングに戻ると、洗い物を終えた直人がソファに座ってテレビを見ていた。
結に気付いて振り返った彼に、おいでと手招きをされて、吸い寄せられるように膝の間に収る。長く湯に浸かり過ぎたせいか、クーラーが効いているはずなのに体から熱が引かない。
「結、大丈夫? なかなか出てこないから、様子を見に行こうかと思ってたところだったよ」
心配そうに優しい低音が響く。
後ろから回ってきた腕に優しく体を引かれて、直人の胸に背を預けるような姿勢になった。自分よりも大きな体にすっぽりと包まれる安心感に、ほうっと吐息を漏らす。
「ごめん、平気……。ちょっと考え事してたんだ」
「こんなに真っ赤になるまで?」
「うん」
「何か悩みごと?」
柔らかに上気した頬に彼の手が触れて促されるまま振り向くと、覗き込んできた切れ長な瞳と目が合った。
「ん……、ちょっとね。た、大したことじゃないよ」
「俺に言えないことなの?」
「うん、言えない……かな」
まっすぐな眼差しから逃がれるように顔を元に戻して睫毛を伏せる。
さすがに、どうしたら貴方と最後まで触れ合えるのかを考えていたなんて、口が裂けても言えない。話せば、年上の彼のことだから、なんだそんなことかと受け止めてくれるかもしれないが……。
切り出すには一生分の羞恥心を捨てなければいけない気がする。
うつむいて足元のラグに視線を落としていると、ふうっと悩ましげに溢された恋人の吐息が項をかすめていった。
「そう、教えてくれないんだ……」
いつもより低めの声が鼓膜を震わせ、ぞわ、と皮膚が粟立つよりも早く、かぷりと包むように生温かい滑らかな感触が耳朶を襲った。
「へ?」
身をかわす暇もなく、食まれた耳朶にぐっと甘く歯を立てられて、電流が走ったみたいに肩が震える。
「……っ、直人さん?」
驚きに声を上ずらせると、耳から彼の口が離れていった。
もしかすると怒らせてしまったのかも。恐る恐る振り返ってみると、いつもと変わらない穏やかな瞳がそこにあって、結は大きな瞳を瞬かせた。
「結が秘密にするから、ちょっと意地悪した」
「意地悪って、耳っ、噛むなんて……っ」
甘噛みされた耳朶から、じん、とした熱が広がって、かあっと頬が染まってしまう。
「教えてくないんだから、これくらい我慢して。結が話したくなるまで待つから、ね?」
「そっ、それは……」
突然の奇襲に言葉に詰まる結を前に、恋人はなんだか楽しそうに見える。深く追及されなかったのは良かったが、不意打ちはやめてほしい。
けれどきっと、これも優しい彼の気遣いなのだろうと、向けられた眼差しを見て思う。今まで直人に何かを強要されたことはないし、いつだって結のことをいちばんに考えてくれる人だと知っているからだ。
熱くなった耳を隠すように押さえて、わずかな引け目に痛む胸を誤魔化す。
すると、体に回されていた片方の腕が離れていって、優しく髪を撫でられた。ふわふわと行き来する手の感触が気持ちよくて嬉しい。
「うそ。話したくないなら、無理に話さなくていいよ」
落ち着いた声の響きに、きゅうっと胸が締めつけられる。そんな風に言われたら、打ち明けられないことに後ろめたさすら湧いてきてしまう。
謝る代わりに体の向きを変えて、逞しい胸にもたれかかると、つむじにキスが落ちてきた。熱いままの頬に手を添えられて、彼の顔が近づいてくる。
キスされる――と思ったら、体がふわりと宙に浮いた。
(え……?)
瞬間、見えていた景色がぐらりと傾いて、抵抗する間もなく弾力のあるソファに体が沈んでいた。仰向けになった結の視線の先には、恋人の柔らかくも少しだけ熱っぽさを宿した瞳が見おろしている。
「……っ、直人さん?」
長い睫毛を何度も瞬かせている結に、ふっと直人が微笑んだ。
つい先ほどより離れているのに、お互いの体から香る同じ石鹸の香りが少し濃くなった気がして、急に心臓が早鐘を打ち始める。
「結の体、ずっと熱いままだね。全身赤く染まって美味しそうなんだけど」
聞き慣れた低音が突然、不穏なことを囁いてくる。その響きに呆然としていると、笑みを浮かべたままの直人の顔が近づいてきて、しっとりとしたキスが唇に宿った。
「んぅ……っ」
結の唇の味を確かめるように、ちゅっと音を立てては離れていくキスを繰り返されるたび、ふわふわとした感覚に包まれていく。
全身の力が抜けて、とろりと視界が溶けかけたところで、頭の中で警笛が鳴った。
バスルームでの決意はどこへ行ってしまったのか。このまま流されてしまったら、いつもと同じだ。
「あのっ……、直人さん、待って。ここじゃなくて、ベット……行きたい」
直人がキスを解いて、首筋へと唇を移そうとした隙に、勇気を振り絞って切り出してみる。
「ん? もう眠くなった?」
少しだけ震える声に、はた、と動きを止めた恋人の息が肌を撫でる。囁くように放たれた声はどこか艶めいていて、ゾクリとした感覚が腰に走った。
だが、ここで負けるわけにはいかない。その声から逃れるように必死でかぶりを振る。
「そうじゃなくって、ベットの方がゆっくり……できる……かなって」
恥ずかしさで最後の方は消え入りそうになる声を押し出して、なんとか言葉にできた。
けれど、言ったそばから顔が燃えるように熱を帯びていくのを感じて、見つめてくる恋人の顔が直視できない。
心臓は息苦しくなるほどに大きく脈打って、直人にも聞こえてしまうのではと思うくらいだった。
(どうしよう、言っちゃった……)
自分から誘うみたいに言って、変に思われなかっただろうか。どんな気持ちで結のことを見ているのだろうか。直人の反応がどう返ってくるのか怖くなって、ぎゅっと目を閉じる。
(直人さん、お願いだから早く何か喋って……!)
