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二十四話
祭り当日十江神社。
境内には赤々と篝火が焚かれ、観光客や村人たちが和気藹々喋りながら夜店を覗く。
串刺しにしたりんご飴や棉飴、チョコバナナを持った男の子や女の子が駆け回る中、運営テント付近には稚児装束に着替えた子供たちが待機していた。
「出番まだかなあ」
「この服へんー」
「じっとして、着付けできないじゃないの」
我が子の傍らに跪き、衣装の乱れを直してやる保護者たちを、パイプ椅子に掛けた運営委員会は感慨深げに見守っていた。
「十年ぶりの祭りじゃわい」
「色々あったが無事この日を迎えられてよかったよかった」
「肩の荷が下りますわい」
「駐車場も満車じゃよ」
ご満悦の相で頷き合い地酒を酌み交わす。そこへ自警団のリーダーが顔を出す。
「もうすぐ山伏神楽が終わるけど、稚児行列の準備はできてるかい?」
「無論じゃて」
「前回はさんざんだったからのゥ。今回は良い思い出で締めくくりたいわ」
「十江村の面目躍如ですな」
「なあに、これだけ盛大にやれば権現様も気に入るじゃろうて」
境内に犇めく夜店と活況を呈す人出を見回し、自信たっぷりに豪語する村長に隣の席の老人が聞く。
「そういや吉田さんは?姿が見当たらんが……」
「散歩にでとる。出発までには帰ってくるそうじゃから心配いらんぞ」
「あの人には悪いことをしたなあ。娘さんがまだ見付からないのに」
「みどりちゃんはどこへ行ってしもうたんだか」
「権現さまにとられてお山の子になってしまったのか」
運営委員会の面々が口々に懺悔を述べ、十年間行方不明のみどりの消息を案じる。
彼等とて吉田には同情していた。が、稚児祭りは数百年続く十江村の伝統。特段の名物がない田舎では客寄せが見込める貴重な行事であるからして、永遠に休むわけにもいくまい。
再開を後押しした背景には、事件を忘却し始めた世間の風潮に加え、運営委員会をはじめとする村人たちの慢心も関係していた。
白髪を几帳面に撫で付けた村長が、紙コップを両手に包みため息を吐く。
「儂らも七ツの年に稚児行列に参加した。が、こうしてぴんぴんしとる」
「神隠しなんぞ子供だましの迷信と思って、誰も本気にしとらんかった」
「記録が残ってるわけでなし、年寄り連中の口伝だけだからの」
この場の誰一人としてみどりが消えるまで、神隠しの現場に立ち会った経験がなかった。
もちろん権現の姿を見たことはなく、今もって山神の犯行かどうか半信半疑の者も多い。吉田に倣って誘拐説を唱える村人もいる。どちらにせよみどりが生存している可能性は絶望的に低い。
村長が憂鬱そうに眉根を寄せ、酒を含む。
「稚児合行列は本来子供の無病息災を祈る催し。その本質をはき違えてはいかん」
「東京でずにーらんどだって人が消えても運営を続けるしの」
「極論祭りをせんでも日本のどこか、いや、世界のどこかで毎日のように子供は消えてるんじゃ」
「やりきれん話じゃて」
無力を噛み締め黙り込む運営委員たち。出番を待ち侘び騒ぐ稚児たちに視線が吸い寄せられ、その目に決意が漲る。
「なればこそ、今年の稚児行列は絶対に成功させるぞ」
「十江村の汚名返上じゃ」
「警察とも連携して警備は万端」
「権現さんなど怖くないわ」
「儂らのちーむわーくで稚児たちを守り抜くぞ!」
「「おおー!」」
老人たちが気勢を上げて一致団結、紙コップで乾杯する。自己本位な言動は否めないが、彼等もまた過疎化が進む村の将来を憂い、展望を語り合っていたのだった。
運営委員の決意表明を少し離れた場所で見守りながら、山伏装束に着替えた正は念珠をもてあそんでいた。
父と揃いの錫杖を携えた佇まいは、天狗の威風を備えた精悍な山伏といったところ。
神楽殿では勇壮な山伏神楽が演じられている。
豪華絢爛な金獅子が足踏みして踊り狂い、びょうびょうと靡くたてがみが篝火に照り輝く。立ち見客の拍手喝采。和太鼓の低音と笛の高音が絡み合い、甲高く澄んだ鉦の打音が清冽な波紋を広げる。
権現の定位置は神楽殿中央の|神座《かむくら》。対に配置された踊り手は童子を模した能面を被り、優雅に舞い踊る。
「気味悪ィ面」
玄の悪態に隣で錫杖を突いた正が注釈を挟む。
「童子面の起源は十七世紀江戸時代の人気演目、『菊慈童』『石橋』に登場する永遠の命を得た子供らしいぞ」
「へえ」
父親の指摘を受け観察すれば、権現を挟んで廻る童子たちは山神に傅いているように見えた。
「……なんて。練のうけうりだがな」
「だろうと思った」
「名門大卒は物知りだ」
権現が強靭な顎を開いて童子の頭を齧るふりをし、一度伏せった踊り手がまた息を吹き返す。山神の眷属として甦った隠喩だろうか。
躍動感漲る神楽を見上げ、火影が彩る神楽殿の脇に立ち、正が不器用に尋ねる。
「あ~……体の調子はどうだ」
「まあまあってトコ」
「石段上る時傷開かなかったか」
「山歩きするよかマシ」
「確かに」
玄は正の肩を借りて神社の石段を上った。父の肩は逞しく、懐かしいぬくもりが記憶を刺激する。
「小せえ頃はよく肩車してくれたよな」
