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狐の独占欲

 その独占欲が恋心などと気づけようか  白狐こと銀雪はそれからというもの、氷雨に付き従うこととなった。勿論、藩校に行く際は隠行してからである。銀雪は藩校での氷雨の様子を観察していたが、氷雨が同い年の童どもよりも飛び抜けて優秀であることを理解した。四書五経を容易く諳じ、剣道も中々のもの。特に弓術に関しては銀雪の見る限り片手で数える程度しか的を外すことがない。当然藩校の師も氷雨を褒める。それ故、羨望だけでなく僻みの目を向けられることも多かった。  氷雨を虐めようとする小童の多いこと。銀雪は何度も氷雨を虐めようとする子童を追い払った。化け物と言われることもあったが、餓鬼の言うこと。別に気にもしてないのに、いじめられてる本人の氷雨がごめんなさいと謝る。そうると怒りの矛先が定まらないものだから気にするなと舌打ちをすると、余計氷雨は泣きそうな顔になる。そういう時は、自慢の俺の尻尾を触らせてやると、氷雨は落ち着きを取り戻し微笑むのである。その顔を見るたびに、腹の底が疼く気がした。  氷雨は虐められても怒りもしなければ泣きもしない。その上誰とでも仲良くしようとする。良く言えば善人。悪く言えば八方美人。氷雨の友人と呼べるのは蛍火ぐらいだが、家の仲が悪いせいで、氷雨は父の目を盗んで月に数回程度しか蛍火に会うことは出来ない。蛍火が藩校に通ってくれたらと思ったが、鬼祓いの頭領の家系のあいつは藩校に行く時間すら無いらしく、家で学習するしか出来ないそうだ。  せめていじめるやつに仕返しすればいいと俺が言っても氷雨は首を横に振るだけ。 「私が我慢すれば済むことですから」 「俺はお前が傷つく姿に耐えられないんだが」  するとお前はごめんなさいと謝る。人を傷つけるなと、あの蛍火と心優しい主である氷雨に言われた以上、銀雪は己の無力さに歯噛みするしかなかった。氷雨はお人好しではあるし、見た目ほど心も弱くない。  だからなのか、氷雨は藩校の成績は首席の座を守り続け、元服の日を迎えた。  氷雨は元服を機に名を「零月」と改めた。まるで坊主のようだなと言うと、氷雨は照れ臭そうに「氷雨のままでいいです」と笑う。元服を向かえてもなお、銀雪は人前以外は彼を氷雨と呼び続けた。  そして元服もして数年経ったころ、藩校での優秀な成績から、氷雨は江戸への遊学を認められた。氷雨の気難しそうな父もその時は破顔させて喜んだし、氷雨の母も涙を流して喜ぶ。最初の頃は俺を信用していなかった氷雨の両親も、この頃には俺を家族同然のように扱うようになっていたお蔭であろう。俺は氷雨の遊学の同行することなった。  江戸での暮らしぶりは、さほど以前と変わらなかった。宿を借りて昼間は江戸の塾に通い、夜も師から借りた学術書を読み耽る。吉原通いもしなければ、酒もさほど飲みやしない。  外出といえば、たまに江戸の藩邸に勤めている蛍火の弟と話をしたり、八雲という次期藩主の青年に藩邸に呼び出され、楽しそうに学問の話をしたりと本当につまらない。ひたすら親の期待に応えようと何事も我慢していた氷雨が親のしがらみから一時的に解放され誰かと親しげに話す氷雨の姿は幸せそうであった。そんな氷雨の変化が嬉しい筈なのに………素直に喜べなかった。    ある寒い夜のこと、氷雨が風邪を引いて寝込んでしまった。宿の娘から「鴨鍋など精が付きますよ」等と言われて俺は氷雨の為に鴨肉を買いに行く。宿に帰ってくると言い争う声がした。 「ひょろい餓鬼のくせに生意気な! さっさと足を開けば済むことだろうが!」 「止めてください………!」  氷雨の声か!? 俺がいない間に一体何が。銀雪は妖気を解放すると氷雨のいる2階まで跳躍する。そこには寝間着を乱され、はだけた氷雨の姿があった。熱に浮かされた顔は混乱と恐怖を露にしている。そんな氷雨を、酔っ払った浪人どもが取り囲んでいた。 「誰だ貴様は!?」    浪人どもは刀を俺に向ける。俺の主を襲おうとした挙げ句、俺に刀を向けたことに殺意が沸く。だが人を殺すと氷雨に迷惑がかかる。俺はぎりりと奥歯を噛んだ。 「黙れ」  氷雨に馬乗りになっている男を殴り飛ばすと、周りの浪人が怯む。 「この男の連れだが。一体何があって我が連れを手籠めにしようとする」  怒りのあまり妖気が抑えられない。 「用がないならさっさと去ね!!」  銀雪の気迫に気圧された浪人どもは蜘蛛の子を散らす勢いで去っていく。浪人が去った後、銀雪は寄ってきた野次馬を睨みつける。すると慌てて宿の者共が野次馬を追い払い始めた。銀雪はその間に宿の娘に鴨を調理するように鴨肉を渡す。そして部屋の隅で震えている氷雨を銀雪は抱きしめた。 「零月、大丈夫か」 「襟に手を掛けられただけ……大丈夫です……」  しかし、零月の身体は震えている。そんな零月を銀雪は抱きしめると零月は安心したのか、銀雪の胸元に顔を寄せて泣き始めた。銀雪は氷雨を抱き抱えると、氷雨の落ち着くまで氷雨の傍にいた。  大丈夫と言っていたのは上辺だけ。襲われた恐怖からか、風邪を拗じらせた。  熱で朦朧としていた意識が覚醒し、気付けば知らない人達に囲まれていた。その人達は私に馬乗りになって私の寝間着を剥ぎ取ろうとする。何をしようとしているのか悟ったが身体が動かない。恐怖で混乱している脳裏に浮かんだのはいつも己の傍にいる妖狐だった。  酔っぱらいに襲われた翌日、一気に零月の熱は上がった。 「銀……雪……」  熱で意識の無い氷雨はただ俺の名を呼ぶ。どれだけ怖い思いをしたのだろう。ただでさえ、氷雨は同い年の者のように花街に行くことはおろか、春画の1枚すら持っていないのだ。そんな男ならば自分が何をされるのか分からなかっただろう。しかし恐怖で震え、この通り熱を出した。  熱で意識のない氷雨の額の布を冷たい水で濡らして絞って再び乗せると氷雨は僅かに顔を綻ばせる。銀雪は痛そうな顔で零月の手を握った。指の先まで熱い零月にとって、銀雪の濡れた指は心地よいのだろうか。微かに零月の指が握り返してきた。銀雪は恭しく零月の手を己の震える口元に持ってくる。そして手の甲に口付けを落とした。 「氷雨………」  銀雪の声は今までに無いほど弱々しく震えていた。

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