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二十五話
「よく言った」
正が莞爾と笑み、指を揃えて九字を切る。
「!ぐっ、」
真言の高まりに比例して体に変化が起こり、自分ではない誰かの記憶が瞼裏を駆け巡る。
山寺の本堂にて、まだ青年といえる風貌の山伏が胡坐を組み、前に正座した幼女に教え諭す。
『お前を引き取ったのは嫁御にするためではない。弥助が頼りないから致し方なく』
『鉄心さまはお優しいから、おらに同情して居候を許してくれたんですね』
『好いた男がいれば添い遂げるもよし、生計の道が立てばどこへなりとも』
『おら、鉄心さまのお嫁さんになりたい』
『馬鹿をいうな、年が離れすぎておる』
『鉄心さまは十八だべ?あと十年待っててくんろ、したらすぐ追い付くべ』
必死に懇願する幼女に困り果て、朴念仁の山伏がガシガシ頭をかく。
『まいったな……』
『鉄心さまには権現さまのとこからおらを連れ戻した責任あるべ。おら、鉄心さまが好きだ。大好きだ』
思い詰めた様子の幼女に縋り付かれ、進退窮まった山伏が一言嘆く。
『これも運命か』
「喝!」
玄の体に霊が下りてきた。鉄心が憑依したのだ。
物問いたげに振り向く玄の目をまっすぐ見据え、正が説明する。
「一人より二人、二人より三人っていうだろ?お前の体に入ってるのは嘗て権現を鎮めたご先祖様だ、これ以上心強い味方はねえ」
「アンタすごかったんだな」
「酷え言い草だな。だてに毎日山駆け回って修行してねえよ」
「体が軽い。腕と脚が動く」
「心頭滅却すりゃ火もまた涼し、ご先祖様の霊験が集中力を底上げしてんだ」
鉄心が下りた影響か、全身に懇々と力が漲って痛みが麻痺する。握力や脚力も強化されたようだ。
「感謝するぜ親父」
細かいことは後回し、今は友人のもとに駆け付けるのが先決だ。全速力で石段を駆け下りる背を見送り、憔悴しきった面差しで正が膝を付く。
「はは、情けねえ。今ので力を使いきっちまった」
上手くいくかどうかイチかバチかの賭けだった。錫杖を支えに立ち上がり、運営のテントに近付けば、吉田と村長が固い握手を交わしていた。
「本日はよろしく頼みます」
「こちらこそお世話になります」
「吉田さん、ちょっと」
「なんでしょうか」
声を低めて吉田を招き、二人して境内を横切る。山伏神楽は佳境にさしかかり、祭囃子が哀愁を帯びる。
「父親同士、あなたとは一度じっくり話してみたかったんです」
「僕も煤祓さんに謝りたくて。先日は運営員会の回し者扱いしてすいませんでした」
「いえ、そういわれたら否定できませんから」
境内の片隅に並んで突っ立ち、静かに述懐する。
「もとはといえば俺が役立たずだったせいです。あの時へべれけに酔い潰れてなけりゃ……」
「一番情けないのは僕ですよ、稚児行列なんかに参加させなきゃ今頃みどりは元気に」
吉田の口調はあくまで穏やかで態度は平静そのもの。正は観察を怠らず話題を変える。
「吉田さんはスローライフに憧れて、ご一家で引っ越されてきたんですよね。以前はどこに?」
「東京です」
「奥さんとは職場結婚?」
「はい、意気投合して。自然豊かな環境で子供を産み育てたいって、前々から計画を立てていたんです」
「十江山に越してきたのは」
「真由美の友人が不動産屋で働いてて、素敵な空き家を勧めてくれたんです。以前住んでらした老夫婦が亡くなって、このまま取り壊してしまうのはあまりに惜しいって」
「竹田さんか。あそこは奥さんに先立たれて、ぼけた旦那が施設に入ることになったんだ」
「うちと似てますね。いえ、僕はまだ健康ですけど」
「真由美さんの癌がわかったのは」
「ここに来てからしばらくして。やけに不調が長引くもんだから病院で診てもらって、それで」
「ショックだったでしょうね」
