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第2話 レッスンが始まった

 レッスン場所に指定されたスタジオで、沖田はひどく不機嫌だった。    沖田は広瀬をもっとじっくり育てるつもりだった。  『可能性に期待する』と言った言葉は嘘ではなかったのだ。  2週間後に新曲を発表させるなど、今の広瀬の実力では無理なのは明白だ。  下手をすれば、広瀬を選んだ沖田の目が節穴だったと言われてしまうだろう。  制作費をケチりやがって……と心の中で舌打ちしたい思いだった。    すぐに使える人材を探せ、と言われていたのなら、別の人間を選んだ。  広瀬を選んだのは、本当に真っ白な新人を育てたいと思っていたからだ。  そのへんの沖田の希望は番組側に正しく伝わっていなかったようだ。  せめて2、3ヶ月あれば……と苦々しい思いで沖田は広瀬のことを見ていた。  決して広瀬自身が悪い訳ではないとわかっている。  選んでしまった自分に全責任があるのだ。 「ピッチが致命的に悪い」  一日目のレッスンは、ドレミファソラシド、と正しい音程をとる練習だけで終わってしまった。  広瀬は素直な性格なので、レッスンとはそういうものなんだろう、とけなげに練習している。  しかし、そんなことをやっている場合ではないのだ。  沖田のイライラはつのった。  2日目のレッスンでは、音程を気にするあまり、広瀬は萎縮して声が出なくなってしまった。  3日目のレッスンでは、声が出ていないと沖田に叱られ、精一杯声を出して歌うと抑揚がないとまた叱られた。  広瀬は広瀬なりに一生懸命なのだ、ということを沖田は分かっていた。  分かっているのだが、どうにもしてやれない。  基礎をきちんとしておかなければ後に苦労をするのは本人だ。   「あの……沖田先生。僕はダメなんでしょうか」  広瀬は不安に耐え切れない、という表情で思わず沖田にそう聞いてしまった。  ダメならダメで、そうはっきり言ってもらったほうがすっきりする。  不機嫌そうな沖田を見て、これ以上困らせたくないと広瀬は感じていた。  広瀬は、自分を選んでくれた沖田が少しは自分に好感を持ってくれているのだと信じていたが、レッスンを受けている内にそうではなかったように思えてきた。  沖田は自分をまっすぐ見ようとしてくれないし、笑いかけてもくれない。 「いや、ダメな訳ではない。ただ、2週間後の収録に間に合わせるのは非常に難しいんだ。君の場合」 「そうですか……すみません、期待に添えなくて」  つれない沖田の言葉に、広瀬はあきらめたようにあっさりと頭を下げた。  実力が足りないのは自分が一番良く知っているが、沖田をがっかりさせた、ということが悲しかった。 「とにかく……君にはボイストレーナーをつける。基礎をきちんと勉強してくれ」 「わかりました。有難うございます、頑張ります」  広瀬が深々と頭を下げて出ていった後で、沖田は自己嫌悪に陥った。  あの若者にあんな顔をさせるために、オーディションに合格させたんじゃない。  広瀬は事務所にも所属していなかったし、歌のレッスンを受けたこともないシロウトだ。  頼れるのは自分しかいないはずなのに、不安な顔をさせてしまった自分を情けなく思う。  沖田はため息をついて、一番信頼しているボイストレーナー、牧田美鈴(まきたみすず)に電話をかけた。  レッスンは美鈴にまかせて、自分はもっと何か別の手段を考えよう。  場合によってはもっと簡単に歌える曲を書き直してもよい。  沖田には、広瀬自身とじっくり向き合っている時間も余裕もなかった。  翌日広瀬がレッスンに行くと、そこに沖田の姿はなく、代わりに美鈴が待っていた。  ああ、やはり自分は沖田に見放されたのだ、と広瀬は思ったが、少しほっとした気持ちもあった。  沖田の顔を見ても萎縮するばかりで、上手く歌える自信がない。  叱られるのは仕方がないとしても、がっかりさせるのが何より辛かったのだ。 「沖田君から急に頼まれたの。ピンチヒッターの牧田美鈴です。よろしくね」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 「君が期待の新人ね。確かに沖田くんの好みのタイプだわ」 「そうなんでしょうか……」 「ルックスが特にね。中性的な雰囲気が気に入ったんじゃないかしら」  確かに審査の時沖田は広瀬のことを「中性的な魅力」と言っていた。  広瀬は華奢で、男としては線が細いタイプだ。  中性的、というのはつまり女性っぽいということだろう、と自分でも思う。  色白で、どこか儚げな色気があると友達にからかわれたこともある。  美鈴は明るくて、おしゃべりだ。  沖田とは友人づき合いが長いらしく、レッスンの合間に広瀬のまだ知らない沖田の話をいろいろと教えてくれる。  沖田のレッスンでは雑談などほとんどなく緊張するばかりだったので、広瀬は美鈴のレッスンの方が楽しいと思った。 「美鈴先生、僕はピッチが悪いんですか?」 「そうね、でもそんなに気にする程でもないんじゃないかな。練習していれば良くなっていくと思う」 「練習してるんですけど……翔先生には致命的って言われたから」 「練習するのは大切だけど、人前で曲を歌う時にはそんなこと考えずに歌ったほうがいいよ。思い切って歌えなくなってしまうでしょう? 本番では心をこめて歌うことの方が大切だから。翔は基本にうるさいのよ」  広瀬はにっこり微笑んだ。  心をこめて歌うことの方が大切、と言われたのが嬉しかったからだ。  沖田の前では、注意されたことに気をつけるのが精一杯で、そんなことは忘れてしまっていた、と気がついた。   「ねえ、隼人くん、今日はこのあと何かスケジュールがあるの?」 「いえ、特にないんですが」 「じゃあ、食事して帰らない? 私、隼人くんが気に入っちゃった。練習ばっかりしているより、いろいろ話も聞きたいでしょう?」  突然の誘いに少し驚いたが、聞きたいことはたくさんある。  美鈴もまた有名なバンドのボーカリストであり、こんなチャンスはまたとないかもしれない。  広瀬は二つ返事でOKして、美鈴の知り合いがやっているという店に行くことになった。  

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