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第64話

 感傷や感動が一段落して、カーブの体重移動や振動に少し慣れてきた頃には、見覚えのある埠頭が近付いてくる。  以前倉下たちに攫われた時とは違い、あっという間だった。  錆の浮いた倉庫のやや手前にハルが立っていて、御薙はその近くにオートバイを止めた。  地面に降り立つと、まだ揺れているような、止まっていることが不自然な感じがして、ふわふわした。 「大和さん、トウマも、お疲れ様です」 「ハル、状況は?」 「あー、いや、それが……」  御薙の問いに、ハルは困ったように目を泳がせる。  何故か、ハルには想像していたような緊迫した雰囲気が一切ない。  御薙は眉を寄せ、わずかに開いているドアへ歩み寄り、倉庫の中を覗いた。  ハルが冬耶にも一緒に覗いてみろというジェスチャーをするので、不思議に思いながら御薙に続く。  まさか全て事後で、凄惨な光景でも広がっているのではないか。  若干怯みながら、御薙とドアの隙間から庫内を覗いた冬耶は、想像だにしていない景色に目を瞠ることになった。 「この、ろくでなしがぁー!」  怒声とともに、人が…若彦らしき人物が投げられて宙を舞った。  どすんと叩きつけられた地面には、他にも若彦の部下らしき男が何人も倒れている。  立っているのはただ一人、仁王立ちの組長だ。  いったいこれはどういう状況なのか。  思わず御薙を見ると、「……親父……」と頭を抱えている。 「(え…もしかしてこれ、組長さんが…?)」  あの弱々しくすら見えた老人が、若彦とその部下を全員倒したというのだろうか。  杖をついていたのは幻覚だったのか、力強い助走で息子に更なるダメージを与えようとしている組長を、御薙が慌てて止めに入った。 「お、親父!若彦さんはもう意識ないですから、その辺で…」 「おお、大和か」  姿を見せた部下に、組長はけろっとして笑顔すら浮かべる。  そして、すぐに怒りを思い出したらしく、吼えた。 「どうだこのバカ息子のこのザマは。人数に頼った挙句こんな年寄り一人制圧できない。ヤクザの風上にも置けねえモヤシよ」  この場合、怒るところはそこではないような気がするのだが…。  御薙は、話題を変えるように咳払いをした。 「あー、ゴホン。親父はお怪我は?」 「ない」 「一応経緯をお聞きしたいんですが、若彦さんが親父を連れ出したっていうことでいいんですかね」 「いつものアレだ。仁々木組を譲れという話だ。年老いた父を労わって海でも見せてくれるのかと思いきや、銃口を突きつける始末。俺ぁもう、情けなくって涙が出てくらぁ」  それで怒って拘束を自力で破り、息子に教育的指導をしていたということらしい。  年老いた父親にこんなにあっさり全滅させられて、若彦の方が涙が出そうなのではないだろうか。  失礼ながら、元気すぎてこれっぽっちも労りが必要な年寄りには見えない。  あの杖をついた姿は演技だったのか、それとも身の危険を感じて一時的に覚醒したのか、先ほどの晴十郎のアイスピックにも驚いたが、昨今の高齢者は武闘派すぎる。 「片付いたところで、さっさと帰るか。大和、車で来たか?」 「ええ、ハルも来ています」  御薙の視線が下に向くと、組長は苦い顔で首を振った。 「そいつらはほっとけ。殺しちゃいねえから、意識が戻れば適当に帰るだろ」  ドアの方へと足を向けた組長は、そこでおまけのようにくっついてきた冬耶に気付いたようだ。 「新入り、お前も駆けつけてくれたのか。ありがとうよ」 「あっ…、いえ、俺はなにも」 「確かトーマスだったな」 「と、トウマです」  謎の名前が飛び出したので、反射的に訂正してしまった。  ヤクザの世界では親が黒と言えば黒、トーマスと言えばトーマスですと肯定べきだったのではないか…、と刹那不安がよぎったが、それは杞憂で、組長はからからと笑った。 「おおそれ、機関車みたいだって思ったんだ」  これは、冗談なのだろうか。覚え方が斬新すぎる。  どう反応していいかわからず「よく言われます」などと適当な相槌を打ってしまった。  事務所で会った時に、色々と名前を間違えていたのはもしかしたら素だったのかな…と、ちょっぴり遠くを見つめてしまった冬耶だった。

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