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終幕

お前の面影を持つ者を守る  蒼宮零月の死は藩に衝撃を与えた。零月が藩の中でも有能な学者の1人だったからである。零月を介錯した秋也はこの一件の下手人の嫌疑を掛けられたものの、すぐに嫌疑は晴れた。零月の遺体は蒼宮家の墓に弔われ、毎月紅原夫妻や一介の武士に変装した藩主が墓参りをしているという。  また蒼宮夕霧はあれきり行方知れずとなった。銀雪を引き取りに来た龍神と頭領が夕霧の手がかりを探せど見つからず、その5年後に鬼祓いの里が襲撃を受け、半数近くの里の者と秋也の妻子晴子と楓が亡くなったという。  そして零月の式神であった妖狐銀雪は龍神の神域の宮で10年も眠り続けていた。その眠りを傍で守っていたのは、魂のみとなった零月である。 「銀雪……」   誰かの呼び声に目を覚ます。誰であろう。目を開けると、氷雨がいた。……いや、氷雨そっくりの顔と声を持った別人が。銀色の髪、片目を覆う白布。かつての姿とは違う部分もあるが誰かは分かった。 「夕霧か?」 「うん……ごめん。遅くなって……」  銀色の髪の青年は青い瞳から涙を溢す。ああ、どれ程の間夕霧をひとりぼっちにさせてしまったのだろうか。気がつけば容易く人の姿となって夕霧を抱き締めていた。 「夕霧、大きくなったな」  夕霧は身体を震わせると、俺の腕の中でしゃくりあげた。  しばらくして夕霧は落ち着くと、今までの経緯を話し始めた。あの後、あの別邸に十年幽閉されていたこと。記憶の殆んどを失い、紅原への憎悪ばかりを植えつけられたこと。 「今のお前はさほど紅原に憎悪を抱いていないようだが、どうやって洗脳を解いたんだ」 「書庫の隠し部屋で父上の日記とこの文を見つけたんだ。それで少しずつだけど昔の記憶を取り戻した」   それは氷雨が毎日つけていた日記。ぱらぱらと開いてみると、氷雨の字があった。何気ない出来事から仕事のことまで綴られた日記。その中に文が挟んであった。その文を開いてみると、龍神の神気が籠められた氷のような鱗が零れ落ち、文の内容が見えた。 『貴方の叔父は私や紅原殿を恨んでおります。私は貴方の叔父に何もしてあげられなかったので、どう言われても仕方ないですが、紅原殿まで悪い人だ、私を殺した人だと教えられるでしょう。ですが薄氷の言うことを信用しないでください。そして夕霧、貴方は憎悪など抱かず幸せに生きなさい。貴方や貴方の母上、そして銀雪を遺して死ぬ私に言う権利はないでしょうが、私は貴方の幸福だけを祈っています』  本当にあいつらしい文だ。目頭が熱くなる。目の熱が収まるまで目を瞑ってからゆっくりと開いた。 「ところで夕霧、片目はどうした」  片目を覆っているということは下手をすれば失明したということだ。一体何があったのか。夕霧は苦笑すると白布に触れた。 「まあ色々とあって……片目を楓殿の弟にあげた。彼は奪ったって思ってそうだけど」 「色々って何だよ」  気まずそうに目を泳がせてる。まるでうっかり皿を割ってしまった時のような顔をしていた。 「そうしなければ一生幽閉されるままだったし、楓殿の弟も二十歳まで生きられなかったんだ。それに龍神様に目の代わりを埋め込んでもらったから10年もすれば目も見えるらしい。だから良かったんだけどさ……時雨にあんな顔させてくなかった」  夕霧は罪悪感を露にして俯く。どうしてそんな選択肢を取らざるを得なくなったかは分からない。それでも夕霧なりに苦悩して選んだことだろう。夕霧の頭を撫でた。 「今まで一人でよく耐えたな」 「銀雪……ずっと会いたかった……寂しかった…」  泣きそうな顔で笑う夕霧が痛々しい。