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第1話 嫁にほしくなるほどのカレ(1)
《台所は女の城》というのも時代錯誤で、「女だからこうあるべき、男だからこうあるべき」というのも過去の話だ。
今は共働きも当たり前になってきているし、家事を分担する家庭がほとんどだろう。
まあ何にせよ、独身者が増加している昨今では、男だって家事の一つや二つできなければやっていけない世の中ではあるのだが――坂上諒太 は思う。それはそれとして、“できすぎてしまう”男もいるのか、と。
月に一度、市民センターで開催される料理教室。諒太の視線の先にあるのは、手際よく野菜を切る青年の姿だった。
諒太よりやや年下で、おそらく二十歳そこそこ。大学生といったところだろうか。長身で利発そうな顔立ちをしており、短く切りそろえられた黒髪にも清潔感がある。なによりも堂々とした印象で、姿勢がよく、動きのひとつひとつに無駄がない。
料理教室は定員十二名のなか、四人一組で実習をする形式だ。受講生は主婦層と思しき女性が多く、男性は諒太と彼の二人だけ。そのようなこともあり、諒太は彼と同じグループになったのだが、その存在感たるや凄まじいものがある。
他の受講生に比べ、包丁さばきからして明らかに違う。彼は常に周囲の注目を集めており、諒太もまた、見惚れるようにその姿を追っていた。
「すっげえ。嫁さんにほしいくらいだ……」
思わず声に出してしまい、諒太は自分の口を手で押さえる。我ながら何を言っているのだろう――ハッとするも、もう遅い。
「はあ、嫌っすけど」
ばちっと本人と目が合い、整った眉を寄せられる。ついでに、隣にいた講師にクスッと笑われてしまった。
「いや、ごめんよ……今の忘れて」
言って、諒太は苦笑いを浮かべた。こんなことを口走ってしまうなんてどうかしている。穴があったら入りたいとはこのことだ。
(気まずっ!)
相手はさして気にしていない様子で、淡々と調理を続けていたが、諒太としては気が気ではない。
今日が第一回目の料理教室だというのに、いきなりの失態で最悪だ。しばらく諒太は、まともに顔を上げることができなかった。
やがて調理が終わると、グループで作った料理がテーブルに並ぶ。
新じゃがを使用した肉じゃがをメインに、梅としらすのおかかご飯、ほうれん草の白和え、春キャベツとしめじのみそ汁――昼食にしては少し重いが、見た目にも美しく、あっさりとした味付けでつい箸が進んでしまった。
その後、受講生たちの多くは帰り支度を始めていたが、なかには講師と話をしたり、そのまま井戸端会議を楽しんだりする者もいた。
無論、諒太はそんな輪のなかに入れるわけもなく、早々に荷物をまとめて退散しようとする。
と、ロビーに出たところで、ふいに背後から「あの」と声をかけられた。
「すみません。俺、冗談とか通じなくて」
振り返れば、例の彼が立っていた。どうやら諒太を追いかけてきたらしい。
「あー、いいってそんな。俺もどうかしてたというか」
冗談の類ではなかったのだが、わざわざ訂正する必要もないし、そういうことにしてもらった方が助かる。そう思った矢先、
「まさか本当に?」
「ちっがーう! 確かに料理の腕に惚れ込んだのはあるけど、俺のタイプじゃないしっ」
「?」
勢いづくあまり、いらぬことを言ってしまった。咳払いをし、努めて平静を装いながら口を開く。
「にしても、君ほんとすごいね。あんなに手際良くできるんだもん。びっくりしたよ」
「それほどでも。うち小料理屋なもんで、たまに手伝いをしては覚えたっていうか」
「ああ、だから慣れてるのか。じゃあ将来は店を継いだり、とか?」
「一応そのつもりですけど、まだまだ勉強の身っすよ」
「はー、真面目なんだねえ」
諒太は感心して言った。
先ほどまで気まずさを感じていたのが嘘のようだ。いざ話してみたら、意外と気さくな男で親しみやすい。
「方向どっち?」と訊くと駅の方を指差したので、それからは歩きながら話すことにした。
「俺なんか、料理はからっきし駄目だから尊敬するよ」
「でも、ちゃんと覚えようとしてるじゃないすか。男で料理教室通おうって人、なかなかいないと思います」
褒めてくれているのだろうか。必要に迫られただけにすぎないのだが、悪い気はせず、なんだか照れくさい。
「まあね、子供にあったかい手料理食わせてやりたくって」
「お子さんいたんですか」
「つっても、姪っ子預かってるだけだよ? 姉貴の子供で、これがまた可愛いんだ」
「姪っ子」
合点がいかないらしく言葉を反芻した彼に、諒太は笑みを浮かべながら説明する。
「嘘みたいな話なんだけど、姉貴が離婚してたうえに蒸発しちゃってさ。そんで、きちんとした親のもとで暮らせるようになるまで、俺が保護してるんだ」
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