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第3話

 目覚ましに手を伸ばし、ぽこんと音を止めた成留は、もぞもぞと布団の中で身じろいでから、えいっと気合を入れて起き上がった。 「んー」  伸びをしてベッドから降り、顔を洗って静まり返った台所に立つと、使用する道具や食材をすべて取り出し並べてから、調理をはじめた。  外はまだ薄暗い。成留が作っているのは、スクランブルエッグ。ウインナーも焼いて、レタスを適当にちぎり、切ったトマトときゅうりを乗せてドレッシングをかければ終わりだ。  スクランブルエッグとウインナーの横にバターロールパンを並べ、よしっと満足した成留はドキドキしながら奏の部屋へ向かった。  そっと襖に指をかけ、音をたてないように滑らせる。中を覗いた成留の口許がヘニャリと歪んだ。 (先輩、すげぇかわいい)  奏は掛布団を抱き枕よろしく抱きしめて、襖に背を向け眠っていた。めくれた寝間着から、チラリと脇腹が見えている。興奮しながら足音をしのばせて入った成留は、奏の枕元に正座した。  咳ばらいをして、奏の肩に手をかける。 「先輩、朝ですよ」  いつもは起こされる側が、起こす役をしている。おまけにこの部屋に入るのも、寝顔を見るのもはじめてで、成留は起こしたい気持ちと寝顔をながめていたい気持ちの間で揺れていた。 「ねえ、先輩」  なので、起こす声がちいさくなってしまった。 「朝ごはん、冷めちゃいますよ」  耳元でささやけば、うーんと奏がうなった。まつげが震えただけで、まぶたは開かない。 「目を覚まさないなら、王子様のキスで起こしちゃいますよ」  なんだそりゃ、と奏は眠りと覚醒の間でつっこんだ。襖を開けられたときから、なんとなく意識は浮上していた。けれど体が眠気にしっかりとくるまれていて、起きる時ではないと訴えている。そのままじっとしていたら、起こす気があるのかないのかわからない小声で、成留がささやいてきたのだ。 「先輩」  成留が小声のままなので、奏は無視することにした。だいたい今日は成留が休みで、昼までゆっくり眠れる日なのだ。朝寝をたっぷり味わいたい。それに、本当に成留がキスをしてくるのか興味があった。というか、キスをされたかった。 (王子様っていうのは、意味がわかんねぇけどな)  そもそも俺は姫ではないし、と奏は自分の姿を思う。どこからどう見てもムサいオッサンだと、自分では思っていた。それを成留はことあるごとに、かわいいかわいいと連呼する。まったく意味が分からない。けれど、悪い気はしない。それどころか、うれしかったりもする。  奏の意識が起きているとはすこしも気づかす、成留は間近でじっくりと奏を見つめた。息がかかるほど近くで、隅々まで奏をながめるなんてめったにない機会だ。 (はぁ。やっぱ先輩、すげぇかわいいなぁ)  どこがどう、と問われれば説明に困る。むしろもう、存在自体がかわいいんだと言い切ってしまうしかない。そう、先輩は全部がかわいい。トータルで先輩かわいい。一般的には理解されない感覚だと、成留はちゃんと理解していた。だけれどそんな一般論なんて、どうでもいい。心の底から身もだえて、床をゴロゴロ転がりたくなる俺の感情こそが正義。先輩はかわいい。誰がなんと言おうとかわいい! 「はー。このままずっと、ながめていたいなぁ」  気持ちがそのまま声に出た。けれど、それでいい。言わなければ伝わらない。魂の叫びが思わず漏れたと奏に伝えたい。そのためには起きてもらわなければ。しかし、寝顔をもっと見ていたい。  どっちだよ、と奏はまたもや心の中でつっこんだ。起こしたいのか、このままでいいのかハッキリしろ。頬やまつげ、唇あたりをさまよっている成留の視線に、奏の心臓はドキドキしてきた。キスをするのかしないのか、さっさと決めてほしい。緊張のために眠りの淵から出てきた意識が、体も目覚めさせていく。 