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番外編 諒太さん、欲求不満です(1)
新年度が始まってしばらく。橘が隣に越してきたとはいえ、なかなか会えない日々が続いていた。
互いに忙しい身なので仕方ないとはわかっているが、どうにも体は正直なもので――はっきり言おう、ここのところ諒太は欲求不満だった。
「っ、は……」
美緒を寝かしつけたあと、その日もシャワーを浴びながら自らを慰める。が、どうにも気持ちよくなれなくて、ため息をつきながら浴室を出た。
最近はこんなのばかりだ。橘のことを考えるだけで下半身が熱く疼くものの、いざ触れてみると上手くいかず、切なさが込み上げて仕方ない。
鬱屈とした気分に酒でも飲もうとしたけれど、ちょうどストックを切らしていたところだった。わざわざ買いに行くのも面倒だし、今日はもう寝てしまおうか――そう考えたとき、隣室のドアが開閉する音がした。
どうやら橘が帰ってきたようだ。耳をすませば、微かに物音が聞こえてきてソワソワとしてしまう。
(声も聞けたらいいのに)
スマートフォンを手に取ってみるものの、通話をする勇気が出てこない――時刻は二十二時を過ぎており、おそらく相手も疲れているはずだ。いつもどおりメッセージのやり取りだけで済まそうと思ったのだが、
「えっ、あ……!?」
タイミングよくLINEの通知音が鳴る。見れば、なんと橘からのメッセージだった。
『こんばんは。今、通話しても大丈夫ですか?』
その文面を見た瞬間、諒太は思わず飛び上がりそうになった。
断る理由などあるはずもなく、慌てて返信を打つ。すると、すぐに着信画面に切り替わった。
『遅くにすみません。電気点いてるの見たら、諒太さんの声聞きたくなっちゃって』
ドキドキしながら通話に出ると、すぐに橘の声がした。
(ヤバい、声だけでムラっときた……)
やはり疲れているのだろうか、少しばかり掠れたような響きが妙に色っぽく感じられて、諒太はごくりと唾を飲み込む。気持ちの昂ぶりを感じつつも、努めて平静を装って口を開いた。
「……俺も。帰ってきたのわかって、通話しようかなって迷ってたところでさ」
『本当に? 俺たち、同じこと考えてたんすね』
橘が嬉しそうな声で言ってから小さく欠伸をする。「すみません」と謝ってきたが、どう考えても眠気を我慢しているようにしか思えない。
「なんだか疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
『あ、いや……サークルの歓迎会がなかなかに長引いたもんで』
そういえば以前、《日本料理研究部》に入ったと聞かされていた。調理師専門学校にもクラブ・サークル活動はあり、なかでも授業で学んだことを活かせるような調理関係のものが多いらしい。
「まだ新生活も始まったばっかだし、あんま無理するなよ。もう寝た方がいいんじゃないか?」
言うと、橘は押し黙った。寝落ちでもしてしまったのかと思えば、
『――諒太さん、少しでいいからウチ来てくれませんか? なんか今、無性に会いたい』
予期せぬ誘いを受けてしまう。どこか弱ったような声色も相まって、諒太は鼓動が激しくなるのを感じた。
「会いたい、って」
『駄目っすか?』
「……いや、すぐ行くから待ってて」
ほんの数十分なら構わないだろうか、と諒太は躊躇いながらも返事をし、一言二言やり取りをして通話を終えた。
寝室を覗いてみれば、美緒はぐっすりと眠っている様子だった。が、もしものときを考えて書置きを残しておくことにする。それから足早に部屋を出た。
(なんつーか、子供がいる夫婦の営みって……こんななのかな)
といったことを考えながら、橘の部屋の前に着く。チャイムを鳴らすまでもなくドアは開いた。
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