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第2話

「いらっしゃ――ああ、おかえり」  奏のほほえみにホッコリしながら、成留はカウンターの空いている席に腰かけた。 「ただいま、先輩」  こうして笑顔で迎え入れられるのはこの店を知ってからだが、おかえりと言われるようになったのは、ほんの一か月半前。タレ目の目じりをいっそう下げて、迎え入れてくれる先輩の笑顔は俺にとって最高の癒しだ。この笑顔を見るために俺は毎朝、気力を振り絞って先輩の傍から離れている。  心の中でガッツポーズを作る成留の前に、湯呑が置かれた。 「肉と魚と、どっちがいい?」  問うてくる奏に、先輩がいいですと心の中で告げながら、成留は「肉」と答えた。 「だろうと思った」  そう言ってカウンターの内側から厨房へ消えていく奏を視線で追いながら、成留は湯呑を持ち上げる。 「おう、坊主。今日もママのメシを食いに帰ってきたのか」  初老の常連客が、赤い顔して成留をからかう。 「ウチのママの手料理は、最高でしょう?」  ニヤリと返した成留に、違いないと初老の常連客が笑うと、ほかの客にも笑みが連鎖した。  この店は地元の客が多く、ほとんどが顔見知りだった。はじめて来る客にも常連客が気さくに声をかけるので、ひとりでゆっくり飲みたい者には不向きだが、だれかと食事を共にしたいと願うひとり者、あるいは家族とも会社とも違った関係の中に身を置きたい者にとっては、ありがたい店だった。なにより奏の手料理はうまい。本人は、料理は店を出すと決めてから習いはじめ、当初はキュウリもまともに切れなかったと言っていたが、それが冗談だと感じるくらいに、うまかった。 (つうか、ママっていいよなぁ)  ニヤニヤと成留は奏の消えた厨房を見る。もうすこしすれば、先輩は俺のための肉料理を持って、厨房とカウンターを隔てている暖簾を分けながら、おまたせと言って出てくるんだ。割烹着とか着てたら、最高だよなぁ。  そんな夢想をされているとはつゆ知らず、奏は味噌に漬けていた豚肉を焼いていた。付合せは焼いたナスと白ネギだ。それに青菜の煮びたしとみそ汁を手早く整える。 「おう、おまたせ」  声をかけると、餌を前にした犬のように成留が目を輝かせる。やっぱり腹減り年代だなぁと、奏は成留の前に料理を並べた。 「飯は、いつもの量でいいか?」 「はいッ!」 (割烹着じゃないけど、先輩の作務衣姿もいいよなぁ。合わせ目に手ぇ突っ込んで、まさぐりたい)  襟元からのぞく鎖骨を見ながら、成留は茶碗を受け取った。 「はぁ。やっぱ、先輩のメシ最高です」 「褒めても、酒は出さねぇぞ」  そう言いながら、奏はグラスを上げて常連客に軽く乾杯のポーズを取った。上機嫌の客は、奏に一杯おごるのが通例となっている。なので客の気分が盛り上がっていると、したたかに酔った奏が二階に上がってくることもあった。そうなればいいなぁと、成留はけしからん妄想を広げた。 (酔っぱらった先輩、めちゃくちゃかわいいもんな) 「ママがくれねぇんなら、おっちゃんが呑ませてやるよ」  常連客が成留へ焼酎をつけてくれと言う。奏はうなずき、芋焼酎のいちばん安い銘柄をロックで成留の前に置いた。 「ちゃんと宮原さんに礼を言えよ」 「わかってますって。おっさん、ありがとな」 「おうっ。奏ちゃんも呑め呑め。今日はおっちゃん、懐があったけぇんだ」  パチンコで勝ったのだと自慢する宮原に、ほかの客も「おごってくださいよ」と冗談交じりに声をかける。宮原は店ができた当初からの常連で、なぜか奏を“ちゃん”づけで呼ぶ。どう見ても「奏ちゃん」と呼ぶような、かわいらしい容姿ではないのだが、宮原が言うとしっくりきた。 (俺も先輩のこと、下の名前で呼びたいなぁ)  名前どころか、名字ですら呼んだことがない。きっかけを探しているのに、なかなか見つからない。恋人なんだし名前を呼んでもいいだろうと思いつつ、呼び慣れた「先輩」と言ってしまう自分が悲しい。 (奏、って俺が呼んで、おうっ、て先輩が答えてくれて、その頬がちょっと赤くなってたりしたら最高だよなぁ)  想像に浸ってニコニコする成留に、別の客が猪口を差し出し日本酒をそそぐ。それも飲みつつ、成留はほろ酔いのいい心地で働く奏をながめながら、妄想を加速させていった。  そんな成留を、奏は客の相手をしながら横目で見守る。 (呑みすぎなけりゃあ、いいけどな)  気のいい常連客たちばかりだが、気持ちがよすぎて大盤振る舞いをしてしまうことがある。成留が酔いつぶれてしまわないように、そこそこのところで止めてやらねぇとな。  そんな奏の心配は杞憂に終わり、成留は食事を終えると「ごちそうさまでした」と手を合わせて席を立った。 