なかなか直人からの返事が返ってこない。その時間はまるで永遠にも感じられて、自分が口にした言葉たちがぐるぐると頭の中を迷走し始める。
羞恥心と後悔に押しつぶされてしまいそうになっていると、ふっと直人が笑う気配がした。
「いいよ。だから目をあけて」
優しい声でそう言われて、ふわりと額にキスが降ってきた。
「へ……?」
柔らかな感触に促されるように、じわりと瞼を開いて見えた直人の顔は、いつも通り穏やかでかっこいい。
「ベット、行くんでしょ?」
「え、あの……、うん」
「じゃあ、行くよ」
痺れるような低音が耳に入ってきて、一層、鼓動が早くなるのを感じる。直人を見つめたまま、うんうんと小さく頷く結に、ふ、と微笑んだ直人が手を伸ばした。
瞬く間に体を引き寄せられて、まるで重さを感じないかのように軽々と抱え上げられてしまう。
「うわぁっ、ちょっ、直人さん? 自分で歩けるよ。重いから降ろして」
予想外の出来事にジタバタと手足を動かして抵抗を試みたが、結を横抱きにしてがっしりと固定された直人の手はびくりともしない。それどころか、「じっとして」と優しく窘められてしまった。
観念して大人しくなった結を抱えて、軽い足取りで進んでいく。
華奢で小柄な結だが、とは言えれっきとした成人男子だ。それをいとも簡単に持ち上げてしまうほどの力が、どこから出るのだろうか。
不思議に思っているうちに、丁寧な手つきで柔らかなベットの上に降ろされた。
「結は全然、重くなんかないよ」
「でも、俺も一応、男だし……」
結に送られる視線は相変わらず熱っぽさを孕んで見えて、思わず言葉を飲み込んだ。息をつく暇もなく押し倒され、見おろす瞳から目が離せない。
「逆にこんなに華奢で、心配なくらいなんだけどね」
直人の手が結の脇腹を撫でるようにして、服の隙間から滑り込んできた。ぞくぞくとした感覚に体を震わせていると、指がなめらかに肌を上って、たどり着いた先にある小さな突起を優しく摘まみあげられた。
「ひゃあっ……ん」
ビクンと胸が跳ねて、快感が腰に溜まる。恋人の手によって敏感に育てられた感覚に感じ入った声を漏らすと、色っぽく微笑んだ彼がキスを落とした。
優しく吸われ、緩んだ唇を割って滑らかな直人の舌が絡みついてくる。くちゅりと濡れた音を立てるたびに深くなるキスは、さっきのとは違う官能的なキスだった。
「ふあ……、あっ、待って直人さん。だめ、ん……っ」
キスの合間に直人の胸を押して身をよじらせ、涙を浮かべ蕩けた瞳で訴える。
(だってこのままじゃ、また俺だけ気持ちよくされて終わってしまう……)
逃れようとする結に、キスをほどいた直人が不思議そうな眼差しを向けた。
「何がダメなの? キス、嫌だった?」
「ちがっ、違う。キスは好き……っじゃなくて、ちゃんとシたい……から」
言い終わると同時に、全身の血が湧きたつような気がした。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。
頬の熱がぐんぐんと温度を上げて、直人から隠れたい一心で両手で顔を覆った。
ほんの少しの間、静かな空気が流れて、はぁ、と困ったように恋人が息を吐く音が聞こえる。
「それ……、反則だから……」
吐息と一緒に、はき出すような調子で耳に入ってきた言葉に、ビクリと肩を震わせた。まさか直人に呆れられてしまったのではないか。そう解釈した結の、手で隠したままの瞳の奥にじわり熱いものがにじむ。
奥歯を噛み締めてどうにか涙をこらえていると、温かくて大きな手がそっと結の手を包んで、優しく剝がされた。
視界が開けた先に、真摯な視線を投げかける直人が見える。
「そんな顔、俺以外の人に見せたら駄目だよ」
諭すように言われて、濡れた目元を彼の指が拭った。何のことか聞こうと口を開いたところに、ふわりとキスが重ねられた。
「ふ……っん」
戸惑いに睫毛を震わせて、溢した吐息ごと発言の機会を奪われる。みるみるうちに滑り込んできた舌に、口内を甘く蹂躙 され、彼でいっぱいになってしまう。
「舌、もっと絡めて……」
囁き込まれる低い声が、蕩けかけた思考をくすぐる。
懸命に応えようと舌を差し出すと、ちゅぷ、と濡れた音がたって、犯すように舌を吸われた。結の口からは淫らな吐息が漏れ、濃厚なキスに酔わされていく。
