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第二十話

『昨日も眠れなかった』 『また薬が増えた』 『毎晩明日こそはと期待して眠りに就く。そして裏切られる繰り返し』 『生きてるかどうか、せめてそれだけでも教えてくれ』 『十七歳の誕生日おめでとうみどり、もうすっかりお姉さんだね。ママそっくりの美人さんになってるかな?早く会いたいよ』 『お父さんに元気な顔見せてくれ』 『大事にしてたマグカップ、まだとってあるんだ。みどりは黄色プリピュアが大好きだったね。日曜朝はお父さんのお膝に座ってアニメを見た事、覚えてるかい?』 散文めいた語りかけに娘への未練が滲む。 過去の記事には娘の失踪が原因で精神科通いをしている現状や、不眠症に陥った苦悩が切々と綴られている。歳月の経過に伴い、みどりの事件を忘れ始めた世間への恨み言も。 さらにスクロールし、指を止める。 みどりの失踪以前は抗がん剤治療に苦しむ妻の闘病記録を付けていたらしい。 吉田は多忙な仕事の合間を縫って病院に通い、小さいみどりの世話をしながら、日に日に衰弱していく妻を励ましていた。 『本日午後2時30分、妻・真由美が天に召されました。自販機に飲み物を買いに行ってる間に容態が急変したみたいです。突然の事で心の整理ができません。みどりもショックを受けています』 『やっと葬式が終わりました。長かった。疲れました。今はまだ先のことなんて考えられないけど、真由美の分まで頑張ってみどりを育てていこうと思います』 一旦窓を閉じてから耳をすまし、運営委員会の面々がまだ当分帰らないだろうと確信する。 「頭冷やせよ佐々木のじいさん、大勢で押しかけたって迷惑だろ」 「玄ちゃんはよそもんの味方すんのかい」 「吉田さんは十年ここに住んでる村の一員じゃねえか」 「たった十年ぽっちでデカい顔すんない、こちとら先祖代々十江村の顔役じゃあ」 「祭りの手伝いもせず遊び惚けて、成願寺の倅にゃがっかりだ」 「冥安さんや詩織さんもさぞ無念じゃろうな」 「爺ちゃんとお袋は関係ねえだろ、俺は夢のお告げをうけて」 「お告げえ!?権現さんのかい?」 「なんて言っとった、詳しく聞かせとくれ」 「十江山で権現さんに襲われたってのは本当かい、玄ちゃんがびっこ引いてんのは祟りなのかい?」 「これは噛まれたからで」 「権現さんに!?」 「やっぱいるんじゃねえか、くわばらくわばら」 「で、どんな姿しとった。言い伝えじゃ金色に光る獅子だというが……すまほで写真撮っとらんのか」 「ウチも遠野よろしく権現の里として売り出せんかのゥ。赤べこがいけるなら権べこだって」 「バチが当たるぞ!」 一人が合掌でお経を上げ、一人が鼻息荒く詰め寄り、一人が壮大な計画を打ち立てる。案の定仲裁に手こずっているらしい。 「時間稼ぎよろしゅうに」 顔役の剣幕にたじろぐ玄をあっさり見捨て、抜き足差し足忍び足で居間を抜け出す。 床板が軋まぬように用心深く廊下を歩き、突き当たりの浴室を覗く。洗面台の横の棚には整髪料やシェービングクリームの瓶の他、タオルが畳んで置かれていた。 上の戸棚を開けると、精神科で処方されたらしい錠剤や睡眠薬が大量に出てきた。 薬には手を付けず戸を閉め、階段を上って二階へ行く。みどりの部屋はすぐわかった。四ツ葉のクローバーのプレートに「MIDORI」と名前が彫られていたのだ。 二階の一番手前のドアをゆっくり開け、室内に忍び込む。みどりの部屋は失踪以前の状態のまま保たれていた。壁際にはまだ綺麗な学習机、反対側にピンクのシーツが掛けられたベッド。枕元には動物のぬいぐるみが勢ぞろいしていた。 机の前に跪き、一段一段引き出しをあらためる。上から三段目に文集があった。表紙には『将来の夢』と刷られている。 出席番号順に綴じられた文集をぱらぱらめくっていると、みどりの作文に行き当たった。 立ったまま目を通す。 「……なるほど」 目的は果たした。 