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第1話

「おい、起きろ。朝飯できたぞ。ほら、成留」  ゆさゆさと揺すられた津田成留は、うーんとうなって目を開けた。 「はよぉーっす」  ぼんやりとした顔そのままの声に、笠木奏はやれやれと嘆息した。 「朝飯が冷めちまうぞ」 「うぃー」  言いながらまぶたを閉じかけた成留は、視線を奏の首筋へ落とすと、目を見開いてガバリと起き上がった。 「おう、おはよう」 「せ、先輩?」 「おん?」 「エプロンの下……。もしかして、裸っすか?」 「んなワケねぇだろう。ちゃんとパンツぐれぇ穿いてんよ」  フンッと鼻を鳴らした奏を、成留はまじまじと見つめた。男らしい顔つきに、しっかりとした首。たくましい肩はエプロンの紐がかかっているほかは素肌だ。黄色のエプロンが力強い胸元から太ももの中ほどまでを隠しているが、そのほかになにか身に着けているようには見えない。  成留が凝視していると、奏は大きな手のひらでクシャッと成留の髪をかき混ぜた。 「おら。とっとと着替えて顔を洗ってこい」  そう言って背を向けた奏は、背後から見ればたしかにボクサーパンツを穿いていた。奏が部屋から出て行ってから、成留は眠気を長い息と共に抜いてベッドから降りた。 「素っ裸より、よけいエロいっすよぉ、先輩」  そんなつぶやきをされているとは思わずに、奏は台所に戻ってみそ汁とご飯をよそった。弁当の冷め具合を確かめてフタをし、包んでいると成留の足音が聞こえてきた。 「ちゃんと手ぇ合わせてから食うんだ……、ぞっ?!」  成留が食卓に着くと思い込んでいた奏は、背後から胸筋をわしづかまれて硬直した。成留は奏の硬い胸をまさぐり、広い背中に額を押しつける。 「おいおい。なにを朝っぱらから甘えてんだ」  そう言いながらも、奏はまんざらでもない顔をしていた。 「先輩ぃ」  成留は奏の胸の尖りに指をかけ、首筋に吸いついた。 「おわっ……。おいこら、成留! サカんな」 「先輩がそんな恰好してんのが、悪いんでしょう」  成留の指が奏の乳首をつまみ、転がしはじめる。首筋を舌でくすぐられて、奏は息を詰めた。 「っ、そんなって……、べつに妙な格好なんてしてねぇ、……こらバカやめろ」 「あおった先輩のせいです」 「あおってねぇっつってんだろ。おらっ」  成留の手首を掴んで引きはがすと、尻の谷に硬いものを押しつけられた。 「いい加減にしろっ」  奏が振り向くと、成留が「ちぇー」っと恨みがましい目で唇を尖らせた。ふくらんだ頬が丸顔を余計に丸く見せて、二十六という年齢よりもずっと幼く感じられる。ドキンと胸が高鳴ったのを苦笑でごまかし、奏は成留に弁当を突きつけた。 「おら。弁当」 「ちょっとぐらい、いいじゃないですかぁ」 「朝からバカなこと言ってねぇで、とっとと飯を食って仕事に行け」 「先輩って、そういう恰好するくせにガード硬いですよね」 「おまえの感覚が妙なんだ」  成留はジトッとした目で奏を見上げた。身長はそれほど変わりないのに、自分よりもずっと大きく見えるのは大人びた顔立ちと雰囲気が原因だろうかと考える。 (実際、俺より六歳年上だけどさ)  いつも実年齢より幼く見られる成留には、年相応かそれよりも上に見られる奏の落ち着きは羨望の対象だ。 (その上、包容力があって世話好きでエロいとか最高だよなぁ) 「なんだよ、ジッと見て」  口からは不機嫌な声を出しつつ、奏は成留の頭を撫でた。彼を見ていると、かまいたくなる。母性本能をくすぐるタイプというのは、こういうことなんだろうなと思いつつ、奏は成留から離れようとした。