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第十八話
点滴スタンドが派手な音をたて倒れる。
「無茶いうな、丸二日寝っぱなしだったんだぞ」
「お袋の頼みシカトできねー」
「こらっ、勝手に点滴抜くんじゃねえ!先生看護婦さん早くきてください、練もボサッと突っ立ってねえで取り押さえんの手伝え!」
「断る」
「なんで!?」
「スーツが皺になる」
「使えねえヤツだな!」
個室にて正と玄が親子喧嘩を繰り広げる。騒ぎを聞き付けた医師と看護師が雪崩れ込み、よってたかって玄を宥める。
「暴れないでください、傷が開きます」
「どこ行くんですか」
「吉田さんち」
「待て!」
正が玄の肩を掴む。
「詩織が夢に出てきたってのは本当なのか」
「はなせよ」
「ちゃんと説明しろ」
苦々しげに顔を歪め、反抗的な態度で父親を睨み返す。
「俺は嘘吐かねえよ、知ってんだろ。アンタとじいちゃんにそう育てられたんだ」
「吉田さんを止めろってどういうことだ、あの人の身によくねえ事でも起きんのか」
「ごちゃごちゃうるせえな、わかんねーから確めに行くんだ」
こみ上げる激情を押さえ込むように深呼吸し、口を開く。
「権現は悪い神様じゃねえ、ずっと昔から山に捨てられたガキを守ってきたんだ。実行犯は神主、親は黙認。誰も子捨て子殺しの罪を被りたくねーから、村ぐるみで権現を悪者に仕立て上げたってのが神隠しの真相だ。うちのご先祖様も黙認してたよ」
先祖が関与した残酷な真実を知り、正が息を飲む。病室に重苦しい沈黙が落ちる。
「そうだったのか」
ため息を吐いて顔を上げた時、正の顔には静かな決意が漲っていた。
「……わかった、代わりに行く。お前はまだ本調子じゃねえ、休んでろ」
「お袋に頼まれたのは親父じゃねえ、俺だ。だったら俺が行くのが筋ってもんだろ」
頑なな主張に呆れ、うんざりした調子で説得する。
「ちったあ頭を冷やせ、その調子で殴り込んだってかえって拗らすだけだ。相手は嫁さん死んですぐ娘まで奪われた父親なんだぞ、傷口に塩すり込む気か?ただでさえ今の時期の吉田さんはナイーブなんだ、下手に刺激すんのは賛成しねえ。ここは大人に任せて」
「ほざくな酔っ払い、テメエが頼りねえからこうなったんだろうが!!」
怒りに任せて肩の手を振り払い、十年間ためこんだ鬱憤をぶちまける。
「さっきから聞いてりゃ日和りやがって、それでも成願寺の宗主かよ!十年前の祭りの夜もそうだ、アンタが素面で睨み利かせてりゃ神隠しは起きなかった、みどりが行方くらまして吉田のおっさんが苦しむこともなかった、全部アンタのせいじゃねえか!」
「他の患者さんのご迷惑ですから声を落として……」
慌てて仲裁に入った医者と看護師に構わず、うなだれた父の胸を突く。
「十年前テメエは何した、ご機嫌に酔い潰れてただけじゃねえか。俺たちが毎年接待されたのは村を救った偉い山伏の子孫だから、なのに肝心な時動けなきゃ意味ねえだろが!」
「言い訳はしねえ、神隠しを止められなかったのは俺の落ち度だ。吉田さんにはいくら謝っても足りゃしねえ、先代やご先祖様にも顔向けできねえ」
「わかったらどけ」
「お前の言うとおりだとして、だ。神隠しが間引きの隠れ蓑なら、みどりちゃんは何でさらわれたんだ?」
「知らねえよ!」
激しい揉み合い。医者と看護師がおろおろ行ったり来たりし、開いたドアの向こうに野次馬が詰めかける。
「何、喧嘩?」
「すごい声」
「本物の山伏?初めて見たー」
「煤祓の正さんじゃないか、町に下りて来たのか」
「十年ぶりのお祭りだもの、色々準備があるんでしょ」
「成願寺の宗主は運営に名前を連ねてるし」
煤祓親子と顔見知りの患者たちがさかんに囁き交わす。
「冷静になれ、玄」
「十分冷静だ」
「二日前の出来事は村中に出回ってる」
「は?なんでだよ、俺達以外いなかったろ」
「少しは知恵を巡らせ。山ン中で獣に噛まれて担ぎ込まれたんだぞ、十江村の連中は権現様の祟りだって騒いでる」
「じゃあ祭り中止しろよ、今年もガキが消えっかもしんねーんだぞ」
「村長以下顔役が十年ぶりの名物復活だの村興しだの盛り上がってるから難しいだろうな。俺も掛け合ってみるが時間が」
煮え切らない態度に苛立ち、尖った視線を突き刺す。
「また間に合わなくなんぞ」
詩織の事を当て擦り、ざわ付く廊下に踏み出す。
「俺は行く。テメエはジジイどもの顔色窺ってろ」
「玄」
呼びかけに振り向きざま、唇をひん曲げ吐き捨てる。
「テメエがお袋死なせたんだ」
息子が放った言葉に打ちのめされ、拳を握りこんで立ち尽くす正に対し、容赦なく追い討ちをかける。
「なんでもっと早く帰ってこなかったんだよ。長年夫婦やってんだ、体弱ェの知ってたろ。朝は?頭痛いって言ってたんじゃねえの?」
「詩織は笑っていってらっしゃいって……」
「元気なふりしたのか。あの人らしいぜ」
やりきれない笑みを浮かべ、呟く。
「旦那の飯作る為に毎朝早起きして、昼間は山寺にぼっちで。だだっ広い境内せっせと掃いて、クソ長い廊下に雑巾がけして。そんだけ尽くして、あんな寂しい最期とかアリかよ」
はたして母は幸せだったのだろうか?
