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第六話

沢を潤すせせらぎの出所に神寂びた岩室が穿たれていた。 どことなく天岩戸を彷彿とさせる見た目で、全体が湿った苔に覆われている。 好奇心が打ち克って洞を潜り、抜けた先に澄明な光が降り注ぐ。 空気の変化を肌と匂いで感じとる。 岩戸の奥で遭遇したのは、赤や緑の袴を穿き、天冠や烏帽子で飾り立てた稚児たち。 ある少年は小枝を振り回し、ある少女は木の実を摘み、仲良く楽しげにじゃれている。 桃源郷に迷い込んだ錯覚に襲われ、目を見張る。 あたり一面に千朶万朶と咲き乱れる四季折々の花々。梅、桜、藤、椿、曼殊沙華。 それらが万華鏡の如く極彩色に敷き詰められ、馥郁たる薫りを振り撒く。 風車を回す子がいる。木の枝に腰掛け笛を吹く子がいる。花畑で取っ組み合い、上になり下になり転げ回る子たちがいる。 「待ってよー」 友達と追いかけっこしていた稚児の一人が茶倉に衝突し、よろけてへたりこむ。 あどけない顔が強烈な既視感を呼び起こす。 「吉田みどり?」 本名を呼ばれた衝撃はいかばかりか。少女の顔が驚愕に凍り付き、不吉なざわめきが広がっていく。 「大人のひと?」 「どうして?」 「ごんげんさまの結界が……」 目の前で転んだ少女が起き上がり、思い詰めた様子で縋り付く。 「おねがいお兄ちゃん、私がここにいることお父さんやみんなに言わないで」 「ッ!」 直後、烈風を巻き起こし獅子に似て非なる何かが乱入する。 金のたてがみを嫋嫋と靡かせ、四足の蹄で地を蹴立てる美しくおぞましい異形は、中国の神獣・麒麟ないし白澤に姿を似せていた。 謎の獣が猛々しい|顎《あぎと》を開いて茶倉を威嚇し、可聴域の範囲外で嘶く。 音の連なりとして知覚され得ぬ咆哮が波動と化し、鼓膜をビリビリ震わす。 世界の関節が外れたように景色が歪み、混沌と色彩が渦巻く。 満開の桜が青く冴え、たわわにしなだれた藤が金銀に光り、玉虫色の光沢帯びた曼殊沙華がドドメ色に爛れゆく中、子供たちが逃げ散っていく。 「あやかし……ちゃうな、山神の類か。ガキどもは眷属?」 にしては妙だ。子供たちから感じた気配は生者と亡者の中間、どちらでもあってどちらでもない半端もの。 風が絶えたのを確認後目を開ければ、謎の獣や子供たちはおろか、花畑までも消え去っていた。 周囲は鬱蒼とした森に戻り、ひんやりした|木下闇《こしたやみ》が身を浸す。 されど夢でも幻でもない証拠に、茶倉の足元に黄金の毛が落ちていた。 地面に散らばる毛を数本採取し、何食わぬ顔で正と合流を果たす。 「遅かったな」 「迷子がおったで」 「こんな山奥に?」 「吉田みどりや」 正の顔色が瞬時に変わる。 夜、本堂にて。 沐浴を済ませた茶倉は浴衣に着替え、正の晩酌の相手を務めていた。 「坊主で酒豪て罰当たりやな。不飲酒の戒はどないした」 「般若湯は智慧に至る手助けとなる煎じ薬だぜ?」 茶倉の手土産を待ちかねたように開封し、二杯分の猪口にトクトクと分けて注ぐ。 猪口に満たした酒を一気に呷った正が太い息を吐き、修行の疲れも吹っ飛ぶ至福の笑みを浮かべる。 「くう~っ、五臓六腑に染み渡るぜ。この一杯の為に生きてるって感じだな」 「一杯ですんだことあらへんやろ」 「遠慮せずぐいっといけ、ぐいっと」 「何べん捨てよ思たか」 「昼間はへばってたな」 「体力無尽蔵の山伏と都会人比べんなや」 話が一段落付いた頃合いを見計らい、懐から一枚のチラシを取り出す。 