「先輩」  耳元でささやかれ、奏は震えそうになる体を、かろうじて押しとどめた。呼気に耳奥をくすぐられてゾクゾクする。成留の手が胸元に触れ、背中にぬくもりが当たった。心音がどんどん高まっていく。呼気が耳朶から移動して頬にふれた。成留の手にうながされ、あおむけになる。おおおいかぶさられる気配に、奏の心臓は口から飛び出しそうになった。 「ああ、先輩」  うっとりとした声が唇に触れる。甘くついばまれ、奏はこっそり指に力を入れた。  夢見る顔で、成留は奏の唇を唇で噛んだり、軽く押しつぶしたりした。奏の息が成留の唇に当たる。それを拾いたくて、成留は舌を伸ばして奏の唇を舐めた。そのままゆっくり口内に侵入し、歯の隙間をくぐって上あごをくすぐり、頬裏をつつく。 「んっ、んぅ」  ちいさな奏のうめきに、成留の体は熱くなった。 「先輩……、奏」  呼び捨てられて、奏の心臓がギュッと痛んだ。はじめて成留に名前を呼ばれた。しかも、下の名前を呼び捨てで。名字で呼ばれたことすらないのに。  思う以上にうれしくて、奏は成留に抱きつきたくなった。浮き上がった手を布団に戻してガマンする。この後、成留がどうするのかを知りたい。このまま成留の行動を、肌で観察していたい。  成留は時間をかけて丁寧に、奏の口腔を愛撫した。体がどんどん熱くなっていく。俺だけじゃなく、先輩も感じている。俺のキスで、先輩が熱くなっている。これは、気のせいでも勘違いでもないよな――?  成留はキスを続けながら、寝間着の中に手を入れた。脇腹から撫で上げて、乳首に指をかける。ピクリとそこが震えて、成留は股間を硬くした。 「奏……」  呼び捨てながらキスを繰り返し、乳首をつまむ。つぶさないよう指の腹で擦れば、そこはすぐにツンと尖った。 「すごい、反応いいなぁ」  これで奏が起きていればと成留は思う。朝食のことなど、すっかり忘れていた。目覚めている状態で、こうして無防備に身をゆだねてほしい。いつも先輩は最終的な主導権を握ってしまう。それは俺が年下で、頼りないからだろうか。最後まで許してくれないのは、信用されていないからかもしれない。――こんなに、好きなのに。 「奏、奏」  ささやき続ける成留の息に、奏のガマンは限界に近づいていく。これ以上はヤバイ。声が出てしまう。訴えるように呼んでくる成留の声が切なくて、触れてくる指がやさしくて、奏の陰茎は熱く滾り、貫かれることを知っている奥が成留を求める。目を開けて成留の首に腕を回し、脚を開いて受け入れたい。――だが、ダメだ。成留は男と付き合ったことがない。もともとノンケの、しかもモテないわけではない奴だ。そんな相手を受け入れても、長続きはしない。次の女が見つかるまでの、つなぎにされるだけだ。 「ふっ、ん、ん」 「奏、ああ……」  シーツを握りしめ、奏は必死に想いに耐える。しかし体は本能のままに粟立っていく。このまま成留は寝込みを食ってしまうつもりなのか。それでもいい。そうなればいい。――意識がなかったことにすれば、知らないフリで日々を過ごせる。 「っあ」  尖った乳首に爪を立てられ、奏は思わず目を開けた。膝を立てて成留の腰をはさみ、彼の背中に腕を回す。 「……先輩」  成留のつぶやきに、奏は我に返った。成留がバツの悪そうな顔をしたので、奏は普段の自分を引き寄せる。 「なに、やってんだよ」  半眼でドスの利いた声を出すと、成留の頬がひきつった。 「いや、その……、先輩が起きないから、王子様のキスで起こそうかなと思ったんです」 「王子様のキスで起きるのは、お姫様だろうが。こんなガタイがよくてムサい姫が、どこにいるってんだよ」 「俺にとっては、最高にかわいいお姫様ですよ」 「ぬかせ」  鼻を鳴らして退けとばかりに成留の肩を押した奏は、乳首をひねられ悲鳴を上げた。 「ひぁっ!」  そのまま乳首をこねられて、奏は成留にしがみつく。 