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第34話
翌朝、朝霧はようやく正午少し前に起きると、夏川お手製のホットケーキ、フルーツなどを食べ、15時過ぎに夏川の車の助手席に乗りこんだ。
「出発するよ」
今日の夏川はざっくりとしたホワイトのニットにジーンズを合わせ、眼鏡をかけていた。
そう視力は悪くないはずだが、夏川はたまに黒縁の眼鏡をかける。
朝霧が会社でしているような眼鏡とは全く異なる、おしゃれな眼鏡は、夏川によく似合っていて、一度でいいからそれを付けたままヤッてみたいと密かに朝霧は望んでいた。
「道、空いてて良かった」
運転をする夏川に見惚れていた朝霧はハッと意識を会話に集中させた。
「うん、送ってくれてありがとう」
「何言ってんの。帝が終電逃したの俺のせいじゃん」
「うっ、いや、でも俺も結局楽しんだし」
「それは知ってる」
夏川はそう言うと機嫌良さそうに笑い声をたてた。
夏川のマンションから車で1時間ほどで、朝霧の自宅に到着した。
「送ってくれてありがとう」
助手席に座る朝霧の頬にそっと夏川が触れた。
その瞳には別れがたいという想いが、ありありと浮かんでいた。
「連絡するから……来週また、やどり木で」
「うん」
朝霧は夏川と見つめ合いながら頷いた。
朝霧はこの夏川の表情を信じて、ちゃんと付き合おうと自ら言えばいいのかもしれないと考えた。
しかし今日もその言葉は朝霧の口からでなかった。
朝霧は車を降りると、走り去っていくBMWを見送る。
ため息をつき、朝霧はアパートの階段を登り始めた。
玄関の扉を開けると、どこか饐えた匂いを感じ、朝霧は窓を全開にした。
本当だったら送ってくれた夏川に、お茶でもだしたかったのだけれど。
そんなことを考えながら、朝霧は1LDK、家賃7万5千円の部屋を見渡した。
足元には雑誌や部屋着などが散らばり、床はほとんど見えない。
こんな部屋見たら、流石に夏川も引くよな。
朝霧は料理だけではなく、家事全般が苦手な男だった。
来週はいい加減部屋の掃除をしなければと考えながら、朝霧はリュックから高級なスーツを取り出した。
ふわりと麝香の香りが漂う。
夏川の付けている香水の香りだった。
それを嗅いだだけで、朝霧の体は熱を帯びた。
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