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第2話 元気の出し方/恋の予感(2)
◇
翌日。諒太は美緒を保育園に預け、市民センターへ向かっていた。今日は月一度の料理教室が開催される日である。
いつものように電車に乗り、最寄り駅で降りてから徒歩で数分。到着すると、すでに受講生が集まっており、講師が来るまで雑談していた。
諒太はバッグの中からエプロンを取り出して身につける。と、そこへ橘が現れた。
「おはようございます」
「おはよ……って、なんだよ人の顔じろじろ見て」
挨拶してきたかと思えば、なぜか凝視してくるものだから、諒太は訝しげな視線を向けた。しかし、橘は眉一つ動かさず、
「いや、目の隈がひどいなと思って」
「あ、マジ……?」
「うっす。眠れてないんすか?」
「んー、ちょっとな」
昨晩の出来事を思い出して苦笑を浮かべる。諒太が曖昧に言葉を濁すと、それ以上追及してはこなかった。
「……そっすか」
が、気になってはいる様子で、視線を外しても横目でチラチラと見てくる。
あまりにあからさまなのがおかしく思えて、諒太は小さく笑った。
「なんつーか、ストレスに感じることがあってさ。そういうの、橘はどうやって解消してる?」
代わりにそのような質問をしてみると、橘はきょとんとした顔つきになった。言わんとすることは、なんとなくわかる。
「今、『大人なのに』って思っただろ。そうだよな、そりゃ子供じゃないんだから、自分のご機嫌くらい自分でとれよって話だろうな」
「いや、さすがにそこまでは。ま、月並みですけど――美味しいもの食べて、好きなことやるのが一番なんじゃないっすかね」
「……ははっ。大人になるとな? 悲しいもんで、自分の好きなものとかもわからなくなっちゃうんだよ」
「うわ……」
諒太が自嘲気味に言えば、橘は引いた表情を見せた。それから、少し考えるような仕草をして、
「じゃあ遊びましょうよ、俺と」
「え?」
今はこうして気さくに話しているけれど、学校ではまったく違う。言わずもがな、ほかの生徒と同じように接しているし、滅多なことでは話をすることもない。
だからこそ、思ってもみなかった誘いに諒太は目を瞬かせた。
(特定の生徒とそこまでいくと、さすがにマズい……よな?)
はっきりと禁止事項として定められているわけではないが、暗黙の了解としてどうなのだろうか。教職者であるならば、生徒たちとの接し方について慎重に考える必要がある――とは重々承知しているが。
(せっかくこうやって誘ってくれてるんだし。って、いやいや! 私情を優先するのは……)
どう返事をしたものか迷っていたら、微かに橘の顔が曇った気がした。
「誰かと遊ぶのって、いい気分転換になると思ったんですけど……やっぱ駄目っすかね?」
ぐらり、と決意が揺らぐ。橘の声がどことなく寂しげに聞こえて、諒太はたじろいた。
「い、いいんだけどさっ! でも、姪っ子いるしっ」
「だったら、先生の家に遊びに行くってのは? 一緒にご飯作って食べるとか、そういった軽いのでもいいですし」
「………………」
ただ純粋に息抜きをしようと誘っているだけであって、これといった他意はないのだろう。純粋な気持ちが伝わってきて、胸がじんわりとあたたかくなる――結局のところ、教職者だって人間なのだ。
諒太は言い繕うのもやめ、悩んだ末に決断を下した。
「姪っ子がびっくりしちゃうかもしんないから、確認とってからでいい? あと、そっちも親にちゃんと話しておくこと」
言うと、橘は頷いて、少し嬉しそうな表情を見せたのだった。
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