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第十九話

吉田みどりの父、吉田卓は十江村外れの古民家に住んでいた。 病院で拾ったタクシーを降り、荒れた庭を突っ切って玄関へ赴く。インターフォンを押すも返事がない。 「留守かな」 「裏口回ってみるか」 小声で話し合っている最中、家を回り込んで人影が現れた。 「どなたですか」 二人のもとに歩いてきたのは推定年齢三十代後半、風采の上がらない眼鏡の男性。玄が律儀に頭を下げる。 「お久しぶりです」 「玄くん?帰ってきたのか」 「もうすぐ祭りなんで……」 吉田の心中を慮ってか、歯切れ悪く答える。 「何か用?」 「実はその、吉田さんに話したい事があって。先日十江山でみどりちゃんを目撃したんです」 「みどりを!?」 娘の名前を聞き、表情筋の死んだ顔に驚きと希望が広がる。 「ぜひとも詳しい話を聞かせてください。中へどうぞ、お茶を淹れますよ。そちらの方は?見慣れない顔ですが」 引き戸に手をかけた吉田の誰何をうけ、茶倉がにっこり微笑む。 「一度お会いしてますよ。ほら、駅前で」 「そういえば何日か前に」 「僕はしっかり覚えています。玄くんの友人の茶倉練です、東京で拝み屋をしています。みどりさんのお話を聞いて、僭越ながらお力になりたいと思い罷り越しました」 「『僕』?」 気色悪そうに身を引く玄をさしおき、ちゃっかり名刺を渡して挨拶する。受け取った名刺を隅々まで観察し、吉田が頷く。 「茶倉練……聞いたことある。テレビかなんかに出てました?」 「たまに。YouTubeの方が通りいいですけどね、よかったら名刺のURLにとんでチャンネル登録してください」 「助っ人が増えるのは心強いです」 玄がわざとらしい咳払いで話を遮る。 土間で靴を脱いで框に上がり、向かって右側が居間だった。続き部屋には仏壇が置かれ、若い女の遺影が飾られている。 「妻の真由美です」 「癌で亡くなったと聞きましたが」 「発見が遅く、わかった時には全身に転移していました。若いんで進みが早かったんでしょうね。田舎で暮らす夢が叶ってこれからって時に」 「お悔やみ申し上げます」 吉田がお茶の準備をしに台所に行く。 座布団に正座し和室を見回す。台所で立ち働く痩せた背中には、男やもめの哀愁が漂っていた。 「お線香を上げても?」 「どうぞ。妻も喜びます」 ほぼ同時に腰を上げ仏間に移動、遺影に線香を手向けおりんを鳴らす。 真由美の口元にはほくろがあった。してみるとみどりの容貌は母親譲りか。 再び居間に戻って台所に視線を投げ、戸棚に伏せられた子供サイズのマグカップに気付く。 数年前に放送終了した女児向けアニメのキャラクターがプリントされた、ピンクのマグカップだ。みどりが普段使いしていた物をまだしまえずにいるらしい。 「どうぞ」 「いただきます」 吉田が淹れたお茶で口を湿し、早速本題に入る。 「俺、二日前にみどりちゃんと会ったんです。十江山北西の雑木林で」 遭遇時の状況を事細かに伝える玄の横で、茶倉は静かに吉田を値踏みしていた。 「一緒にいたのは権現と呼ばれる山神です」 「俄かには信じられません」 「無理ありません、俺だって実物目にしなきゃ到底信じられませんでした。でも本当にいるんです」 「証拠は?写真とか動画とか……申し訳ないけど君の証言だけじゃ」 疑念を呈す吉田を見据え、茶倉がやんわり口を挟む。 「青森や岩手には俗に|経立《ふったち》と呼ばれる妖怪や魔物の伝承が残ってます。これは長い年月を生きた動物の変化と言われており、猿の経立は体毛を松脂と砂で鎧のように固める知恵を持ち、猟師の銃弾すら通さないと信じられてきました。下閉伊郡安家村では百姓に飼われていた雌鶏が産んだそばから卵をとられるのを恨み、その家の子供を次々取り殺した逸話もあります」 「はあ」 「こんな話はどうですか。ある娘のもとに毎晩のように男が通ってきた。その姿かたちがとても美しかったため周囲は化け物ではと怪しんだ。近所の人々に小豆を煮た湯で男の足を洗えと唆された娘がそのとおりに実践した所、慌てて飛んで帰ってしまった。そして翌朝……娘は海辺で死んでいる大きなタラを見付け恋人の正体を悟った、とまあこういうわけです」 「権現様の正体もその経立だっていうんですか」 「かもしれません。見た目からして猪あたりが有力でしょうね、シーサーにも似てましたが」 埃っぽく殺風景な居間に視線を巡らし、机上のチラシの束に目をとめる。 「アレは?先日もらったのと色合い違いますね」 茶倉の質問に一瞬だけ顔を強張らせてから愛想笑いを張り付け、腰を浮かす。 「よければもらってください」 吉田に手渡されたチラシには、『稚児行列を中止せよ!神隠しを許すな!』とでかでか刷られている。ショッキングな見出しの下にはランドセルを背負ったみどりの写真と共に、彼女の失踪の経緯が詳しく書かれていた。 「十江村に来る人に渡してるんです」 「お祭り復活に反対なんですね」 「祭り自体には反対してません。やめさせたいのは稚児行列の方です」 心外そうに訂正し、チラシに目を落とす。 「だってあんまりじゃないですか、まだみどりが見付かってないのに再開なんて……もしまた同じことが起きたらどうします?僕みたいに哀しい思いをする親御さんが増えるだけだ、そんなの許せません、絶対止めないと」 力余ってチラシを握り潰し、切実な心情を吐露する。 