「村に着いて早々、けったいなおっさんにコイツを渡された」 茶倉が床に滑らしたのは、吉田みどりの消息に関し、情報提供を呼びかけるチラシだった。 正が沈痛な表情を浮かべ、猪口に注いだ地酒を呷る。 「吉田さんだな」 「父親か」 チラシには小学校低学年とおぼしき少女の写真と共に連絡先が記載されていた。 「吉田さんちはスローライフとやらに憧れて村に越してきた。ところが奥さんが余命宣告うけて、治療の甲斐なく亡くなっちまった」 「癌?」 「末期の」 吉田みどりの失踪は謎が多く、当時はマスコミに騒がれた。 「誘拐ちゃうのん」 「それはない。狭い村ん中だ、不審な人間や車が出入りすゃすぐ気付く」 「祭りの日はよそもん押し寄せたのに?」 「稚児行列に付き添いが許されるのは権現様のほか灯持ちの大人だけ、保護者は境内で待機するきまり。変なの尾行してたらバレバレ」 「コケるで、危なっかしな」 「子供の無病息災を祈り七転び八起きの精神を叩き込む方針」 「生臭坊主が適当こいて」 「すまん」 正が素直に頭を下げる。大分酔いが回っているようだ。 茶倉が人さし指で唇をなぞる。 「案外身近なヤツが犯人かも」 「お互い見張り合ってるような環境だぞ、連れ去りに成功したってどこ隠すってんだ」 妻に先立たれ一年もたず娘までも失った吉田には、当然の如く同情が集まった。 「まだ村におるん」 「娘の帰りを信じて待ってる」 「十年?」 「頭じゃわかってても諦めきれねえのが親心だ。しかしまあ、子供がひとり消えたんだ。さすがに祭りどころじゃないって、行列の方はずっと中止されてたんだよ」 「されてた?」 「今年はやるんだと」 猪口に注いだ酒を呷り、やるせなげに息を吐く。 「え、なんで」 「村興しだよ」 「子供が消えたのに?」 「腐っても伝統行事、中止はともかく廃止はせんぞと頑迷な年寄り連中がごねた」 「時効迎えたんか」 正が膝を掴んで身を乗り出す。 「実を言うとな、みどりちゃんが最初じゃないんだ」 「前もあったんか」 「何回も」 「ちょっと待て」と言い置いて席を外し、再び戻ってきた正は、古い和綴じの本を持っていた。 「十江村じゃ祭りのたびに子供が消えてる。もともとこの村は山神に生贄捧げてた」 「どこもやるこた同じやな」 日水村の惨劇を蒸し返され、茶倉が冷めた目で述べる。 正が眉間に皺を刻んで唸る。 「十江村の言い伝え。娘想いの父親が山伏に泣き付いて、権現さまを説き伏せた。以来生贄の風習はなくなり、捧げられた子の鎮魂のため、稚児行列が始まった……ってのが表向きの記録だな」 「裏があるんか」 茶倉が和綴じの本を開いて目を通す。 「順番が逆やね。山伏殿が権現に陳情する前から稚児行列は執り行われとった」 「なんでかわかるか」 「わかりたないけど」 猪口に酒を注ぎ足し、豪快に飲み干す。 「『選別』」 「正解」 「娶るにしろ食らうにしろ神さんかて好みの子選びたいわな。村の衆にお披露目兼ねた練り歩きは好都合」 「その昔、十江村の稚児行列は天童行列の別名で呼ばれた。稚児は乳飲み子の略、幼児の別称」 「でもって、坊さんの下の世話をした小姓の呼び名。仏教は女淫を禁じとるさかい、男色を逃げ道にした」 「年端もいかねえガキを……胸糞悪ィ」 「山伏かて囲っとったろ」 「俺はしてねえ」 正が断固否定する。 「先祖の罪を数えるんはやめたる」 茶倉が肩を竦める。 