両親は恋愛結婚だと聞いた。
玄の目には夫婦円満に映っていたが、夫の留守中俗世と切り離された山寺に取り残され、不満がなかったはずがない。
山伏にさえ嫁がなければ、もっと充実した別の人生を歩めたのではないか?
家族に鬱屈を悟らせまいと気丈に振る舞ったすえ誰にも看取られず息を引き取った詩織への哀惜が、鈍感極まる正への憎しみをかきたてる。
「テメエの二の舞になる気はねえ。あばよ」
二手に分かれた野次馬のど真ん中を突き進み、ソファーと観葉植物、自販機が整然と配置されたロビーに出る。受付を素通りし自動ドアを抜けると同時、背後から声をかけられた。
「おっさんへこんどったで」
「付いてくんな」
口論中は虚勢を張っていたものの腕と脚は熱を持ち、耐え難い激痛を訴えていた。
無視して行きかけ足を止めたのは、続く言葉が意外すぎたから。
「怪我したジブン運んだの誰かわかるか」
「救急車?」
「バイクが乗り入れできん山奥に来れるかい」
怪訝そうに振り向く玄と向き合い、さも嘆かわしげな素振りで茶倉が言った。
「おっさんがおぶうて山下りたんや」
「……嘘だろ」
「ただでさえ気ィ失った人間は重いっちゅうに、図体デカい男にようやるわ」
絶句する玄に並んで囁く。
「麓で待っとる救急車に乗り込んだあと、ものっそい顔で仏さんに祈っとった。寝る間も惜しんで祭りの準備と看病掛け持って、最後の方はフラフラ」
正の目の下のどす黒い隈を思い出す。
「お前だけちゃうで」
疑問の色を含んだ視線を受け、表情を変えず打ち明ける。
「詩織さんの時もおっさんが背負うて下山したんや。三時間かかった」
「聞いてねえ」
「言うてへんし」
父は何も言わず、息子の罵詈雑言に耐えていた。
「成願寺の石段は煩悩の数より多い、救急隊員が担架持って上り下りするんは不可能。ド田舎じゃヘリかて気軽に飛ばせん、あそこは木が密で見通し悪いからな」
玄がマイペースにバイクを飛ばしている間、正は意識不明の詩織を背負い、途方もなく長い階段を駆け下りていた。
「お前に言われるまでもない。はよせな手遅れになるて、あの人自身が一番よォわかっとった」
煤祓正は愛妻を救えなかった自分を今なお責め続けている。故に一切申し開きをせず、詩織と玄を背負って山を下りた事を茶倉に口止めし、憎まれ役を買って出た。
暴言を悔やむ横顔を冷ややかに一瞥、茶倉が皮肉っぽくまぜっ返す。
「大事な時に間に合わんのはお互い様。似た者親子やん」
布団の中で丸まり息を止めた十五年前の夜、すぐそこにいる友達を見捨てた臆病さと卑劣さを嘲られ、スーツの胸ぐらを両手で掴む。
正面入り口で無言のまま睨み合うふたりを、通院患者や見舞客が不審げに眺め通り過ぎていく。
「はなせ。首締められんの苦手やねん」
宿坊の布団の上、触手に首を絞められ喘ぐ姿がまざまざ像を結ぶ。
「……ノーネクタイの理由、それかよ」
泣き笑いに似た表情で手を剥がし、憔悴しきった声を絞り出す。
「練、俺」
「行くで」
虚を突かれた玄に顎をしゃくる。
「何きょとんとしとんねん。道わからんねん、吉田んちに案内せい」
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