「とても」
眼鏡の奥の瞳が翳る。
「古民家を買って子供が生まれて、さあこれからって時に……神様は意地悪ですね」
「自宅と病院の往復は大変だったでしょ」
「職場を忘れてますよ」
「そうだった」
「この村に保育園や託児所なんて気の利いた施設ありませんしみどりの世話も大変でした。どうしても都合が悪い時はご近所さんに子守りを頼んで、それができない時はお見舞いに伴って」
「心中お察しします。俺も数年前に家内を亡くしました」
「抗がん剤の副作用に苦しむ真由美を見るのも辛かった。大量に髪が抜けて、頬なんかげっそりこけて、最後の方はまるで別人でした」
「……」
「僕の顔を見ると嘔吐するんです。わざとじゃないのはわかってる。でも辛い」
「だから殺したんですか」
「え?」
吉田が無表情で固まる。
「奥さんの顔に枕を押し付けて窒息させたんでしょ」
「なんで……」
「うちの馬鹿息子とその連れがお呼ばれした際に娘さんの部屋を見たんです。で、文集を開いて」
「みどりの部屋に勝手に入ったのか!?」
ヒステリックな怒号が響き渡り、物見高い野次馬たちが本殿を回り込んで押し寄せる。
「その件に関しては謝ります、すいません。ですが吉田さん、気付かなかったんですか?みどりちゃんの作文……いくらなんでも不自然でしょ」
「アレはみどりが消えたあとに担任に渡されたんだ!作文を読んでみどりを思い出すのが辛くて、ずっと引き出しにしまってあったんだよ!」
ダメ元でカマをかけたものの、態度の豹変ぶりで確信した。
「動機は過労とストレス?」
「ッ」
「日本じゃ安楽死は認められませんからね。それ以前に奥さんの意志が肝心ですが」
「真由美は死ぬほど苦しんでた、楽にしてやりたかったんだ!」
「自分が楽になりたかっただけでは?」
「ちがうっ!」
「治療費が馬鹿になりませんもんね」
正の眼光と言葉が冷え込み、周囲を取り巻く野次馬たちがざわめく。吉田は頭を抱えてうろたえ、眼鏡の奥の目をさかんに瞬く。
「真由美さんは頑張ってるところを見てもらいたいって言ったそうですね。そんな人が安楽死を希望しますか?一日でも長く延命し、子供と共に過ごす事を望むんじゃないでしょうか。ましてや愛する夫を人殺しにするなんて」
「知ったふうな口きかないでください。どれだけ身を削って尽くしたと」
「みどりちゃんにしたことはなんて言い訳するんです」
境内にアナウンスが響く。
「ああ、こんなところにいた。何してんだい吉田さん煤祓さん、早く持ち場に就いてくれ」
二人を迎えに来た村長が異様な雰囲気にたじろぎ、正と吉田を見比べる。
「もうすぐ稚児行列が出ちまうよ」
「この人を行かせちゃだめだ」
急かす村長を片手で制し、ただならぬ気迫をこめて吉田を糾弾する。
「アンタの計画はお見通しだ。倅と連れがずたぼろマットを見ちまったんだ」
玄と茶倉が死地に臨んでるのに、自分だけ安全圏で居直るわけにいかない。
決死の覚悟で踏ん張り、硬直する吉田にむかい手をさしのべる。
「さあ、渡せ」
運営員会の面々が人垣をかき分け勢ぞろいし、予想外の成り行きに固唾を飲む。
「ううっ、うっ……僕はただみどりを……」
「今なら未遂ですむ。父親なんだろアンタ、子供を傷付けようなんて考えるな!」
吉田が懐から包丁をとりだす。野次馬が青ざめる。
震える両手に柄を握り締め、鋭い切っ先を正に向け、吉田がブツブツ呟く。
「みどりを愛してるんだ」
「いかん!」
吉田が地面を蹴って疾走し、ケダモノじみた奇声と共に全体重を乗せた包丁を突き出す。
刹那、正が動く。
人垣の前列にいた幼い兄弟を守る為、咄嗟に両手を広げ立ち塞がった山伏の腹に、根元まで深々包丁が埋まった。
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