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第2話 元気の出し方/恋の予感(1)
「だから、あんたとはもう会わないつったろ。既婚者で、ましてや子供もいるとか聞いてなかったし……ありえねーよ」
うんざりした口調で諒太が言い放つと、スマートフォンの向こう側で相手が黙り込んだ。
だが、それも一瞬のことで、「今でも諒太が好きだ」などと言ってくるものだから、開いた口が塞がらない。
相手の名は大道寺啓介 。三十代前半で外資系企業に勤めており、諒太とは三か月ほど付き合っていた間柄だ。
ヒゲ面の男でとにかくガタイがいい――いわゆる《ゲイにモテる容姿》とでも言ったらいいだろうか。アンニュイな雰囲気を漂わせているものの、話してみるとわりと優しくて紳士的だった。セックスの相性もよく、一緒にいて楽だと思ったからこそ交際を続けていたのだが、まさか妻子持ちなのを隠していたとは。
(まあ、どうせ今回も長続きしないとは思ってたけど……)
こう見えて、諒太は根っからのゲイセクシャルである。自覚したのは中学生の頃で、それ以来、同性としか付き合ったことがない。
男同士の恋愛なんて所詮は《ヤリ目》の関係だ。どのような相手とも長く続いた試しがなく、その程度のものだと割り切っていた。ただ、さすがに今回は話が変わってくる。
ひょんなことから相手が妻子持ちだということが判明し、諒太から別れを切り出したのはつい二か月前。ところが、いきなり電話をかけてきて、何を言うのかと思えば「考え直してほしい」だ。
今日も一日を終えて寝ようとしていたところなのに不快極まりない。唯一の救いは、美緒の寝かしつけが済んでいたことくらいだろうか。
諒太は深々とため息をついてから、おもむろに口を開いた。
「不倫とかしないで、奥さんと子供のこと大切にしろよ。修羅場に巻き込まれるのはごめんだ」
正直、二度と関わり合いたくないのだけれど、こういった場合はっきり言っておかねば、相手は図に乗ってますます付け上がってくる。
諒太が毅然とした態度を取っていたら、大道寺は「すまなかった」と謝罪の言葉を口にした。
『でも、たまにでいいから前みたいに会えないか? 諒太と過ごした日々が忘れられないんだ』
(猫なで声で言われても、困る)
こういったタイプが一番タチが悪い――自分が悪いことをしたという意識がないからだ。
謝罪なんて上っ面の言葉だけ。こちらの意志などお構いなしの様子に心底呆れてしまう。自分はこんな男を優しく紳士的だと思っていたのか。
「……あんた、最悪だよ。こっちはもうあんたなんかと寝たくないし、顔も見たくない」
だからこれ以上関わるな、と冷たい声を出して拒絶の意思を示す。
大道寺はそれでも諦められないらしく、しつこく食い下がってきたが、無言で通話を切ってやった。連絡先をブロックしたうえで、履歴も消去してしまう。
「クソッ」
スマートフォンを放ると、諒太は小さく悪態をついた。
別に大道寺に未練があるわけではないけれど、やはり腹立たしさはあるもので、むしゃくしゃとする。忘れようとしていたのに、余計な電話をかけてきたせいだ。
と、そこで、ふいに諒太のことを呼ぶ声が聞こえた。
「りょうたくん、どうしたの?」
見れば、美緒が眠たげな目を擦って立っていた。どうやら起こしてしまったらしい。
「ごめんな、起こしちゃったか?」
「ううん……りょうたくん、なんかおこってる?」
不安そうな表情を浮かべて訊ねてくるものだから、諒太は慌てて首を横に振った。表情を取り繕い、優しい笑みを浮かべてみせる。
「違う違うっ、ちょっと嫌なことあっただけだから。心配してくれてありがとう、美緒」
頭を撫でてやると、美緒はホッとしたように頬を緩めた。まだ五歳だというのに、随分と聡くて気が利く子だと思う。
(俺がこんなじゃ駄目だよな)
美緒を抱きあげて寝室へと向かい、そのまま一緒に布団に潜り込む。
美緒のあどけない顔を見ているうちに、ささくれ立った感情が落ち着いていくのを感じた。
「りょうたくんも、おやすみなさいする?」
「うん。一緒におやすみなさいしような」
「えへっ、おやすみなさあい」
「……おやすみ」
しばらくするとすやすやと寝息が聞こえてきて、諒太は静かに息をつく。
ただ、どうにも寝つきが悪く、結局眠りに就いたのは夜明けのことだった。
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