「僕は父親失格です。あの日からずっと後悔してるんです、なんであんな危険な行事に娘を参加させたのかって。よく考えれば非常識ですよ、提灯持ちの大人がいるのは前だけ、後ろは真っ暗なんて。子供が転んだり消えたりしても誰も気付かないじゃないですか。現にみどりは十年たっても戻ってこないまま、どこで何してるかもわかりません」 次第に興奮してきたのか、膝の上の拳をギュッと握り締める。 「こんな村越してくるんじゃなかった」 「吉田さん……」 「みどりはとても素直で優しいいい子でした。真由美を亡くしてから親一人子一人、支え合って暮らしてきたんです。まだ小さいのに不出来な父親を気遣って、あの子の存在にどれだけ救われたかわかりません」 膝を叩いて嗚咽を詰まらす。 「チラシ配りを手伝ってくれた玄くんには感謝してる。でも村の人たちは権現様の仕業だ、神隠しなら仕方ないの一点張り。そんなわけないじゃないか、神隠しなんて時代錯誤な迷信だ、あの夜みどりを尾行して連れ去った犯人が必ずどこかにいるはずなんだ。可哀想なみどり……お父さんが絶対助けてやるからな……」 キッと玄を睨み、凄まじい剣幕で肩に縋り付く。 「正直に言ってくれ玄くん、君は連中の差し金か。煤祓さんに説得を頼まれたのか」 「は?」 「何度掛け合っても村長さんや村の人たちは聞いてくれないんだ、挙句僕の頭がおかしいと決め付けて駐在を呼ぶ始末。何がおかしいもんか、アイツらは自分の子どもが無事だから平然としてられるんだ」 「吉田さん俺は別に」 「誰に頼まれてくだらない作り話を?」 「嘘じゃありません、十江山にはマジで獣の姿をした守り神がいてみどりちゃんは他の子たちと元気に」 押し入れの襖を開け、上半身を突っ込んで何かを取り出す。 「みどりが心配ならコレ持って、一緒に座り込みしてくれ」 「コレは?」 「お手製プラカード。よくできてるだろ?一昨日は駅前、昨日は境内でストライキしたんだ。今日は村長さんちの前でやる予定」 「ちょっ待っ」 「肺活量に自信ある?君は地声でかいしメガホン使わなくても届くかな」 プラカードを押し付けられた玄が情けない顔で助けを求めるも、茶倉は素知らぬふりで粗茶を啜る。 「吉田さーん、いるかねー」 無遠慮に戸が開け放たれ、間延びした声が響き渡った。 「お客さんが多い日だな。ちょっと待っててください、すぐ戻ります」 吉田が一言断って退室し、玄が長々安堵の息を吐く。 「お袋が心配するわけだ」 「精神的にまいっとるのは確かやな」 詩織は吉田を止めろと言った。現時点で危ぶまれるのは……。 「自殺、か」 娘が消えて十年、警察の捜査は打ち切られた。 独自に情報提供を呼びかけているものの一向に成果は上がらず、最近は村人に避けられ孤立を深めている。 「一応聞いとくけど、前からあんな感じちゃうやろな」 「みどりちゃんがいた頃はもっと明るくてフレンドリーな人だった。カメラが趣味っぽくて、休みの日は奥さんと子供あちこち連れ回してたぜ。今はアラフォーのひきこもり、近所付き合いも絶っちまった」 「権現のこと教えたったんは早計かもな。あの調子じゃ一人で山に駆け込みかねん」 茶倉の予想に玄が青ざめる。 「遭難?」 「熊もでるやろ」 玄関先から押し問答が聞こえてきた。相手は四・五人、いずれも居丈高な高齢者だ。 「アンタの気持ちはわかる。が、いい加減にしてくれ。連日準備を妨害されたんじゃたまったもんじゃないよ」 「よそから大勢人が来るのに」 「みんなで力を合わせて村を盛り上げようって時に水をささんでくれ」 「娘はまだ見付かってないんですよ?」 「本当にすまん、みどりちゃんには可哀想な事をしたと思っとる」 「しかしアンタ……神隠しは百年以上起こらんかったんじゃぞ、備えを怠った咎で儂らを責めるのはちと酷じゃないかね」 「もうわすれるんじゃ。アレは誰のせいでもない、しかたなかったんじゃ」 「みどりちゃんは権現さんにとられたと思って諦めてくれ」 「犯人のせいです。許さない」 「十江村は稲作畑作で成り立っとる小さい集落、稚児行列は祭りの名物。ハレの日はかきいれ時じゃ」 「頼む吉田さん、一日だけでいいんじゃ、こらえとくれ。準備を手伝えとは言わん、一日だけ引きこもってくれりゃあそれで」 「田舎もんはピンポン押さんてホンマやったんか」 茶を啜りながら評す茶倉を恨みがましく睨み、プラカードを脇に伏せた玄が唸る。 「娘がいなくなった親父に向かってあの言い草、胸糞悪いぜ」 吉田卓は稚児行列の中止を求め、遠江神社の境内や村長宅、駅前で座り込みを決行していた。 のみならず駅前で待ち伏せ、外から来た人間に事件の詳細を書いたチラシをばら撒いている。 「押しかけたんは祭りの運営委員か。ご苦労なこっちゃ」 玄関先の言い合いは過熱する一方。感情的に声を荒げる吉田に対し、老人たちも態度を硬化させる。 「揉めそうだな。ちょっと行ってくる」 「頼んだで」 玄の退室を見送り吉田みどりと十江村の名前でスマホ検索をかけたところ、吉田卓が運営しているブログがヒットした。 開設日は十五年前。こちらでも娘の消息に関する情報提供を呼びかけており、コメント欄にはみどりの無事を祈る声や、吉田への同情の声が殺到していた。 軽やかにタップしログを遡る。

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