すると成留が腰に抱きつく。 「おい、なんだよ」 「先輩と俺って、恋人同士なんですよね」  どう見ても拗ねた子どもの顔にしか見えない、成留の真剣な表情に吹き出しそうになりながら、奏は「おう」と短く答えた。 「なら、べつに乳を揉んだっていいですよね」 「乳って言うな」 「乳ですよ」 「なに、ふてくされた子どもみたいになってんだ」  とうとう堪えきれなくなって奏が吹き出すと、成留はますます眉を吊り上げる。それがまたかわいくて、奏はクックッと喉を震わせながら、成留を引きはがした。 「おら、飯が冷めるだろう」 「恋人に欲情するのは、当たり前じゃないですか」 「そういう話は、朝っぱらからするもんじゃねぇぞ」  あしらった奏が食卓に着くと、成留も座って箸を取り、いただきますと手を合わせた。 「なんでそんな、裸エプロンみたいなエロい恰好するんですか」 「これをエロいと思うおまえがおかしいんだって、さっきから言ってんだろ」 「先輩、処女じゃないんでしょ?」  ブッと飲みかけたみそ汁を吹き出して、奏はむせた。 「げほっ、しょ、処女って……。俺ぁ、女じゃねぇぞ?!」 「じゃあ、経験済みのお尻なんでしょう?」 「その言い方もどうかと思うが……。まあ、そうだな」  頬を朱に染め目を泳がせる奏を、成留はジト目で観察しながら、こういう顔がかわいいんだよなぁと心の中でニヤついた。 「だったら、俺が乳を揉んだり尻の谷にアレを押しつけても、別にいいじゃないですか」 「だから、なんでおまえはそういう物の言いかたをするんだ。もっと他に言いようがあるだろう」 「じゃあ、サカッても仕方がないって、経験済みの先輩ならわかるでしょう。恋人の前で、そんなチラリズムの王道みたいな恰好しといてサカるなとか、ひどいですよ」 「発想がオッサンだぞ、成留」 「裸エプロンは男の夢です。年齢とか世代とか関係ないから、王道なんですよ。わかってないですねぇ」 「ああ、わかんねぇ、わかんねぇ。わかんねぇから、とっとと食って会社に行け」 「俺の元気になったムスコの責任を、取ってくれないんですか」 「あのなぁ……」  これ以上言っても無駄だと、奏はいそいで朝食を済ませて立ち上がった。 「ねえ、先輩」  成留も慌てて食事を終えて、ごちそうさまと手を合わせてから食器をシンクに運ぶ。 「俺、こんなんじゃ会社で集中できないです」 「仕事がはじまりゃあ、すぐに気がまぎれるさ」 「無理です!」  食器を洗う奏にまとわりついて、成留は必死に訴える。 「ねえ、先輩。俺が出勤するまで、あと十分くらいありますよ」 「それは身支度を整える時間だろうが。寝ぐせとか」 「俺の髪、やわらかすぎて寝ぐせとかつかないって知ってるでしょう」 「ああ、そうか。そりゃ、うらやましいこった。俺のは剛毛だからなぁ。すぐにあちこちハネやがる」 「ごまかさないでください。ねえ、先輩。ねえってば」  エプロンの紐を掴んで引っ張る成留に、奏は深々とため息をついた。 「ったく。わあった、わあったよ」  食器を洗い終えた奏はエプロンの裾で手を拭くと、おもむろに成留の足元に膝をついて彼のズボンのファスナーを開け、陰茎を取り出した。 「おとなしくしてろよ」  言うなりパクリと食べた奏に、成留がほほえむ。しあわせそうな成留の笑顔に胸の奥を熱くさせ、奏は口内で成留の欲をあやした。 「んっ、ふ……。こんなに硬くして……、若ぇなぁ」 「ジジくさい言い方しないでくださいよ。……あ、先輩。きもちいい」 「きもちよくしてやってんだから、当然だろう? んむっ、ん」  成留の手が奏の髪をかき上げる。奏は成留を挑発するため、わざと見せつけるような口淫をした。 「うわ……、先輩。