「そうだっけ。忘れちまった」
「俺も一緒に行くって駄々こねて、修行にでかける親父をずいぶん困らせた」
「詩織が押さえ込んでる間に慌てて逃げたっけ」
小さい頃の玄はなんでも父親のまねをしたがった。
子供の視点から仰ぐ父の背中は頼もしく、大きくなったらこの人みたいになりたいと憧れた。
「なあ親父、本当のこと言えよ」
「なんだよ」
正の顔がぎくりと強張る。玄は無視して切り込む。
「熊と素手で戦って勝ったって武勇伝。酔っ払った時の十八番。嘘だろあれ」
「嘘じゃねえよ真っ赤な真実だよ」
「百歩譲ってツキノワグマはねえよ、絶滅してるじゃん」
「三十年前はまだいたんだよ!」
「てこたあ親父が絶滅させたんだな、動物保護条例に違反すんじゃねえの」
「う゛っ」
墓穴を掘った。
大袈裟に呻く正に流し目をよこし、ほんの僅か口元を緩め、また表情を引き締め直す。
「作戦成功するかな」
「さあな。練の奴は自信満々だが」
「まどろっこしいまねしなくても運営委員のジジイども説得して吉田の身体検査すりゃいいじゃねえか、そっちのが安全だろ。てかさ、権現を担ぎ出すって簡単に言うけど向こうは神様だろ?ただでさえ神隠しの濡れ衣着せられて人間嫌ってんだ、ホイホイ下りてくるわけねー」
ここぞと不満をぶちまけ、錫杖の尻で癇性に地面を叩く。正はあきれる。
「練と喧嘩したのか」
「喧嘩ならしてるよ。十五年前からずっと」
今頃気付いたのかと嘲り、覇気を失い俯く。今度は正が指摘する番だ。
「正直に言え。練が心配なんだろ」
「ちげえ」
「今すぐ飛んで行きたいんだろ」
「うるせえ」
「強情張んな、パパには全部お見通しだ」
「偉そうに」
山伏神楽を並んで見物するうち、両親と参加した祭りの記憶が鮮やかに像を結ぶ。
若き日の正は水風船で遊ぶ息子を肩車し、浴衣姿の詩織が寄り添い歩いていた。
「……お袋をおぶって山下りたってマジなのか」
一瞬の間。
「ああ」
「どうしてもっと早く言わなかったんだよ」
「言った所で詩織が死んだのは変わんねえ」
「俺の時も?」
「恩着せてほしいのかよ」
玄が虚しく口を開閉し、父親そっくりの頑固な横顔で呟く。
「……すまなかった」
胡乱げに流れてきた視線を受け止め、さらに詫びる。
「さんざん酷えこと言って悪かった。お袋を殺したなんて言い過ぎた。自分が間に合わなかったの棚に上げて、アンタ一人を悪者扱いで責め立てた」
「お前は間違っちゃない。もうすこし早く帰ってりゃ詩織は」
「山の上に救急車はこれねえ。どのみち手遅れだった。医者も言ってたじゃん、倒れた時打った場所が悪かったって。一日中目ェ離さずにいるなんて無茶だ、運がなかったんだよお袋は」
そんな単純な事実を受け入れるのに数年かかった。最愛の母の死を誰かのせいにしなければやりきれず、父に当たり散らした未熟さが今さらながら恥ずかしい。
「お袋が死んだのはアンタのせいじゃねえ」
「お前のせいでもねえ」
少しだけ大人になって歩み寄り、父を許す。
正も不器用に微笑み、背丈が並んだ息子の頭をわしゃわしゃかき回す。
「練に聞いたのか、それ」
「ん」
「岩手の銘酒もたせねーとな」
親子の仲を取り持った功労者は今どうしているのか。篝火に明るむ神社と対照的に十江山は闇に沈み、不気味に静まり返っている。玄の視線を追って十江山を睨んだ玄が錫杖を握り直す。
「来い」
「いきなりなんだよ」
玄の手首を掴んで本殿の後ろに回り込むや、その額に錫杖の先端を突き付ける。
「ダチを助けにいけ」
『練くんと仲直りして』
現実の声に幻聴が重なり、父と母の姿がだぶる。
「いきなり何」
「我慢してんのが見え見えだ。権現は強え山神、練一人じゃ苦戦する」
「アイツは天童で」
「それがどうした、たまさか集められた術者のたまごん中で一番強えってだけの話じゃねえか」
「だけって」
唐突な発言に混乱を極め、呆然とする玄に傲然と詰め寄り、煩悩を浄めるように錫杖を鳴らす。
「練の相手は神様だ、きゅうせん様が憑いてようが簡単にゃいかねえよ」
「わかっててどうして行かせた」
「お前が追っかけてくって信じたからだ」
白い歯を見せて笑い、風切る唸りを上げて錫杖をぶん回す。
「お前はどうしたい玄。行くのか行かねえのか今決めろ」
そんなの決まってる。
どんなに恥かかされたって、茶倉の事が心配なんだ。
失禁の醜態を暴かれてからこちら目を合わせずにいたのは、自分の情けなさに嫌気がさしたから。
「練と仲直りしてえ」
口してみればとても単純なこと。
「逃げ出すのはこりごりだ、十五年前みてえに惨めな思いはしたくねえ、今度こそ練を守りてえ。いまさら軽蔑されたって痛くも痒くもねえよ、こちとら十五年自分を軽蔑し続けてきたんだ、あの時ああしてりゃよかったって寝ても覚めても馬鹿みてえに悔やみ抜いてきたんだよ!」
あの頃みたいに笑い合いたい、また一緒に遊びたい、兄と弟のような関係に戻りたい。
お前の信頼を取り戻せるならなんだってする。
それこそまさに煤祓玄の悲願。
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