「すごく、かわいいです。――先輩」  もう名前では呼んでくれないのかと、奏はがっかりした。そんな奏に気づくことなく、成留は乳首をもてあそび、奏の首にキスをした。 「先輩……、しがみついてくれるのはうれしいんですけど、ちょっと腕をゆるめてくれません? 先輩の、しゃぶりたいんで」 「しゃぶ……っ?!」 「先輩、いつも俺のはしてくれるけど、俺にはさせてくんないでしょう? 俺だって、先輩を気持ちよくさせて飲みたいんですよ」  カァッと体を熱くして、奏は思い切り成留を突き飛ばした。 「わっ、ちょっ……」  起き上がった奏は成留を蹴り飛ばして、大股で部屋を出ていく。 「うええ、先輩? なんで怒ったんですか。ねえ、ちょっと……、先輩ってば」  飛び起きた成留は背後から奏に抱きついた。 「ええい、離れろっ」 「イヤですよ。なんで急に怒ったんですか」 「寝込みを襲われて、怒らねぇ奴がいるってのか」 「それは……。だって俺たち、恋人同士でしょう? 寝覚めのキスとか普通じゃないですか」 「キスだけじゃなかっただろうが」 「でも、気持ちよかったんですよね、先輩」 「っ、あ」  力いっぱい股間を握られ、奏は甘い声を上げた。 「ほら、こんなに硬くしてる。ねえ、先輩。先輩のコレ、俺に責任持たせてくださいよ。ね? 風呂んときに味見をしただけじゃ、ぜんっぜん足りないんです。ねえ、先輩」 「うるせぇ……、んっ、揉むな」 「揉みますよ。揉みたいし、扱きたいし、なめまわしたいし、ほかにもいろいろしたいんです。先輩のこと、トロットロにしたいんですよ」 「んんっ、朝っぱらから……、やめろ」 「朝っぱらからっていうのなら、前に先輩、俺が出勤する前に、ヌいてくれたじゃないですか」 「あれは、おまえがグズるから」 「いまもグズッてますよ、先輩。ね? いいでしょう」 「っ…………、の、やめろっつってんだろォ!」 「ぐふぅッ!」  脇腹にエルボーを食らわせた奏は、成留の手がゆるんだスキに彼から逃れてトイレに走った。 「ふう……。ったく」  文句を言いながら、にやける顔を片手でおおう。 「俺を、トロットロにしてぇだと?」  俺だってされてぇよと思いながら、奏は便座に座って深呼吸をした。  エルボーを食らった成留は、脇腹を押さえてうめきながらニヤニヤしていた。 「先輩の声、かわいかったなぁ」  素直な肌の反応に、愛撫への自信を持った成留は目じりをとろかせる。 「あんなに硬くしておいて逃げるとか、ほんと恥ずかしがり屋だよなぁ」  自分を信用してくれていないのでは、というさきほどの考えはすっかり消えて、成留は強気を取り戻した。  本気の拒絶じゃない反応は、照れているとしか思えない。大胆にこちらを咥えるくせに、自分がされるのをイヤがるのは、乱れる姿を年下の自分にさらすのが恥ずかしいからだろう。 「大丈夫ですよ、先輩。そんな羞恥、うんと気持ちよくして忘れさせてみせますからね」  ヨロヨロと立ち上がった成留は、決意も新たに別のアプローチ方法を模索した。 ◇ 「風呂、あいたぞ」  奏が声をかけると、成留はキラキラした顔で振り向いた。 「先輩もいっしょにコレ観ましょうよ」 「あ? なんの番組だ」 「世界の超常現象です」  ワクワクしている成留に、奏はけげんに片目をすがめた。 「超常現象だぁ? どうせヤラセだろ」 「あれっ。先輩、そういうの信じないタチですか」 「信じるも信じねぇも、CGとかだろ。そういうの」 「まあ、ニセモノもあると思いますけどね。でも、面白いですよ」  成留が座布団を自分の横に引き寄せて、ポンポンとたたく。 「観たら風呂に入れよ」  チラリと座布団を見てから、奏はスルーしようとした。すると成留が立ち上がり、奏の両腕を掴む。 「まあまあ、いいじゃないですか。こういうの、誰かと観るほうが楽しいでしょう」 「べつに、ひとりだろうがふたりだろうが、内容は変わんねぇだろ」 「先輩。