スマホで証拠を撮ったのち文集を引き出しに戻し、静かに階段を下りる。 玄関先ではまだ村人と吉田が言い争っていた。両者の間に割り込んだ玄が苦肉の案を述べる。 「せめて延期できねえか。もっかい権現と会って、みどりを連れ戻してくりゃ解決だろ」 「ほおむぺえじで大々的に日取りを告知しちまったんじゃ」 「近隣市町村にも通達が行っとる」 「~~~~わかんねえ奴等だな、人の命と祭りどっちが大事だよ!?」 怪我を忘れて地団駄踏み悶絶する玄の傍ら、表情を消した吉田が平坦に呟く。 「どうあっても稚児行列は決行するんですね」 「ああ」 「決定は覆りませんか」 「わかっとくれ吉田さん、ワシらも十年我慢したんじゃ。稚児行列は数百年続く十江村の伝統、首を長くして再開を待ち侘びとる人間が沢山おる。ご覧なさい、回覧板で署名も集めたんじゃ。心配せんでも同じあやまちは犯さん、今年は行列の前と後ろ両方に引率を付ける。明かりも増やす。何かあればすぐ動けるように駐在も手配した」 押しても駄目なら引いてみろの格言を実践し、運営委員会が土間に跪く。 吉田が眼鏡のブリッジを押し上げる。 「情に訴える作戦に切り替えですか」 「どうかこの通り、村長であるワシの顔に免じて」 「稚児行列は一生の記念になる、思い出作りに来る親子が大勢いるんじゃ」 「ワシもどんなに楽しみだったか」 「思い出すのォ、友達と誘い合って着物を見せっこした……」 「烏帽子の傾きを直し合って」 「好きな子と手を繋ぐのが照れくさかったわい」 「それが古女房の陽子さんとはのォ、上手いこと縁を結んだもんじゃ」 「脱線してるぜ」 玄の注意に威儀を正し、真剣な顔で宣誓する。 「みどりちゃんの時のような事は二度と起こらん。いや、起こさんと約束する」 村人たちの直訴に心を動かされたか、長い沈黙を経て吉田が顔を上げる。 「交換条件があります」 「何かね」 「行列後方の引率役に僕を付けてください」 顔を見合わす村人たちに対し、吉田がどこか吹っ切れたように清々しく宣言する。 「本当はずっと後悔してたんです、みどりが心配なら父親である僕自身が同行すべきだった、それが親の義務でしょ。みどりが消えて十年……そろそろ節目かもしれません」 十年前の後悔を清算する為、引率役に立候補した吉田の覚悟に打たれ、村人たちが神妙に頷く。 「もちろん構わん。いや、かえって助かります」 「足腰の弱った年寄りに任せるより、若い人に見守ってもらったほうが安心だものな」 「交渉成立ですね。よろしくお願いします」 村長と吉田が固く握手を交わす。 予想外の成り行きに面食らい、開いた口が塞がらずにいる玄を、人さし指を曲げて茶倉が呼ぶ。 「お暇するで」 和解に至ったのが余程嬉しいのか、運営委員会は玄関先に屯い、当日の段取りを饒舌に説明していた。 「裏から行こか」 茶倉の提案に同意し、吉田の死角にしゃがんで靴を回収後、居間から台所へ抜ける。 裏口の扉を開けた瞬間、スーツの背中が静止した。 「どうした?」 茶倉の肩越しに視線を投げ、大いに困惑する。 石垣に面した狭い裏庭に、あちこち破けて綿がはみ出たマットレスが放置されていたのだ。 マットには包丁が突き立っていた。 「お見苦しい所見せちゃいましたね」 背後の声にハッとして振り向けば、運営委員会を見送った吉田が、にこやかに微笑んでいた。 「粗大ごみを出そうと思って。でもね、さすがに大きすぎるでしょ?だからね、綿を抜いてね、小さく畳もうとしてたんです。ゴミ捨て場を占領しちゃご近所さんの迷惑ですから」 「はあ……」 「村八分はこりごりですからね。はは」 虚ろな目。乾いた笑顔。力ない笑い声。 「みどりちゃんの事でまた何かわかったら知らせにきますね」 常軌を逸した吉田の様子を案じ、口を開いた玄の腕を引っ張り、さっさと退散した。

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