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第1話 転職

 仲里忍(なかざとしのぶ)のマンションに、ある晩突然友達が訪ねてきた。  スーツ姿にリュック、スニーカーというとても会社帰りだとは思えない奇妙なスタイルで。  まるで旅行にでも出るように、リュックとトランクにはいっぱいに荷物が詰められているようだ。   「なんだ……お前、海外出張でも行ってたのか」 「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。今晩、ちょっと泊めてくれねえかな?」  親友、沢田章吾(さわだしょうご)。  同郷で同じ高校の出身なので、東京へ出てきてからもずっと親しくつき合っている。  大学は別々だったが週末には行き来しながら交友は続いていた。  仲里にとっては唯一の友達。  沢田は仲里のマンションから30分ほどの場所にある会社の社員寮に住んでいる。    ……はずだった。   「泊まるのはいいけど……明日も仕事なんじゃないのか?」 「ん……まあ、ちょっとあとでゆっくり話すよ」 「ま、とりあえずあがれよ」    何か事情がありそうな様子だ。  こいつがこんな顔してやってくる時には、相談でもあるのだろう。  長年のつき合いだから、顔を見ただけでわかってしまう。  沢田はほっとしたような顔をして、仲里の部屋へあがりこんだ。   「飯は食ったのか?」 「いや、実はお前が帰ってくるの待ってたんだ」 「なんだ、電話くれたら良かったのに。残業だったんだ」 「うん……まあ、俺の一方的な頼みごとだからさ」    どうやら、何か頼みがあるらしい。  隠し事の出来ない沢田は少しバツの悪そうな顔をしてソファーに腰を下ろした。   「何か食うか?……って言ってもたいしたもんないけど」 「いや、いい。それよりも先に話を聞いてくれないか」    沢田の深刻な様子に仲里は何か切羽詰まった事情でもあるのか、と足を止める。   「実はさ……しばらく居候させてもらえないかと思って」 「居候って……そりゃあ構わないけど、お前、会社の寮にいられない理由でもあるのか?」    沢田は言いだしにくそうに少し俯いていたが、意を決したように口を開いた。   「辞めたんだ、仕事」 「なんでまた突然……」 「突然ってわけでもないんだけど」    口ごもる沢田に、仲里は変だな、と感じる。  営業のことで愚痴をこぼすことはあっても、簡単に音を上げるような奴じゃない。  何かよほどの事情でもない限り、突然仕事を辞めるなどとは考えられないし、辞めたら寮を出なければいけないことぐらい分かっていたはずだ。   「居候は構わないが、それでお前、仕事どうするつもりなんだ」 「ああ、とりあえずバイトのあてはあるんだ。そんなに長い間世話になろうと思ってるわけじゃない」 「いや、別にいつまでいてくれてもいいんだけどさ。どうせひと部屋使ってないようなもんだし」    仲里のマンションは一人暮らしにしては広い2LDKで、沢田と飲んだあとなどは泊まりにくることもしょっちゅうある。  普段使っていないほうの部屋には沢田の私物が置いてあるぐらいなので、寮を出なければならないのであればしばらく同居でも構わないと仲里は思った。  仲里自身、仕事が忙しくて帰宅は深夜になることが多く、寝に帰っているだけのようなものだ。   「飲むか? ビールならあるぞ」 「ああ、サンキュ」    冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出して渡すと、沢田は喉が渇いていたのかうまそうにゴクゴクと飲んで、大きなため息をついた。  言い出しにくいことを告白できて、ほっとしたような顔つきだ。   「まあ……お前が話したくないというなら事情は聞かないが、しかし大変だな、突然の転職だなんて」 「ま、俺には営業は向いてなかったんだよ。俺、押しが弱いしさ」 「愛想はいいのにな」 「愛想だけじゃ成績は上がらないさ」 「で、何のバイトするつもりなんだ?」 「……ホスト」 「はあ? ホスト?」    仲里は思わず絶句する。  こいつは何か金にでも困って、変な道へ走ろうとしているのではないか。   「は、早まるなよ、いくら会社辞めたからってヤケになって水商売に走らなくても……」 「別にヤケになんかなってねえよ」 「なら、なんで……お前、金に困ってるのか? たいしたことは出来ないが少しぐらいなら俺もなんとかしてやれるぞ?」 「ああ、いや、そうじゃないんだ」    沢田は金の面倒まで見てもらうつもりはない、というようにあわてて首を振る。   「大学の時の先輩がさ。店やってるんだよ。前からウチで働かないかって誘われてて。次の仕事が見つかるまでのつなぎのつもりなんだけど」 「だけどいくらバイトだからって、ホストなんかやらなくても……」    第一、できるのか? そんなこと。  昨日までコピー機を売ってたやつが、突然不特定多数の女を相手に仕事をできるのか?  押しが弱くて営業に向いてないと言ったやつが、押しが勝負のホストに転職をするなんて無謀すぎやしないか?    ……しかし考えてみれば、沢田はいわゆるイケメンだ。  体格もいいし、派手なスーツでも着せればそれなりにホストに見えなくもない。    そう言えば高校時代は案外モテていて、女子にも告白されていたっけ、と仲里は思い出す。  それでも特定の彼女を作ったところは見たことがないから、女好きでもないんだろうけど……  「住むところも世話してくれるって言ってくれてるんだ。とりあえず一週間お試しで働いてみて使えるようなら社宅扱いでワンルームに入れてもらえるらしい。だから、お前のところに世話になるのは1週間だけでいいんだ」 「まあ、知り合いの店だっていうなら反対はしないが……だけどよく考えろよ? 一生ホストやっていくつもりじゃないんだろ?」 「そんなつもりはないけど、でも、手っ取り早く稼げるらしいから。それから転職してもいいかな、と思ったりして」 「お前がホストねえ……できんの? 営業より向いてないような気がするけど」 「さあ、どうなんだろ。働いてみないとなんとも。ホストクラブなんてテレビでしか見たことねえしなあ。だけど、先輩にお前は向いてるって言われたんだよ」 「お前がホストに向いてるって? 女にもててナンボの仕事だぞ?」 「あ、俺、案外モテるんだぜ。知らないだろうけど」 「知ってるよ。だけどなあ……仕事で女をくどいたりするんだろ?」    仲里は渋い顔をする。  職業に貴賎はないとは思うのだが、営業マンからホストというのは、あまりにも畑違いすぎる。   「くどいたりはしないさ。俺は枕営業なんてしないし、ホストがいちいち女をくどいてたらキリがないだろ?」 「そういうものなのか」 「心配するなよ。一週間やってみて向いてないと思ったら俺も考えるさ」 「ま、なんにせよここにはいつまでいてくれても構わないから、よく考えろよ。無茶はするな」 「ああ、悪いな。なるべく早く立て直したいとは思ってる」

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