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第21話
覚えていない、と、答えは明確だったが、咄嗟に言葉が出なかった。
そして、冬耶の刹那の逡巡は、御薙にとって疑惑を確信に変えるのに十分な態度と時間だったようだ。
「やっぱりな」
「あっ、あの…、」
まだなにも言っていない、などと悪足掻きをしかけた冬耶は、御薙の視線一つで再び言葉に詰まった。
「…ごめん…なさい…」
結局、謝罪をすることしかできず、項垂れる。
彼を、悲しませた?失望させた?
御薙と過ごした時間を忘れてしまっている気まずさと申し訳なさとが、胸を焦がす。
冬耶には、この不安定な肉体のまま彼の恋人になるのは不可能だという現状があり、仮に女性の体のままでずっと生きていける保証があったとしても、『冬耶』だった自分を捨てて『真冬』を演じながら御薙のそばにいられるか、正直なところわからなかった。
『真冬』も確かに『冬耶』の一部ではある。
けれど、冬耶が冬耶のままだったら、こんな展開にはならなかっただろう。
彼が「真冬」と呼ぶ度に、騙しているような罪悪感と、結局『冬耶』は望んでもらえないという悲しみが胸を過ってしまうのだ。
要するに、どちらにせよ応えることができないのだから、不安になる必要はないはずではないか。
御薙が冬耶に愛想を尽かした時、一番困るのは国広だろう。冬耶ではない。
彼が『真冬』に興味をなくしてくれるのが自分にとっては最善なのだと、そう合理的に考えればいいのに、受け入れられない。
冬耶は理性的ではない己の感情をもてあまし、苦悩した。
心の中に、ネガティブな感情がぐるぐると渦巻く。
その不安から気分が悪くなってきたように感じて、しかし更に頭痛や眩暈が鈍く忍び寄っていることに気づき、既視感のあるこの感覚に、はっとした。
「(これって…)」
店で国広と御薙の会話を盗み聞きして倒れた時と同じものと感じる。
もしかしてこれは、性別が変化する前兆なのでは。
今は困る、と冬耶がパニックになりかけた時。
「お前が謝ることないだろ」
ぽん、と頭に乗った大きな手が、くしゃっと髪をかき混ぜた。
「っ、………」
見上げると、そこには苦笑した御薙がいる。
怒っているとか、失望しているとか、そんな風には見えない。
むしろ、その眼差しには温かさを感じる。
意識が御薙に移ったからだろうか。途端に不調が遠のいて、急激な体調の変化に、冬耶はぱちぱちと目を瞬かせた。
「記憶がなくなるくらい酔ってたんだから、まあ、寝込みを襲われたようなもんだよな。お前はむしろ、そこを怒ってもいい」
「そんな、怒るなんて、」
自分を責めるような彼の言葉に、首を振る。
思い出せなくてもわかる。恐らく冬耶は、嫌がったりはしなかっただろう。
元々、彼に好意があるのだから。
「薄々気付いてたのに、見ないふりしてたのは俺だから、そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫だ」
「き、気を遣っているとかでは……」
この人は、ヤクザとしてこれでいいのかと思うのは何度目だろう。
いい人すぎて、その笑顔に後光すら見えてくるような気がする。
「忘れてるなら、一から始めりゃいいだけだしな」
「一から…?」
「お前にとっては、仕事の一環だったのかもしれないけど、俺がお前に惚れてるのは変わらないわけだし」
驚愕の告白に、冬耶は目を見開いた。
「惚れ…!?」
「そこ、驚くのか?」
御薙は、そこからなのか、とむしろここで傷ついた顔をしている。
何らかの好意を向けられていることは、もちろん疑っていない。
だが、彼はあの日国広に、「そういうつもりじゃなかった」と言っていたではないか。
抱くつもりはなかったが、酔っていて抱いてしまった。だから責任を取りたい。
そういう話ではなかったのか。
「その……責任感とか、そういうやつではなくて?」
思わず聞き返すと、御薙は少し気まずそうに眉を下げた。
「いや、まあ……お前初めてだったのに、手加減できなかったし中に出しちまったし…。責任って意味もなくはないけどな」
これからは気を付ける、と誓ってくれているが、冬耶が言いたいのはそういうことではない。
「色々先走った話をしちまったが、とりあえず恋人候補の一人としてよろしく頼む」
ここまできて、今更感がすごい。
期待を持たせるようなことを言ってはいけないと思いながらも、今この場で「無理です」と断ることは、
……冬耶にはできなかった。
冬耶が曖昧に頷くのを見届けた御薙は、一応納得したのか、話題を変える。
「それで、今日はもう帰るのか?」
「えっ」
そういえば、そんな話をしていたのだった。
頷くことが、一番安全な選択肢だろう。
だが、こんな時間に送ってもらうのも申し訳ない。
冬耶は迷ったが、首を横に振った。
どうして先程感じた変化の前兆がすぐに消えてしまったのかはよくわからないが、今は大丈夫そうだ。
ただ、このままでは心もとない。
「でもあの…、服を着たくて…」
着てもいいかとおずおず聞くと、御薙は吹き出した。
「お前は恥ずかしがりやなんだな」
たぶん違うが、そういうことにしておいてもらおう。
彼の笑顔を眩しく感じながら、冬耶は妙にふわふわとした気持ちのまま、そっとベッドを降りた。
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