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第二十一話
帰り道、茶倉は不機嫌だった。
「も少しゆっくり歩け。こちとら怪我人だぞ」
脚を庇って歩く玄を見向きもせず、ずんずん畦道を進む。周囲に点在する民家の庭先では鶏が飼料を啄み、放し飼いの犬が駆け回っていた。
茶倉がふいに正面を見据え、風に乗り田畑を渡ってきた祭囃子に耳をすます。
「なんやこの音」
「神社で山伏神楽の練習してんだ」
「稚児行列の前にやるヤツか」
「見物行くか」
「無理やろその足じゃ。階段のぼれん」
「たいしたことねえよ、痛たっ」
言ったそばから顔を顰め片膝抱えた玄にげんなりし、妥協案をだす。
「ほなあそこで」
茶倉が指さす先には近所の石段が伸びていた。成願寺と比べれば然程でもないが、それでも十分長い。
激痛を堪えるあまり脂汗をたらし、足をひきずって石段に辿り着き、三段目に腰掛ける。茶倉は四段目に腰を下ろす。
「なんで一段上?」
「見下ろされんのは好かん。特にお前には」
「そうかよ、勝手にしろ」
むくれ顔で頬杖付く玄に知らず口元が緩む。頭上からは甲高く澄んだ笛の音が主旋律を奏でる祭囃子が降り注ぎ、道沿いに立てられた幟が気持ちよさげにそよぐ。
茶倉が退屈げにスマホを操作し、届いたメールを読む。
「おっさんから定期連絡、祭りを延期か中止にできんか運営に交渉しとるらしい。いうても今からじゃ難しやろな、予算かかっとるし。お偉いさんは今回の村興しに賭けとるそや」
牧歌的な情景に心が平らぐ。一方で村人たちの身勝手さや自分の無力さに腹が立ち、小石を拾って投げる。
「信じてもらえんかったからて拗ねんなや。お山の神さんが子供さらっとるなんて与太話すんなり信じるほうがおかしいわ、令和やで今」
「骨ひび損のくたびれ儲けじゃねえか」
「熊にやられた言うたほうがまだ説得力あるんちゃうか」
茶倉を伴い吉田家を訪れたものの、玄がしたことといえば喧嘩を止めただけ。それも殆ど役に立っていない。
夢で権現の過去を見、詩織に吉田を止めろと頼まれたのに、情けない体たらくに気分が沈む。
「吉田さん、できた人だよな。村長たちの無茶振り聞き入れて、自分からお目付け役買って出るなんてとてもまねできねえよ」
唇をなぞりながら物思いに耽る茶倉に不安が増す。
「むかし言ってたよな、人間のオーラが見えるって」
「ああ」
不意打ちの質問に応じる声は上の空で。
「吉田さん、どんな色してた」
「ドドメ色」
「ドド……?」
聞いたことない単語に反応が遅れ、綺麗に整った横顔を見返す。茶倉がわざわざ向き直って付け加える。
「山育ちのくせに知らんのかい桑の実の別称。転じて黒一歩手前の青紫や赤紫をさす。青ざめた唇の色や打撲による青痣の表現にも使われるとか」
「ええと……それっていいの、悪いの?」
「最悪の一歩手前。濁りきっとる」
茶倉の瞳は特別だ。コイツは生き物のオーラから性格や状態を読み取ることができる。
「だよな。マットに八ツ当たりしてたんだ、いいわけねえよな」
裏庭に敷かれたマットの惨状を反芻し、背中に悪寒が走る。茶倉はスマホを軽くタップしフォトを開く。
「これ見ろ」
「何だ」
「お前らがおらん間にガサ入れして撮ったみどりの文集」
「はあ!?」
脳天から素っ頓狂な声を発し、白い目で見る。
「女子小学生のクラス文集盗撮するとか怖……ガチの変態じゃん」
「ちゃうわ」
茶倉が拡大した写真を覗き込み、たどたどしい文章を目で追い、唇をへの字に曲げる。
「フツーの作文じゃねえか」
『しょうらいのゆめ ニ年一組 吉田みどり
わたしのうちは父子かていです。お母さんはきょねんがんで死にました。がんだとわかった時、おかあさんはいっぱい泣きました。わたしもかなしくてうんと泣きました。
おかあさんは長いあいだびょういんにいました。こうがんざいのちりょうは苦しそうで、かみの毛が抜けたりげーげーして、とってもかわいそうでした。
