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第80話
「…………………」
御薙が黙ってしまったので、冬耶は不思議に思い顔を上げた。
三雲の去って行った方をじっと見つめているようだが、辺りが暗くて表情がよく見えず、「大和さん?」と問いかける。
無意識の沈黙だったようで、御薙ははっとしてこちらを向いた。
「ああ、いや、三雲の言った通りだなと思ってよ」
「え?」
「俺には、今まで暴力で解決してきたことが山ほどある」
御薙の置かれた状況であれほど圧倒的な強さなら、それが最速で最善ということは大いにあっただろう。
殴った方が早い。乱暴な話ではあるが、夜の街ではどうしてもその解決方法が必要なことがある。
先程の三雲にしても、説得でどうにかなったとも思えなかった。
「その解決方法以外選べなかったから、とかじゃないんですか?」
「だったとしても、結局…力で何とかしたことには力で返されるんだよな。因果応報で俺に返ってくるのはいい。だが、お前を巻き込んじまうのかと思って」
「大和さん……」
先程、突然後ろから拘束された時も、刺されるかもしれないと思った時も、本当に恐ろしかった。
暴力を肯定することは絶対にできない。
けれど、御薙は本当にただ力のみを行使したのだろうか?
御薙は、去っていく三雲を追って更なる制裁を加えたりはしなかった。
恐らく、若彦や倉下が逮捕され、仁々木組にも戻れない三雲のこれからを心配しているのだろう。
彼は、やむを得ず暴力をふるうときも、相手を思いやる気持ちを忘れてはいないはずだ。
「…大和さんの強さに救われてきた人は、たくさんいると思います。俺も、その一人です」
孤独な子供時代、御薙が声をかけてくれたことでどれほど心が救われただろう。
御薙の本質はそうした優しさにあり、暴力沙汰でも因果が巡って報いを受けているのは相手の場合がほとんどなのではないだろうか。
ナイフを持って向かってくる相手に何もせずに死を受け入れるのは違う気がするし、詭弁かもしれないが、正当防衛は相手を犯罪者にしないことにも繋がっている。
「最近もいっぱい助けてもらってるし、そのために振るわれた力が因果応報で戻ってくるって言うなら、それはきっと、俺も一緒に受け止めるべきものなんだと思います」
「冬耶…」
懐が広いからなんでも抱え込んで、その強さのせいで全て背負っていこうとしてしまう人だ。
冬耶は御薙のそういうところが好きだから、仮に彼の言うとおりだったとしても、それを理由に側にいるのを諦めたくない。
御薙はしばし黙っていたが、不意に気配が緩んで、もう一度抱き締められた。
「……お前といると、救われるな」
耳元で低い声が囁く。
優しい声音に、冬耶もその背中を抱きしめ返した。
ちょっとは御薙の心を軽くできただろうか。
いつも彼の優しさに甘えて守ってもらってばかりだから、少しでも役に立てたら嬉しい。
三雲が考えを変えるかどうかはわからないけれど、いつか御薙の優しさに気付いてほしいと思った。
ありがとな、と小さな礼が聞こえて、そっと顔を上げれば優しい視線とぶつかる。
見つめ合う瞳が徐々に近づいてきた、その時。
「お楽しみ中に悪いんすけど、閉店すよ」
うんざりした声にハッとすると、裏口のドアに国広が立っていて、慌てて突き飛ばすようにして御薙から離れた。
「って、てて店長!」
「おい国広お前な、もう少し空気ってもんを」
「ま、相場の十倍払ってくれるなら、店の中提供しますけど」
「なな何言ってるんですか、俺はもう退勤しますから!」
「ハッ…!まだ退勤してないわけだから今の抱擁は金取れるのでは…?」
「うちは掃除の時間はサビ残なので無効です!今はキャストでもないし、善良な玄人からお金を巻き上げるのはやめてください!」
勤務中なのにゴミ捨てに出て行った先で恋人といちゃついていた…というのは、三雲に襲われるアクシデントがあったとはいえ、あまり褒められた行いじゃないかもしれない。しかし従業員を叱るならともかく、いちゃついていた相手から金を巻き上げ始めるというのは非常識すぎる。
しかも何故御薙まで「まじか」みたいな顔をしているのか。
すぐに戻りますから、とまだぶつぶつ言っている国広を強引に店の中に押し戻す。
「…あいつはぶれねえな…」
御薙の呆れ声に、強く同意した。
「まあ…ああじゃない店長はちょっと想像ができないですけどね…」
救いようのない金の亡者だが、他人に興味がないため余計な偏見がないのだけは有難いといえるだろうか。
水を差され、既に先程の続きをする雰囲気ではなくなっている。
御薙の「とりあえず、帰るか」という言葉に素直に同意した。
中で待っていてもらい、手早く帰り支度をする。
「お待たせしました…!」
入り口近くにいる御薙に慌てて駆け寄ると、早かったなと笑われてしまった。
早く御薙と合流したくて、かなり急いでしまったのがバレバレなようで恥ずかしい。
「じゃあ帰るか。…あー、その、俺たちの家に」
御薙が少し照れくさそうに言って、手を差し出す。
「…はい!」
冬耶は微笑み、その手に自分の手を重ねた。
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