すっごいエロい」  熱っぽい成留の声に、奏の股間が疼く。 「うっ、ふ……、んっ、んは」  頬や上あご、舌を駆使して成留の陰茎をたっぷりと愛撫する。にじむ先走りに彼の絶頂が近いと悟り、奏は頭を大きく動かし熱を扱いた。 「うっ、先輩……、それだと、すぐにイッちゃいますって」 (とっととイカせるためにしてんだよ)  心の中で返事して、奏は強く吸い上げた。たまらず成留は短くうめいて精を漏らす。 「ううっ」  筒内のものまでしっかり飲んだ奏は、ふうっと息を吐いて手の甲で口をぬぐった。 「おら、これでスッキリ仕事に行けんだろ」  ふいっと背を向けた奏の腕を、成留が掴んだ。 「もうちょっと、恋人らしい名残を見せてくれてもいいじゃないですか」 「注文の多いヤツだな」  あきれて振り返った奏は、ほらよと成留の頬にキスをした。 「これでいいだろう。ほら、行ってこい」 「どうせしてくれるなら、口にしてほしかったです」  むくれる成留に、奏はあきれた。 「俺の口はいま、おまえのアレ味だぞ?」 「だから、いいんじゃないですか。先輩がちゃんと俺のをしゃぶって飲んでくれたんだなぁって、実感できて」  無邪気にはしゃぐ成留に、奏はますますあきれる。 「変態か」 「愛ゆえに、と言ってください。――ねえ、先輩」  甘えた声で言いながら、成留は奏の頬に手のひらを添えた。濡れた瞳でキスを乞われて、奏の喉がゴクリと鳴った。薄く開いた成留の唇から、甘く誘う息が漏れている。  ゆっくりと成留の顔が近づき、奏の視界が埋め尽くされる。ついばまれた奏の唇が開いた。そこに成留の舌が伸びる。 「んっ、ふ……」  濃密なキスに奏の肌は淡く震えた。それに気づいた成留はキスを深くする。 「んっ、ん……、んっ、は、成留」 「ああ、先輩」  うっとりとつぶやいた成留は、さらに濃厚なキスをしようとした。察した奏に突き飛ばされて、尻もちをつく。 「うわっ! なにするんですか、先輩」 「仕事に遅れんぞ。とっとと弁当を持って行ってこい。俺は、もうひと眠りする」  フンッと鼻を鳴らした奏が乱暴な足取りで部屋に行く。見送る成留はニヤニヤしながら立ち上がった。 「かわいいなぁ、ほんと」  奏の耳が真っ赤になっていたことを、成留は見逃さなかった。奏の背中が見えなくなるまでながめた成留は、時計を確認して「あともうすこし、キスできていたのになぁ」とぼやきつつ、奏手製の弁当を持って会社に向かった。  ふすまを開けた奏は敷きっぱなしの布団に倒れ込み、玄関ドアの閉じる音を聞いた。 「ああ……、ったく」  文句を言ってエプロンを外し、あおむけになる。天井に成留の笑顔を描いた奏は、ニヤつきながらボクサーパンツの中に手を入れた。 (ギンギンになっちまってるコレに気づかれていたら、ヤバかったな)  膝を立てて扱きながら、成留の味を思い出す。熱っぽくかすれた声と、潤んだ瞳。甘えた呼び声に胸も股間もときめいた。 「ふぅ……、んっ、あ……、成留、ぅ」  こんな姿を見られたら、どうなるだろう。犬みたいに飛びついてきた成留に、体中を舐めつくされるかもしれない。 「ああ、成留」  想像に興奮した奏は、急いで枕元のティッシュを取り、その中に想いを吐き出した。 「はぁ」  成留の言うように、奏は男との経験がある。豊富と言ってもいいくらいあった。だからこそ簡単に成留にさせてはやれないのだと、苦々しく思う。 (俺は三十二のオッサンで、成留はまだまだこれからな二十六……。あの顔なら女にもモテるだろうし、性格だって愛されキャラっつうのか? バイトん時も人気あったしなぁ)  それがどうして自分なんかを、という思いがあった。