本当はずっと傍で成長を見守りたかった。だが夕霧が生きてくれるのならばそれでいい。 「……氷雨がずっと傍に居た気がするんだが、知らないか?」 「ああ、そうだとも。何せこの私が彼が河を渡る前に掴まえたのだからね」  青年の声がする方を見ると、龍神が蒼い髪を靡かせて入口に凭れていた。 「久しぶり、銀雪」 「龍神……久しぶりだな……」  無意識の内に、俺の目線は龍神の手の平の上にある蒼白い炎に吸い寄せられていた。あれは……まさか……。  龍神は手の平の炎に目を遣ると微笑む。 「お察しの通り、これは零月の魂だ。零月はもうすぐ魂を浄化するために眠りに移るがな」 「どういうことだ」  龍神は憂いを帯びた顔でそっと氷雨の魂を撫でると、答え始めた。 「零月は死ぬ直前に21人を殺した。君達を守るためにしたのだから仕方がない。だが冥府はそれを考慮せず地獄に堕とすだろう。だから零月の魂を此処で浄化するんだ。数十年から数百年はかかるかもしれないけど、その後、輪廻に戻すつもりだ」  なのにと龍神は苦笑する。 「銀雪、零月はずっとお前が目覚めるのを傍で待っていたんだ。お前が今、人身を取り、人の言葉を理解できる妖力を取り戻したのは零月のお陰だよ。恐らく愛の力というやつさ。……しばらく会えないだろうから、一度お別れをして置いた方が良いだろう」 「そうだよ、銀雪。きっと父上もそれを望んでいる」  夕霧に視線を戻すと、夕霧は柔らかく笑っていた。 「お前……いつから俺と氷雨の仲を……」 「いつからだろうね。分からないけど、確信を持てたのはつい最近だと思う」  俺を残して夕霧は外に出ようとしたが、龍神に止められた。 「君もお別れを言っておきなさい。私の眷属になったから老いて死ぬことはないが、待つのは長いだろうから」 「……はい」  夕霧は頷くと俺の隣に戻る。俺の袖を掴む夕霧の手は震えていた。  龍神が氷雨の魂にふっと息を吹き掛ける。氷雨の魂は龍神の手から離れると光に包まれる。瞬く間に人の形になると、それは氷雨の姿になった。氷雨はゆっくりと目を開けると、俺達を見た。 「銀雪、夕霧。お久しぶりですね」  生前と変わらぬ微笑み。その笑みを見た途端、目から熱いものが溢れた。 「父上……!」 「氷雨……」  俺達は氷雨に駆け寄ると、氷雨は両腕を広げた。夕霧は氷雨に抱き締められ、俺は氷雨を背後から抱き締め合うという構図。「苦しいですよ」と言いながらも氷雨は笑っていた。 「父上……ずっと会いたかった……」 「ごめんなさい。貴方を一人にしてしまって。私も貴方に会えてよかったです」  親子の抱擁に胸に込み上げる物もあったが、今まで訊きたかったことがある。 「どうしてあんなことなんかしたんだ。そんなことをしたからお前は……21人も……」  氷雨は苦笑しながら、夕霧の頭を撫でた。 「私はあの少し前に夢を見たんです。私一人が残って死ぬなら二人が助かる。皆で戦えば全員殺されると。古い陰陽師の血が身体に流れているせいか、今までの経験からすると私の夢は当たるんですよ。だから私一人が残るという選択を選んだんです」 「だけど……俺は……お前を守れなくて……夕霧を守れなくて辛かったんだぞ……一人で抱え込んだ挙げ句、あんな命令を下しやがって……」  主従というよりは互いに対等な存在であった故に、俺はあんな命令は聞かずにお前達を守りたかった。その後悔は一生俺について回るだろう。 「……ごめんなさい。貴方の想いを無視して……」  氷雨のことは変わらず愛している。愛しているからこそ許さないし、許そうとも思わない。 「悪いと思うなら、早く浄化を済ませろ。そして……絶対生まれ変わって俺の元に戻ってこい。