それだけでもたまらなく気持ちがいいのに、いつの間にか空気にさらされてしまっていた胸の突起を、彼の指が捕らえた。
びくっと体が跳ねるけれど、そこが感じやすい部分だと知っている恋人は揺るがない。
丁寧に弄ばれて、一気に体温と感度が上がる。
「んっ、んんんっ」
たまらず体を小さく震わせた結に、やっとキスを解いた直人が満足そうに唇を舐めた。
「軽くイッちゃったね」
「なっ、直人さん、俺……」
乱れた息で直人の名前を呼んで、体を起こそうとするが、思うように力が入らない。それなのに、体は火照って苦しいくらいだ。
熱い息を吐いて、涙をためる結の瞼に、慰めるように柔らかいキスが触れた。そのまま頬から鼻先に、そしてまた唇へと場所を変える。
優しく触れるだけのキスなのに、ぞくぞくとした痺れが体を巡って、熱を放出したがっている中心から切なさがこみ上げてくる。
「直人さ……っ」
震える声で彼を呼ぶと、「わかってる」とあやすように言われて、更にキスが深くなった。 きゅっと舌先を優しく噛まれて、途端に思考まで麻痺させてしまうような甘い刺激が体を走り抜ける。
もう何も考えられない。
そう思った時、下着のなかに滑り込んできた直人の大きな手に、すっかり張り詰めて蜜をこぼした中心を包まれてしまった。
「んんっ、あっ、やあっ……」
一瞬、体を強張らせ、わずかに抵抗を試みた結だったが、ゆるゆるとした柔らかな刺激に飲み込まれるように、直人の動きを享受した。
「直人さん、そんなにしたら俺っ……すぐっ、あっ」
優しく、だが的確に煽り立てられて、結は思わず直人の胸元にしがみついた。
大好きな人の体温と息づかいが近くなって、弾けてしまいそうな快感が体を熱く追い詰めてくる。
「我慢しないで。そのためにしてるんだから、ね、結。気持ちいいね、結」
必死に耐えていると、直人がキスを解いて優しく囁いた。名前を呼ばれて、かあっと全身に熱が昇った。
「んっきもちっ、あっ……、なおとさ、んっ」
求める声が止まらない。蜜が溢れる先端を責め立てるように撫でる直人が、優しく頷き返してくれる。
次第に滑りを良くした大きな手の動きが遠慮のないものに変わり、そのたびにビクビクと体が震え、堪えきれない感覚が込み上げてきた。
「ふあっ……、もうっああっ」
「ん、いいよ。結」
息を喘がせて、快感から逃れようと頭を反らすと、差し出すかたちになってしまった首筋に、直人の唇が寄せられた。ふわりと優しく触れたと思ったら、押し付けられた唇に、じゅっと吸い立てられて結はビクンと背をしならせてしまう。
「やっ、あああっ……」
痺れるように甘い感覚が体を支配して、頭がぼうっとする。
宙に浮いたような感覚の体で感じるのは、自分の放った熱ごと中心を包み込んでいる直人の手の感覚と、首元のぴりっとした痛みだけだ。
「結、平気?」
ベールに包まれたみたいに、直人の声が遠くに聞こえる。優しく髪をなでられて、ふわふわして気持ちがいい。
「ん……、へ……き」
「眠そうだね、結。今日はもう、休もう」
とろりと溶けかけた意識の向こうで、直人がふっと微笑むのが分かった。頬にひんやりとした手が触れて、それから優しいキスが降ってくる。
「ん……」
離れていった唇を追うように、視界をさまよわせると、ひどく優しく目を細めた彼の顔を捉えた。
(俺も直人さんに触れたかったのに……)
浴室での決意はどこへやら、また自分だけ乱されてしまったことを、心の中で悔やむ。だが、脱力した体は、もう1ミリも動かせそうにない。
胸に置かれた直人の手が、トントンとリズムを打って、限界だった結の瞼は呆気なく閉じてしまった。
その瞼にそっとキスが触れて、ほとんど無意識に体を震わせる。
「結……」
自分を呼ぶ大好きな直人の声が、遠ざかる意識の外側でぼんやりと響く。
それから続けて直人が何やら言葉を続けている。
「こんなに感じやすいのに、最後までして泣かせなない自信はないんだけどね……。もっと大切に、甘やかして溶かしてあげたいんだ……」
だが、直人の腕の中で心地よい眠りへと身を落とした結の耳は、その声を拾うことはなかった。
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