大学時代、バイトをしていた居酒屋で知り合った成留は、愛想も客あしらいもよく人気者だった。健康的な笑顔と年よりも幼く見える顔つき、屈託のない態度と甘え上手な性格。そこになぜかエロティックなものを、奏は感じていた。成留は奏によくなつき、気がついたら彼に惹かれていた。  けれど成留には当時、年上の彼女がいた。ノンケをこちらに引き込むつもりは毛頭ない。奏はバイトを辞めて、以前から目をつけていた商店街のちいさな店舗を借り、居酒屋を開業した。そして成留とは、それっきりになった。  はずだったのが、彼が会社の仲間と飲みに来て再会した。それから成留はちょくちょく顔を出すようになり、常連になって、気がつくと居候になっていた。 (いや……。俺が誘ったようなもんだ)  仕込みの時間に店の奥で恋人の男と口論しているところに、ひょっこり成留が現れた。  成留を奏の新しい恋人だと勘違いした相手にフラれて、とんでもないところを見られたと冷や汗をかいていると、ヘラリと笑った成留が言った。 「いやぁ、ビックリしたなぁ。先輩が男もイケる口だなんて、知りませんでしたよ。でも、すげぇ納得です。なんか妙にエロいんだもん、先輩って。俺が変なのかなぁって思ってたんですけど、そういうことならエロくて当然ですよね。……ねえ、先輩。フリーになったんですよね? じゃあ、俺と付き合ってください」 「ノンケがなに言ってやがる。なぐさめにもならねぇぞ」  不機嫌な奏が声を低めて凄んでも、成留はヘラヘラしたまま首をかしげた。 「ノンケって、なんです?」  舌打ちをした奏は、カマトトぶりやがってと心中で吐き捨てて、成留をにらんだ。 「俺にキスができてから、そういうことを言えってんだよ」  そう言い放った奏の頬に、ふわりと成留の手のひらが触れて、驚く間もなく唇が重ねられた。 「できましたよ」  ニコニコする成留に、奏はあっけにとられた。 「じゃあ、これから俺、先輩の恋人ってことでいいですよね。この上に住んでて、部屋が空いてるって言ってましたし、いまのマンション引き払ってきます。家賃と食費は入れるから、安心してくださいね」 「……お、おう」  あまりのことに毒気を抜かれて、そう答えたのが二か月前。そしてマンションの退去手続きなどを終えて、彼が移り住んできてから約一か月半が経過している。 「どう考えても、性欲解消のできる家政婦つきの家に来たって感覚でいるとしか思えねぇなぁ」  サカッてこられるのは単純にうれしい。むしろそれを試すために、わざと今朝のようにあおる恰好をしていた。キスくらいなら誰でもできる。けれど股間を熱くするのはさすがに無理だろうと危ぶんでしまうから、ついつい挑発的な格好で確認をしてしまう。 「はぁ……」  ちょっとずつ様子を見ながら関係を深めていかないと、後で痛い目を見るに決まっている。成留の求めに応じそうになる自分を戒めた奏は、やれやれと目を閉じた。 (料理の味つけとおんなじだ)  味見をしてから、このままでいいのか調味料を足すのかを考えなければ、とんでもなく味が濃いものになったり、とても食べられたものじゃないものになったりする。  店を持ちたいと思って料理を習いはじめたころの、おそろしい仕上がりになった料理の数々を思い出し、奏は皮肉に頬をゆがませた。成留との関係も、そんなふうにはなりたくない。薄味のままでいくか、味を濃くしても大丈夫なのか、様子をさぐりながら成留の求めに応じなければ。 (泣きを見るのは、ゴメンだからな)  甘えにほだされてしまわないよう、気を引き締めていなければと思いつつ、奏は眠りに落ちていった。

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