もしかして、怖いんですか?」 「なっ」  ギクリとした奏に心の中でニヤリとしつつ、表面上はいつもの顔で成留が言う。 「信じていないんなら、平気ですよねぇ」 「ああ、まあな」  言いながら、奏は目をそらした。懸命に頭を巡らせ、断る道を探す。本当は信じている上に怖いだなんて、カッコ悪くて言えやしない。年上の男としての威厳に関わる。  そんな奏の気持ちを見通した成留は、強く奏の腕を引っ張った。 「じゃあ、ほら先輩」  苦い顔で座布団に座った奏は、海外のホテルに設置されている監視カメラの映像や、人ではない子どもを産んだ女性の話、幽霊が出るとウワサの日本の古い建物への潜入、寺に伝わる鬼の面など、次々に紹介されるものに身をこわばらせる。 「マジでヤバイですねえ、先輩」 「フン。まあ、怖がらせるために作ってる番組だからな」  鼻先で笑い飛ばそうとした奏の顔が、青ざめている。明らかに強がりとわかる姿に、成留は気づかぬふりでテレビを見ながら、ニヤニヤしていた。 (先輩、めちゃくちゃかわいい)  怖がるフリをして抱きついてみようか。それとも、もっと怖がらせることを言ってみるか。  そんな算段をされているとはつゆ知らず、奏は心の中ではやく終われと念じていた。なるべく意識をそらすため、明日の店の献立はどうしようかと考える。けれどテレビから流れてくる悲鳴や、絶妙なナレーションに意識を引き戻されて、番組が終了するころにはすっかり恐怖にとりつかれていた。 「おもしろかったですねぇ、先輩」 「お、おお。まあな」  虚勢を張る奏の姿に、成留の心はキュンキュンした。思い切り抱きしめてキスをしまくりたい! けれど、いきなりそんなことをしたら蹴とばされそうだ。なにかこう、ナチュラルにキスとかそれ以上とかに持っていけるアイディアがほしい。  じっと奏を見ていた成留は、ピンときて情けない顔を作った。 「でも……。ちょっと俺、怖いです」 「あ? なんでだよ」 「だって、こういうのって寄ってくるって言うでしょう?」 「は?」 「電波を通じてやってくるとも言うし。あの鬼の面の怨霊とか、恐怖映像に引き寄せられたどこかの幽霊とかが、出てくるかもしんないじゃないですか」 (先輩のことだから、俺がこうやって怖がって見せれば、ぜったいに強がるはず) 「ハッ! 情けねぇなぁ。そんなこと、あるわけねぇだろ」 「でも、けっこう有名ですよ。この話」 「そ、そうなのか」  ギクリと奏は頬をひきつらせた。そういえば、そんな話を聞いたことがある。思い出してしまった奏は、気にしないではいられなくなった。 「なんかよぉ、そういうの、なんだったか、ホラ……、撃退つうか、なんか方法あっただろ」  しめた、と成留は胸中でほくそ笑んだ。先輩のほうから話を振ってくれるとは! こっちから持ちかける手間が省けたな。 「ありますけど、アレですよね」 「アレってなんだよ」 「幽霊の苦手なものって、犬とか強気な人って言いますよね。でも、犬はいないし先輩は強気だからいいかもですけど、俺は怖いからダメじゃないですか。となると、あとひとつしかないですよね」 「もったいぶらずに、はやく言えよ」  一刻もはやく情報を知りたい奏は、イラついた声になってしまった。成留は体を伸ばして、強がる奏の耳元にささやいた。 「エッチなことに夢中になっていると、幽霊とか来ないらしいですよ」  ビクッと震えた奏の耳に、成留は蠱惑的な息を注ぐ。 「だから、先輩……、俺と――ぶっ!」  顔面を平手打ちよろしく押しのけられて、成留は転がった。憤然と立ち上がった奏は成留に背を向ける。 「とっとと風呂に入って寝ろ!」  言い放った奏がズンズン部屋に行く姿を見ながら、やり方を間違えたかなと成留は鼻を押さえてため息をついた。

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