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第4話

 国広が出て行くと、冬耶は適当な服を身に着け、家主を探した。  事情を知っている人に、男に戻ったことについて相談したかったが、彼は冬耶が眠っているうちに出掛けたようであった。  基本的に多忙で留守がちな人なので、仕方がない。  冬耶はシャワーを浴びることにして、脱衣所の鏡の前で改めて自分の身体を確認する。  三年という月日のうちに女性の身体に慣れてしまっていたのか、少し違和感はあるが、確かに元の自分の身体である。  この状態は、ずっと続くのだろうか?  そう考えてみて、男に戻れたことをさほど喜んでいない自分に気付いた。  女性になりたいと願ったことはなかったが、別の自分になったことで、違う人生もあるということを発見できたのは収穫だった…と、今ではそう思っている。  だから、これから先男性に戻って生きるとしても、実家に戻り、元の人生の続きを生きようとは思わないだろう。  ただ、もう一度女性になりたいのかと聞かれたら、お願いしますと頼むほどでもなくて、自分の気持ちを決めかねている。  すぐに答えが出るものでもなさそうなので、今日のところは店長に命じられたことを、自分の空けた穴を少しでも埋めるために出勤することにした。  幸いなのか残念なのか、『真冬』はナンバーワンキャストでも何でもないので、いなくても店の運営にさほどの支障は出ないだろうが。  数時間後、仕事について聞いておきたくて早めに出勤すると、店長はボーイの制服を渡しながら吐き捨てた。 「何すればいいかなんて、三年も働いてるんだから大体わかるだろ。俺の知り合いでヘルプに入ることになったとか、なんかそんな感じで適当にやっとけ」 「あの、店長…、思うんですけど、『真冬』にそっくりなのに他人な設定、怪しくないですか?」 「お前は神経質だな。気になるなら仮面でもつけとけよ。確かその辺に……」  仮面舞踏会か。それはそれで怪しいような気がする。しかし真冬の兄とかいう設定にすると、後で辻褄を合わせるのが面倒かもしれないしとぐるぐる悩んでいたが、店長から「これでも使え」と渡されたものを見て、全て消し飛んでしまった。  ひょっとこだ。  それは、まごうかたなき、縁日で売っているようなひょっとこのお面であった。  冬耶は激怒した。 「いやおかしいでしょ!いくら夜の街が寛容っていっても、これが普段の装いの人はいないでしょ!あとこれは仮面じゃなくて お 面 ですよね!?」 「てめーそれはひょっとこお面職人に対するディスりか、あぁ!?職業差別とかクソだな炎上させんぞゴラァ!」 「誰もそんな話してないしこのお面、職人の業物とかじゃなくてプレスして大量に作るやつだと思うんですけど!?」  しかし邪智暴虐の王(店長)への猛抗議も虚しく、ひょっとこを装着することになってしまった。  今日ヘルプに入ってくれる、俺に知り合いのトウマだ。  店長は、そう言って他のスタッフに冬耶を紹介してくれた。  『トウマ』とは『とうや』と『まふゆ』をくっつけた名前で、それはいいのだが、呪われたひょっとこのお面の効果で、必ず『ざわ…』という空気になるのがとても辛い。  勇気をもって「ひょっとこのお面はとった方がいいんじゃないですか?」ともっともなツッコミを入れてくれる常識人は『JULIET』にはいないようであった。  そんな寛容さはいらないんだよ、みんな。  そして果てしなく憂鬱な開店を迎えた。  ぱらぱらと客が訪れはじめ、雑用をこなすためフロアに出れば、四方八方から視線が突き刺さる。 「(これ絶対「今日『JULIET』行ったらひょっとこいた」とかSNSにあげられるやつでしょ……)」  本当にこれでいいのかと店長を振り返ると、話題騒然の冬耶の方を指差して腹を抱えて爆笑している。  スマホを構えているところを見ると、むしろ自ら発信していくスタイルのようだ。  まあ、自分が犠牲になることで話題や笑いを提供できるのならなんでもいいかとやけっぱちに己を慰めていると、その間もまた一人客が来たようで、入口の方に視線を向ける。  現われた人物を見て、冬耶は凍り付いた。  そして、ごく反射的に、物陰に隠れた。  それは何故か。  その客が、昨晩から今朝まで一緒にいた相手だったからだ。  しかし、彼は昨晩とはまるで印象が違った。  張り詰めた空気。たった今三人くらい人を殺してきたとでもいうような、不穏な気配を纏っている。  ゴゴゴゴゴ……という擬音が聞こえてきそうだ。  女の子たちが「ねえ、やばくない?」「昨日真冬が接客してた人だよね」「なんかやっちゃったのかな?真冬が今日来てないのもそれかも」などと話しているのが聞こえる。 「(え……嘘。やっぱりやらかしちゃってたの?俺……)」  嫌な予感に、背中を滝のような汗が流れた。

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