「とりま稚児の歴史は古く、平安の世じゃ仏門入りした公家の子弟がそうよばれとった。女人禁制の僧院で見目麗しい男児が愛でられるんは不可抗力て見方もできる」 「稚児物語が一大ジャンルとして確立されたんだろ?世も末だ」 猪口で唇を湿して諳んじる。 「其の肉の腐り爛るを惜しみて、肉を吸い骨を嘗め、はた喰らい尽くしぬ」 「それは?」 「『雨月物語』収録の『青頭巾』。知っとる?」 「いや……」 「快庵禅師が下野の国に寄ったねん。したら鬼が出たて里のもんが大騒ぎ。宿屋の主人曰く、近くの寺に阿闍梨って高僧がおったんやけど、コイツの稚児が春先におっ死んだ。阿闍梨は嘆き悲しみ、生きとる時と同じように骸を愛でた」 「うへえ」 「埋葬せなんだら当然腐る。しまいには肉をすすり骨をなめ、ぜーんぶ食い尽くしてもた。以来阿闍梨は迷い鬼と化し、夜な夜な墓を暴いて屍肉をむさぼるようになったっちゅーネクロとカニバの合わせ技のお話や」 「色惚けの末路は悲惨だな」 愉快げに〆る茶倉と対照的に、正は言葉を選んで続ける。 「天童は仏法守護の命を帯び、子供に化けて人間界に現われた天人・鬼神をさす。神道の祭礼においても無垢な子供は神霊の懸かる対象、または神の使いと見なされた。なあ練、お前が見たのは……」 「間違いない。みどりやった」 「姿変わってねえとかおかしいだろ」 失踪時みどりは七歳。現在は十七歳になっているはず。 「他にもぎょうさんおった。三十人は下らん」 「権現様に連れてかれた稚児か」 「多分」 「『お父さんやみんなに言わないで』って、穏やかじゃねえよな」 「親子仲はよかったん?」 「ああ。吉田さんはみどりちゃんを可愛がってたし、みどりちゃんも懐いてたよ」 正が猪口に酒を注ぎ足し、嘆く。 「祭りに参加決めたのも娘を元気付ける為かも」 「十年捜し続けるてたいした執念やな」 「あたりめえだ、我が子が消えたんだぞ」 「十七の娘は写真と別もん」 「吉田さん、みどりちゃん蒸発のショックで病んじまって……誰彼構わず待ち伏せてチラシばらまくもんで、村の連中も持て余してるよ」 警察の捜査は打ち切られた。みどりの生存は絶望的。ただ一人、血が繋がった父親だけが諦めきれずにいる。 重苦しい沈黙を破り、正が口を開く。 「……練。みどりちゃんを見かけた事は黙っとけ」 「言われんでもそうするわ。十年前消えたガキが変わらん姿で山奥におったとか、誰が信じんねん」 正曰く、吉田の精神状態は思わしくないそうだ。 山奥でみどりを見かけたと漏らしたら最後、単身森に踏み入り遭難しかねない。 「子供たちはごんげんさまの結界どうたらて口走ったんだな。言い伝え通り山神にかっさらわれたってオチか?」 「俺に聞くな、そっちのが詳しいやろ」 「十年前、俺と玄も現場にいた」 「へえ」 苦い述懐に興味を示す。 「道筋に変な毛が落ちてた。金色に輝く綺麗な……」 「まだ持っとんの」 「スーッと消えちまった。魔性の毛だ」 「俺もゲットしたで」 開かれたハンカチの上には何もない。 「からかってんの?」 「まあ待て」 猪口の中身を数滴たらす。 「清めの酒は神道の概念やけど」 雫に濡れた輪郭が浮かび上がる。 「自然界の動植物かて生存戦略に擬態組み込んでんねん、神さんもイケるやろ」 正体を見破られた怪異は可視化される。裏を返せば、原則として不可視の存在。 十年越しの仕掛けを暴かれ、正が脱帽する。

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