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第2話 見返り

 やがて神谷は電卓を叩きながら、見積書の作成を始めたようである。  それは営業から戻ってきて自分の仕事をしているのか、それとも高田のためにやっているのかわからない。  代替えの部品だけ見つけて放置されるのか、と高田は泣きそうな思いで神谷が何か言葉を発するのを待っている。    集中している時の神谷は仕事が恐ろしく速い。  高田が発注書を仕上げるよりも早く見積書を完成させると、検算して今度はメールフォームに何か英文を打ち始めた。    鮮やかだ……といつも高田は感心する。  高田は辞書をひかずに英文のメールを打つことができないが、神谷が仕事中に辞書をひいているところは見たことがない。  メールを打ち終えると、神谷は再び受話器を取り上げた。  国際電話だったようで、英語とインドネシア語のまじったような言葉で話しているので、高田には何を話しているのかよくわからない。  時々画面の見積書を見ながら、何かを説明しているようだ。    電話は長引いた。十五分か二十分ぐらいは話していただろうか。  神谷は電話を切ると、再びふう、とため息をついた。  それが安堵のため息のように聞こえて、高田は神谷の言葉を待つ。  しかし神谷はなかなか口を開かない。またボールペンをくわえて、何かを思案している。  耐えられなくなった高田はついに声をかけてしまう。   「あの……先輩、今の電話……」 「お前はとりあえずその発注書早く送ってしまえ。話はそれからだ」 「は、はい……わかりました」 「それから、キシモトに電話して出荷を止めろ。納入先は改めて連絡すると言っとけ」    見捨てられたわけじゃない、と安堵して高田は必死で仕事を片付けた。  発注書をFAXして戻ってくると、神谷はPCの電源を落として帰り支度をしている。   「FAXしたか。今度は間違ってないだろうな」 「大丈夫です」    送った発注書を神谷に差し出すと、ざっと目を通して神谷はそれをデスクの上にパサっと置いた。   「飯、食いにいこうぜ。俺、腹減ってるから」 「わかりました。すぐ片付けますから」    神谷が何を考えているのかわからないのは、こういう時だ。  手の内をみせずに肝心なことは最後まで言わないでおくような面が神谷にはある。  ここは黙って食事のお供をするしかない。  食事ぐらいはおごらせて頂くのが筋だ。   「先輩、何か食いたいものありますか」 「いや、いつもの居酒屋でいいだろ」      会社の近所にある営業部御用達の安い居酒屋に2人は向かった。  考えたら神谷と2人で食事をすることなどめずらしい。  神谷は先に立って店に入ると一番奥まった人目につきにくい席に座った。 「インドネシアの取引先には食品工場もいくつかあるんだが、社長と親しくしているところが一件だけある。ゴルフ友達でな」    神谷はビールを飲みながら一方的に話をしていて、高田は神妙に相づちを打ちながら聞いている。   「さっきのパーツ。俺が引き取ってやってもいいぜ」 「本当ですかっ?」    高田は思わず身を乗り出す。  やっぱりさっきの電話はその電話だったのだ。   「まだ交渉中だが、俺が無理を言えばなんとかなる。前々から機械を入れ替えろ、という話はしてあったんだ」 「お、お願いしますっその話をぜひっ」    高田はテーブルに頭がぶつかりそうになるほど、深々と頭を下げてお願いをした。   「インドネシアは台湾に比べて工場の規模も大きいし価格的には問題ない。ただ、取引先に無理を言えば、俺がその分見返りを要求される。それはわかるよな?」    国民性なのかもしれないが、高田が担当している台湾などではそう言った話は少ない。  しかしアジアの後進諸国では、まだまだ取引に見返り、つまり袖の下のようなことはつきものだと話には聞く。  袖の下は別に現金とは限らない。  何かの形でギブアンドテイクになるように、便宜を計るということだ。   「見返りって、どんな……」 「まあ、たいしたことじゃないが、俺の接待労力が増える、ということだな」 「あの……俺はどうすれば……」    話の本題がよく見えない。  その接待労力は高田が代わることはできないのだ。  それをどうしろと言うのだろう。    神谷はビールをぐい、と飲み干すともったいぶるように、話の途中で店員を呼んで追加を注文した。  それから、心配な顔をしている高田の顔を見てフっと笑った。   「助けてやってもいいけどさ。俺にも見返りあってもいいんじゃねえ? こんだけの注文ねじ込むの、大変なんだぜ」 「わかってます。俺にできることだったら、何でもします! あ、あの、金とかないですけど、それ以外なら何でも」 「俺は金には不自由してねぇよ」    それはそうだろう、と高田は思う。  神谷はいわゆる坊ちゃん育ちだし、外国製の車に乗ったりしているのも知っている。   「本当に何でもするんだな?」    神谷は念を押すように高田の顔を見てニヤっと笑った。  この状況で高田に拒否権などない。  何を要求されるのかわからないが、やってできないことなどないだろう、と高田はうなずく。   「なら、今日今から、お前の身体を自由に使わせろ」 「身体……ですか? それって……あの……どういう意味ですか?」 「はっきり言わないとわかんねぇの?」    周囲に人が聞いてるけど構わないのか、とでも言うように神谷はちら、っと他の客を見渡した。  

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