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第1話 嫁にほしくなるほどのカレ(2)
「そんなことって……あるんですか」
「だよなあ。実家に顔出さないと思ったらこれだもん、あまりに身勝手すぎて参っちゃうよ。俺だってまだ二十四だよ? 社会人二年目! 学生気分だって抜けきってないし、ンな責任取れるかっての」
「まあ、それくらいの歳なら子持ちの人もいると思いますけど……」
「それはそれ、これはこれ。でもさ、その姪っ子が本当に可愛くって。施設は嫌みたいだから、うちの親が引き取る予定だったんだけど、『おじちゃんがいい』って言いまくるもんで……はは、断れなかったんだよなあ」
今まで実家に来たこともなかったし、いきなり歳食ったジジババというのも嫌だろうなあとは思っていたのだが、まさかこのような事態になろうとは。
手続きを経て、先月から正式に預かることになったものの、やはり不慣れなことだらけで目まぐるしくてかなわない。
「そんなこんなで、ご飯くらいはちゃんとしてやりたくってさ。とりあえず料理教室に通おうと思ったんだよねなんて――うわ、なに身の上話とかしてんだろ。いきなりごめんな?」
「いや、いっすよ。なんつーか、偉いなって思いました」
「偉い?」
「だって、子供の面倒を見るって大変だと思うし。不慣れなことでも頑張っているのは、フツーに考えて偉いでしょう。……とかって、先生に対して失礼っすかね?」
「う、ううんっ。なんだか嬉しい――やって当然のこと褒められるのって、くすぐったいもんだな」
そんなふうに褒められるとは思いもしなかった。はにかみつつ諒太は頭を掻く。
が、遅れて「ん?」となった。
「確か、坂上先生……でしたっけ? ちょうど仲良くなりたいと思ってたし、正直言うと、プライベートなこと話してもらえて嬉しいかも」
「えっ、あ?」
「あの教室、男って俺ら二人だけじゃないですか。奥様方が多いし、ちょっとやりにくいっていうか」
「ああ、そーね! 確かに――って」
今、「先生」と言わなかったか。しかも、「坂上先生」と名前で。
諒太は公立高校の非常勤講師(地歴科・および公民科)のほか、兼業が認められているため、塾・予備校講師の掛け持ちをしている。
てっきり大学生だとばかり思っていたが、相手は高校生――しかも自分が授業を受け持っている生徒だというのか。
目を丸くする諒太を尻目に、彼は言葉を続けた。
「Y高校三年四組、橘大地 です。先生、やっぱり気づいてなかったんだ」
名前を聞いても、いまいちピンとこない。確かにそのクラスは諒太の担当ではあるけれど、まだ着任したばかりということもあって、生徒の顔もろくに覚えていなかったのだ。
「ご、ごめんな! ほかにも塾講師とかやってるからどうにもっ」
情けないことこの上ないが、言い訳しかできない。橘は軽く笑みを浮かべた。
「俺って影薄いし、そんなことだろうと思ってました」
「いや、薄いか? 目立つ方だと思うけど……」
「学校だとそんなもんっすよ。でも、これで認知してもらえたワケだし、成績もちょっとは色付けてもらえると」
「いやいや、そんなのできるかって」
「わかってますよ、冗談っす」
「……君、冗談言えたんだ」
「先生も人間なんだなあって、今日で親近感が湧きましたし」
そう言う橘はどこか楽しげで、諒太もなぜか気分が高揚するのを感じた。
「言っておくけど、仕事とプライベートは分けるし、きちんとお互いの立場を守ること」
念のため――自分にも言い聞かせるように――釘を差しておくと、彼は素直に頷く。
そして駅への道すがら、二人は他愛のない話をしたのだった。
橘と別れたあと、諒太はその足で保育園へと向かった。
「美緒 、おまたせ! 帰ろうっ!」
声をかけると、姪の美緒が嬉しそうな顔をしてトテテッと駆け寄ってくる。
美緒は五歳の元気いっぱいな子だ。最初こそ人見知りをしていたものの、今ではすっかり打ち解けていた。
「えへへっ、りょうたくん!」
舌足らずな声で名前を呼ばれ、思わず相好が崩れてしまう。甘えん坊なところもあって、そこがまた可愛いのだ。
「おかえりなさい」と出迎えてくれた保育士の先生から話を聞き、今日一日の様子を知る。どうやら、いつもどおりのようで安心した。最後に軽く挨拶を交わしたあと、諒太は小さな手を引いて歩きだす。
諒太の住むアパートまでは、ゆっくり歩いて十分ほどの距離がある。その道中、保育園での出来事を話すのが日課となっていたのだが、
「りょうたくん、なんかいいコトあった?」
ふと、そんなことを訊かれた。
「えっ、なんで?」
「だってね、なんかうれしそうだからっ」
彼女にはそんなふうに見えているのか。自分でもどことなく自覚があるぶん、こうも真っ直ぐに言われると面映ゆいものがある。
(講師とはいえ、生徒からしたら教師と変わらないワケだし……グレーといえばグレーだけど)
橘と話してから妙にすっきりとした、心地のいい感情を感じていた。もちろん、あくまで立場はわきまえているつもりだけれど、心が弾んでいることは否定できない。
「新しいお友達が、できたからかなあ」
ぽつり、と諒太は呟いた。
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