大方の予想を裏切って、最終選考を勝ち抜いたのは広瀬隼人(ひろせはやと)だった。 　４週間に渡るそのオーディション番組は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの作曲家、沖田翔(おきたしょう)が新人歌手を全面プロデュースするというもので、全国から数千人の応募があったという。 　沖田のユニットは一世を風靡したので知らない人はいない。 　ユニット解散後は作曲家に転身して数々のＣＭソングやヒット曲を飛ばし、今や全盛期と呼べる程に名前は売れている。 　広瀬は自分のことを、ちょっとカラオケが人より上手いというだけの、普通の大学生だと思っていた。 　応募したきっかけも、友人と一緒にカラオケに行った時におだてられて、応募すると約束してしまったからだ。 　ルックスも十人並みだと自分で思う。 　一次選考通過の知らせが来るまでは、応募したことすら忘れてしまっていたぐらいだった。 　審査は一般の人気投票に数人の審査員の点が加算される。 　しかし最終審査は、当然のことながらプロデュースする沖田の意見が最優先されると聞いた。 　曲を書く方にしてみれば、ある程度好みのタイプというのもあるだろう。 　番組は週に１度で、そのたびに数人の候補者が脱落する。 　３週間目の審査を終えた時点で、広瀬は残ったメンバーの中で人気は最下位だった。 　それでも広瀬は十分満足していた。 　最初から勝ち残れるなんて思っていなかった。 　ここまでこれただけでも十分思い出になる。 　真剣に歌手をめざしていたという訳でもない。 　最終審査に残った人は、皆自分より歌がはるかに上手いと思った。 　レッスンを積んできたような人ばかりだ。 　４週間のオーディション番組に残れたことだけで、いい夢を見たと思っていた。 　しかし、夢はそれで終わらず、広瀬は最後まで勝ち抜いてしまった。 　一番驚いたのは本人だ。 　勝ち残った理由がわからない。 　最終結果が発表され、ステージの中央に立たされた広瀬は、その時初めて審査員である沖田の顔を直視した。 　それまでは緊張するからなるべく見ないようにしていた厳しい顔。 　これからはこの男と顔をつき合わせて仕事をすることになるのだ。 「彼の持つ雰囲気そのものがすごくいい。可能性に期待します」 　沖田とステージの上で握手を交わした時、この人は本当に見る目があるんだろうか、と広瀬は他人事のように思っていた。 　オーディションに勝ち残ってしまった広瀬は途端に忙しくなり、大学へは行けなくなってしまった。 　行けたとしても、騒ぎの中心になるのは御免だ。 　広瀬はどちらかというと人見知りで、知らない人に囲まれるのはあまり得意ではない。 　広瀬は子供の頃に両親と死別していて、身寄りらしい身寄りはいない。 　幸い成人したところだったので、契約関係は全部自分で済ませた。 　事務所が決まり、マネージャーが決まり、すべてが自分の預かり知らぬところで進んでいく。 　もともと芸能界のことなど何も知らない広瀬は、言われるままになるしかない。 　勝ち抜いてしまった責任がある以上、逃げる訳にはいかなかった。 　契約関係や取材を一通り済ませると、レッスンが待っている。 　約２週間の間、沖田翔本人のレッスンを受ける。 　そして、２週間後の収録で、新曲を披露する、と聞かされていた。 　たった２週間で見違える程歌が上手くなれるとは思えなかったが、それなりにプロらしく見えるようにアドバイスしてもらえるんだろう。 　沖田のレッスンを受けられる、ということは、沖田の曲が好きな広瀬にとっては嬉しいご褒美だった。 　憧れの芸能人だ。 　本人と話をしてサインが貰えるだけでも、舞い上がってしまうだろう。 　沖田に会えるのを楽しみに頑張ろう。 　広瀬は何も知らない世界に飛び込むに当たって、それだけを心の頼りにしていた。