お前がどんなろくでなしだと実感しても、俺は一生お前を愛し続けるのだから」  氷雨は目を瞬かせると、涙を溢れさせた。 「銀雪……夕霧……ごめんなさい…貴方達に辛い思いをさせて……」 「謝らないでください。僕と銀雪は父上を愛しているのですから」  三人とも涙を溢すものだからいつの間にか衣が濡れる。いつの間にかあの時の胸の痛みは無かった。 「もう言い残すことは無いかい」 「はい。このような幸せな機会をくださりありがとうございました」 「君の信仰心に報いたかったから、当然のことをしたまでだよ」  龍神は苦笑して氷雨を見つめる。氷雨は俺達の方を向くと微笑んだ。 「では、銀雪、夕霧、眠りに入らせていただきます。さようなら」  夕霧は唇を震わせて俯いていたが、顔を上げると微笑んだ。 「はい……父上……さようなら」  一方俺は「さよなら」の言葉が言えなかった。そんな俺に氷雨は近づくと、唇を重ねた。生前と違わぬ温もりが唇に伝わる。 「銀雪……またいつか会いましょう。我が愛しい狐」 「そうだな…また……会おう……我が最愛の君」  氷雨は微笑むと目を瞑る。その身体が光に包まれて人の形を失う。その手を掴もうとしたが、掴むことは出来なかった。 『翡翠によろしくと伝えてください』  その言葉を最後に、氷雨の魂は龍神の手の中の蒼玉に吸い込まれた。龍神はそれを懐に大切そうにしまった。 「では彼を浄化の為に神域の奥に連れて行く。君達はしばらく此処にいなさい」  龍神はそう言い残し去っていく。龍神の足音が遠退くと、夕霧は嗚咽を溢して泣き崩れた。そんな夕霧を抱き締める。もう一人きりになどさせない。ずっと傍にいると誓いを立てて。  夕霧が泣き疲れて眠ってしまったので、次の日になってからこれからのことを話し合うことにした。龍神の住まう神域の外に出てみると、まだ肌寒い夜である。朝日がよく見える場所に腰を下ろし、竹筒に詰めた熱い甘酒を寄り添って飲みながら話すことにした。 「夕霧……これからどうするか決まっているか?」 「どうせ武士の子としての僕は死んだとされているし、元々叔父上は僕を養子にすることで陰陽寮に入れようとしてたから陰陽寮で働いてみようと思う」 「いいのか。お前は。仇と同じ仕事など」  夕霧は目を細めて微笑んだ。 「同じ仕事だからだよ。叔父上は僕の力を悪用しようとしてたけど、僕は自分の意思で母上から受け継いだ力を使いたい。それが叔父上への仕返しになるだろうし。銀雪、ついてきてくれるかな……?」 「当たり前じゃないか」  夕霧の肩に腕を回して引き寄せる。 「だから氷雨のように置いていくことなどするなよ。そんなことをしようものなら許さないからな」 「うん……ありがとう……」  少しずつ空が白んできている。もうすぐ夜明けとなるだろう。 「そういえば元服してからの名前は決まってないよな」 「そうだけど……決めてあったの?」  首を傾げる様子は幼い頃と変わりなくて思わず顔が綻んでしまいそうになる。 「ならば教えようお前の名前は……」  耳元で囁く。夕霧の元服の折に付けるつもりだった、氷雨が俺に受け渡した名前を。 「うん……すごく良い名だね。銀雪ありがとう」 夕霧は屈託の無い顔で笑うと、氷雨の死で凍りついていた心の一部が雪解けしたような気がした。 「だろ? 氷雨から聞いたとき、俺もお前のその名前を気に入ったからな」  互いに笑い合っている内に夜が明ける。朝焼けはそんな二人を優しく照らし、二人の銀髪は朝焼けの光を受けて雪解けの雪の如くきらきらと輝いていた。

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