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第1話 大失敗
「えっ……う、嘘だろっ!」
高田智之は我が目を疑った。
何度見直しても、その価格表の作成日は2007年と書かれている。
3年前の値段で売ってしまった……
最悪のミスに気づいて、全身の血の気が引く。
高田は中規模の産業用機械メーカーの海外営業部に勤めている。
最近ようやく1人で海外出張にも行かせてもらうようになり、台湾にある古くからのクライアントに、食品工場のライン用大型機械を売る契約を取ってきた。
その部品の仕入れを間違えたのだ。
最新の価格表と照らし合わせると、現行価格のパーツを使えば売値は1割アップしてしまう。
利益をぎりぎりに押さえて取った契約だったので、粗利は7%しか乗せていない。
このまま取引が進めば3%の損失。
約300万円……
こんなミスは入社以来初めてだ。
今更値上げなど出来るはずがない。
社の信用丸つぶれだ。
すぐに気づけばなんとかなったものの、もう明日がパーツの納品日だ。
製造が始まってしまえば、もう止めることはできない。
とにかく、同じようなパーツを1割以上安く仕入れできる部品メーカーを探し出せないものか。
代替え部品さえ見つかれば、間違って仕入れたパーツの使い道を別に考えればなんとか損失は防げる。
だけど……
そこまで必死で考えて、高田は絶望的な事実に気づく。
そんな特殊なパーツを使う機器は限られている。
高田が担当している台湾の取引先にはそんな大量のロットを売れるアテなど他にまったくなかった。
どうなるんだろ……俺。
減俸?……ならまだいい。
リストラ、もしくは損失を弁償させられるとか……?
代替え部品のメーカーを探そうとしても、まったく意識が集中できない。
ようやく現実が見えてくると、マウスを握りしめている手が震える。
明日には、ばれる。
部品が納入されてしまえば、事態は露見する。
「おい、どうしたんだ。顔色変えて」
いつから後ろに立っていたのか。
声を掛けてきたのは同じ営業部で2年先輩の神谷隆史である。
営業部全員が帰社して高田がひとり残業をしているところへ、神谷が外出から戻ってきたのだ。
「先輩……」
振り返った高田の表情からただごとではないと察したのだろう。
黙ってパソコンのモニターを覗き込んでくる。
神谷とは席が隣なので比較的親しくしているが、担当しているクライアントがまったく別なので仕事上の接点は少ない。
出身大学がたまたま同じなので先輩、と親しげに呼んでいるが、世間話をする程度の仲である。
こんな重大な問題を打ち明けてもよいのかどうか、高田は迷う。
神谷は営業部の中では抜群に頭も良く、抜きんでている。
営業成績もトップクラスだ。
しかしその分何を考えているのかわからないような、謎の部分も多かった。
手放しで信用できる、という相手ではない。
「キシモトの特殊パーツか。明日納品になるやつだろ?」
「そうなんですが……」
「何かトラブったのか」
ここで神谷に話しても話さなくても、どうせ明日には露見するのだ、と高田は気づく。
それなら今誰に話してしまっても同じことだ。
もう今からこの事態を回避する手段など、自分にはないのだから。
「先月台湾に出張に行った時にとった契約なんですが……価格設定を間違えました」
「安く売ったのか」
「キシモトの価格表が古かったんです。1割値上げになっているので、3%の損失が……」
説明しながら、みぞおちのあたりが締め付けられるように苦しくなり、吐き気がしてくる。
「契約は1ヶ月前か。今更値上げは無理。損失は……」
神谷はPC上の契約書を見て、軽くため息をついた。
「300万か。えらいことしでかしたな、お前。もうストップかけるのは無理だろ」
神谷は自分のデスクのPCを立ち上げると、机の中から分厚いファイルを取りだして真剣な顔で何かを探し始めた。
「先輩……」
「ちょっと待ってろ。その型のパーツは確かサードパーティーでも代替えがきくはずだ」
「心当たりがあるんですか?」
「だいぶ前に扱ったことがある……思い出すからちょっと待て」
待て、と言われれば待つしかない。高田にはなすすべなどなく、途方にくれていたのだ。
「これだ」
神谷は高田の顔を見ることもなく、デスクの上の受話器を取り上げてどこかへ電話をかけた。
一刻を争う状況である、ということを理解してくれているその行動に、高田は涙が出そうになる。
「……ええ、そうなんです。即納品できる数を調べて頂けませんか」
電話の相手が席をはずしたのか、神谷はだまりこむと、高田に向かってOKサインを手で示す。
何がOKなのか高田にはよくわからないが、代替えのパーツが見つかるのかもしれない。
「そうですか。では急なお願いで申し訳ありませんが、納入先と発注書は今からFAXします」
神谷は電話を切ると、ふう、とため息をついた。
「とりあえず、このメーカーに発注書をすぐに送れ。単価はキシモトより2割は安い。その分強度は落ちるかもしれんが、クレームになることはないだろう」
「わかりました! ありがとうございます!すぐにやります」
高田はPCに向かって発注書を作成し始めるが、まだもうひとつ問題は残っている。
高く買ってしまったほうの部品の使い道がなければ、損失が出てしまうことには変わりがないのだ。
ちら、と横目で神谷の様子をうかがうと、ボールペンをかじりながらPCの画面をじっと見ている。
それはPCを見ているのではない、考え事をしている時の神谷のクセなのだ。
高田はそれを知っているので声をかけずに待ってみる。
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