「それじゃあ、先輩」 「おう」  空になった食器を受け取った奏は、ホッとしながら手元へ視線を落とした。 (まあ、あいつも子どもじゃねぇし、自分で自分の管理はするか) 「大将、こっちシシャモちょうだい」 「あいよぉ」  そんな客と奏のやりとりを聞きながら、成留は二階へ上がってスーツを脱ぐと、風呂掃除にかかった。店を閉めた奏がすぐに風呂に入れるようにするのが、成留の役目だった。ほかにもなにかできることがあればと思うのだが、奏は大ざっぱそうに見えて掃除などをこまめにこなす。なにかしたいと成留がねだって、手に入れたのが風呂掃除だった。 (先輩って、なんでもこなしちまうんだよなぁ)  ほんとママだよな、などと思いつつ掃除を済ませ、風呂を沸かし、先に入ってテレビを観ていると、奏が上がってきた。 「ただいま」 「おかえり、かな……、先輩」  ん? と奏が首をかしげたので、おなじ仕草で成留はごまかした。名前を呼んでみようとしたけれど気恥ずかしくなった、なんて言えやしない。 「宮原のおっさん、けっこう先輩に呑ませたんだ?」  奏の目尻が赤くなり、瞳がトロリとなっている。作務衣の合わせ目からのぞく襟元もほんのりバラ色で、成留はひっそりとツバを飲んだ。 「ああ、ほかの客も感化されて次々におごられてな……。風呂、いいか?」 「もちろんですよ」  うなずいた奏は成留の視線が首元にあると気づいて、わざと懐に腕を入れた。合わせ目が開き、胸元がチラリと覗く。ぴったりとしたタンクトップにおおわれた胸筋に、成留の視線が注がれた。その目が物欲しそうな色を浮かべている。 (あざといよなぁ)  自分に苦笑しながら、奏は風呂場へ向かった。こんなふうに、いちいち成留の反応を試さなくても安心できる日は来るのだろうか。もともとノンケの、女受けする成留がかわいげのかけらもない男と本気で付き合うはずはない。しかもあれは、なにかの勢いというか、その場のノリとしか思えない申し出だった。――そんな不安を、どうすればぬぐえるのだろう。  作務衣も下着も脱ぎ捨てて、浴室に入り頭から湯をかぶる。 「ふう」 (俺は、成留をかわいいと思う。バイトのときから、気になっていた。だが、成留は? あいつは俺じゃなくとも、引く手あまただろう)  求められたいと思うのに、最後まで許す気になれないのは臆病だからだ。捨てられるのはこちらの方だ。いずれ近いうちに捨てられてしまうのだと、頭の隅で叫ぶ声がある。 (俺に、それほどの価値があるのか?)  だからいつも、さりげなく挑発をしてしまう。そして成留がそれに反応するかを確かめている。――それなのに、求められるとかわしてしまう。 (ずるいよなぁ)  頭を洗っていると、浴室の扉が開いた。振り向けば裸身の成留が立っていて、ギョッとする。 「成留、なんで」 「背中、流そうと思って」 「大の男がふたりも入ったら、狭いだろう」 「だぁいじょうぶですよ、先輩」  成留はシャワーを手にすると、奏に湯を浴びせかけた。 「わぶっ、いきなりかけるな!」 「あはは。まあ、いいじゃないですか。さ、洗いますよぉ」  上機嫌でタオルを濡らし、石鹸を泡立てた成留はさっそく奏の背中を擦った。 (まさか、こういう行動に出るとはな)  なんとなく膝を閉じて股間に手を置き隠した奏は、おとなしく背中を擦られる。成留の力加減は絶妙で心地いい。身を任せていると、湯気で体が熱せられたからか、酔いがぶり返してきた。  うとうとしている奏の横顔を見て、成留はニヤリとした。泡にまみれた手を勢いよく奏の手の下に差し込んで、やわらかな状態の男の証を握りしめる。 「っ!」  ビクリと震えた奏に振り払われる前に、背後から抱きしめる形で陰茎を掴んだ成留は、右手で先端を、左手で幹を扱いた。 「っは……、成留、おまえ」 「こういうシチュエーションって、あこがれますよねぇ」 「ねぇ……っ、う」 「お風呂エッチは恋人同士のだいご味ですよ」 「知らねぇ……、あっ、成留」 「泡でヌルヌルして、気持ちいんでしょう? ほら、先輩のムスコが元気になってきましたよ」 「っ、はぁ」  口では文句を言いながら、抵抗らしい抵抗はせずに、奏は成留の指使いと背中いっぱいに密着している彼の体温を感じていた。耳元にかかる熱っぽい成留の息に心音が高くなる。 「ふふ……、ガマン汁垂れてきましたよ、先輩」 「い、いちいち……、言うな」 「しかたないじゃないですか。うれしくて、言いたくなるんです。――先輩が、俺の手で感じてくれてるんだなぁって」  しみじみとした声に、奏の心臓は口から飛び出しそうになった。 「ば、かやろ……、ぅんっ、は、ぁあ」 「俺のももう、すっげぇデカくなってますよ。先輩の触っているだけで」  そう言って押しつけられた成留の欲の硬さに、奏は息を呑んだ。 