だけどおかあさんはさいごまでがんばると言いました。どうして?と聞くと、少しでも長くみどりといたいからよ、と答えました。
今のおかあさんがみどりにあげられるのはそれしかないの、がんばってるところを見ていてほしいの、と。
さいごまであきらめなかったら引き分けになれるのよと、おかあさんはおふとんにねたまま笑いました。
わたしはびょうきとたたかってるおかあさんをすごいなあと思い、おかあさんをみならってべんきょうやうんどうをがんばろうと思いました。
おとうさんは病院とおうちと会社を行ったり来たりしてとってもいそがしそうです。なんだかため息がふえてやせた気がします。
おかあさんが死んだ時はとってもかなしかったです。おとうさんといっしょにおみまいにいって、ちょっとうとうとして、おきた時にはおとうさんがまくらを持っていました。
しかたないんだよ、人間はみんなしぬんだよ、お父さんは泣きながら言いました。
おかあさんをやすませてあげようね、って。
わたしはおとうさんをよろしくねとおかあさんにおねがいされたので、おとうさんと仲よくしようと自分とやくそくしました。
おかあさんがいなくなってからおとうさんはおうちの事をがんばっています。わたしのご飯を作ったりせんたくやそうじをしたり。とくいりょうりはやさいいためです。わたしもたまに手伝います。
テストでよい点をとった日は、ごほうびに魚肉ソーセージをいれてくれるのでうれしいです。いっしょにおふろに入ったときは体をあらってくれます。
おとうさんはカメラが好きでしゃしんをとります。わたしもいっぱいとってくれます。ほんとういうとおとうさんにとられるのははずかしいので、あんまり好きじゃありません。だけどそんなこと言ったらかなしむから、じっとがまんしています。
こないだお父さんにみどりはおとなになったらカメラマンかな、といわれました。わたしはかんごしさんになりたいと答えました。
なぜかというとおかあさんのお世話をしていたかんごしさんがとてもやさしいひとだったので、わたしもかんごしさんになって、おおぜいのひとを助けたいなって思いました。
そういうとおとうさんはちょっぴりさびしそうに笑って、みどりはいい子だからきっとかなうよ、おとうさんもおうえんするよ、と頭をなでてくれました。
りっぱなかんごしさんになるために、もっといっぱいべんきょうをがんばりたいです』
クラス文集には当時小学二年生だった吉田みどりの微笑ましい夢が綴じられていた。しかし茶倉の表情は固い。
「変やと思わん?」
「どこが?」
「母親が死んだ直後やで、ほかに言うことあるやろ」
人間はみんな死ぬ。
仕方ない。
まるで誰かに言い聞かせるような。
顔強張らせ黙り込む玄の斜め上、数珠を指で回し合理的な推理を重ねていく。
「飲み物買いに出た間に亡うなったってブログの記述とも矛盾しとる。みどりの作文の方信じるなら、おかあさんをやすませてあげようねが別の意味にとれへんか」
何故枕を持ち、ベッドの傍らに立ち尽くしていたのか。
何故泣いていたのか。
何故母親の死に直面し放心状態に陥った娘に向かい、人間が死ぬのは自然なこと、しかたないのだと言い訳じみて繰り返したのか。
「待てよ……待て」
不吉な胸騒ぎが確信に変わり、おぞましい想像に視界が眩む。
「そうするとここもおかしくねえか。『いっしょにおふろに入ったときは体をあらってくれます』『お父さんはカメラが好きでしゃしんをいっぱいとってくれます』『ほんとういうとお父さんにとられるのははずかしいので、あんまり好きじゃありません』……やけに話が飛ぶなってひっかかったけど、子供の作文は脈絡ねえもんだしなって思い直して」
「全部繋がってたら」
カメラが趣味の吉田は妻の死後、みどりの写真をコレクションした。仏壇に飾られた真由美の遺影はみどりによく似ていた。
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