「ねえ、先輩。ちょっとそこの壁に手をついて、腰を浮かせてくれませんか? いっしょに気持ちよくなりましょうよ」 「っ、挿れるなよ……」 「大丈夫ですよ。男は女と違って、勝手に濡れませんからね。ヤるときは、ちゃんと濡らしてほぐしますから安心してください」 「おまえは……、っ、は、ぁあ」 「ねえ、先輩。はやく」  うながされ、奏はそろそろと腰を浮かした。 「まだ、もっと上に手をついて。そうそう、そこです。そこ」  成留に言われるままに姿勢を固定した奏は、いままでの経験から股擦りをされるのだろうと予測し、太ももをきつく合わせた。成留が石鹸を掴む。滑りやすくするためかと思ったが、成留は石鹸で鏡を擦った。 「なに、やってんだ?」 「曇り防止ですよ。これなら、鏡がちゃんと見える」 「鏡?」  たしかにA4サイズほどの鏡が目の前にあるが、と視線を向けた奏はギョッとした。 「先輩、その位置をキープしておいてくださいよ」 「ちょ、おま……、成留」  うろたえる奏に、成留は上機嫌でシャワーをかけた。陰茎の泡が洗い流され、屹立した姿がくっきりと鏡に映る。 「うっ」 「これなら、先輩のを見ながらできますよねぇ」 「こ、こんなもん見て、なんになるんだ」 「先輩のムスコの元気な姿はうれしいし、たのしいですよ」  グッと太ももの間に陰茎を突き立てられて、奏は口をつぐんだ。 「さあ、先輩。いっしょに気持ちよくなりましょう」 「んぁ、あっ、あ……、は、ぁあ」  蜜嚢を突かれながら陰茎を扱かれて、奏は甘い声を風呂場に響かせた。 「声がこもって、なんかすげぇエロいですよね、風呂場って」 「んんっ」 「あっ! 口を閉じないでくださいよ、先輩。声を聞かせてくれたって、いいじゃないですか」  奥歯を噛みしめ首を振った奏に、成留が「ちぇー」っと言いながら腰を打ちつける。 「ああ……、太ももじゃなく、先輩のオシリの中だったらなぁ。それに、手があと二本欲しいです。そうしたら、先輩の乳も弄れるでしょう?」 「んっ、ん……、んぅ、うっ」 「強情だなぁ、先輩は。ほら、ムスコは素直に反応して、誇らしそうに鏡に映ってますよ」  思わず鏡を見てしまった奏はブルリと震えた。たぎりきった己の陰茎を、成留の両手が包んでいる。先走りをこぼす陰茎の奥に、成留の先端が見え隠れしていた。 「んんっ、ぁ、……成留」 「すごい、いい声です、先輩……、はぁ、たまんない。もっとかわいい声、聞かせてくださいよ」 (かわいい……、声?) 「ふあっ、あ、ああ」  疑問を持ちつつも、成留の手と熱に翻弄されて奏は声を上げた。 「さすが、先輩。奏って名前のとおり、いい音を奏でますね」 「バカッ、なに言っ……、んぅう」  男の味を知っている奏の秘孔がヒクヒクと動く。このままでは欲しくてたまらなくなりそうだ。 (食用油をジェルの代用にすれば…………)  そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、ヌルンと先端を擦られた。 「っは、ぁあ、ああぁあ――ッ!」  放たれたものが鏡を濡らす。それを見た成留は、強く絞められた太ももに激しく欲を擦りつけて、奏の肌に熱蜜をかけた。 「くっ、ふう……」  成留が離れると、奏はペタリと座り込んだ。鏡に自分の液がついていると気づき、慌てて湯をかけ洗い流す。 「あっ。そんなにすぐに洗い流さなくっても、いいじゃないですか。余韻に浸りながらイチャイチャしましょうよ」 「うるせぇっ!」 「真っ赤になって、ほんと先輩ってばかわいいなぁ」  満面をとろかせながら、成留は自分の指を舐めた。目を見張り、奏が硬直する。 「な、なにを舐めてんだ」 「なにって、先輩の愛の蜜に決まってるじゃないですか。味見ですよ、味見」 「あ、味見?!」 「先輩はがっつり俺のを食ってくれましたけど、俺、まだ先輩を食わせてもらってないでしょう? だから、味見しとこうと思って」  けろっと言われて、奏は全身を真っ赤に染めてわなないた。 「なっ、おま…………、成留」 「なんです?」  キョトンとする成留の後頭部を掴み、おもいきり頭突きをくらわす。 「いっ……、てえっ!」  叫んだ成留を風呂場の外に放り出し、ピシャリと戸を閉めた奏は太いため息を吐いた。 「ったく。なにを考えてやがんだ」  文句を言いながら、成留の欲情がそこまで育っていることがうれしい奏は、ニヤニヤしながら体を洗い、湯船に浸かった。  閉め出された成留は浴室の水音を聞きながら、ふたたび指を舐めて奏の味を確かめる。 「次はぜったい、名前で呼ぶし突っ込むぞ!」

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