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第25話 ミネストローネが美味しいあのお店

 まさか今日会えるなんて思ってなかった。  わ。  すごい。  嬉しい。 「友達、かな? いいの?」 「はい! あ! 晶です! この前、電話っ」 「あぁ、彼がそうなんだ」 「はい! あの……」  義信さんはなんで、ここに、なんて訊いていいのかわからなくて、途中で言葉を止めた。今日は定休日なわけだからプライベートってことなわけで。  今の時間は九時、夜の。駅前のパン屋さんで、それで。 「僕は、いわゆる休日出勤。お店は休みだけどね。少し雑務が残ってたから、夕方から店にいたんだ」 「え、そうなんですか? 言ってくれれば手伝ったのに」 「学生を働かせすぎだ」 「そんなのっ」  義信さんはふわりと笑ってくれた。 「半袖、元気だね」 「あ……これは」  そんなに寒くはなかったけど、でも、確かに夏みたいな格好で、けど、まだ五月。それなのに半袖の自分が急に子どもみたいに思えて、カーディガンぐらい持っていればよかったって思った。義信さんみたいな大人にしてみたら、遊びに行こうって出かけた先がカラオケなのも、食べたのがポテトとかの軽食っていうのも、なんだか、とても子どもっぽく感じられて。 「つい呼び止めた。明日も学校だったね」 「あ、いえっ」 「じゃあ、また、あし」  また明日、さようなら。ものの数分しか話せなかったって、慌てて、何か、なんでもいいから義信さんを引き止めようって。  何かないかな。  休みの日なのに、仕事してたの、疲れてるかな。  早く帰りたい、よね。  けど、ちょっとくらい。  電車で一緒に、とか?  って、上りなのか下りなのかもわかんないじゃん。  えっと。  待って。  せっかく会えたから、あとちょっとだけ。  あと、もうちょっとだけ。 「あ、あのっ」  ぐぅぐるるるるるる。  ちょっとだけでも引き留めたくて。 「…………あ」  けど、なんて言って引き留めたらいいのか、わかんなくて。 「あああ、あの」 「っぷ、あはは」  ああああ、もお!  なんで、今、このタイミングでお腹。 「お腹、空いてた?」 「い、いえっ」  なんで鳴るかな。  これじゃ、本当に子どもじゃん。まだギリギリ五月で、昼間ならまだしも、夜に半袖で、カラオケ帰りに、スナックしか食べてないからってお腹減って、ぐー、なんて鳴らして。 「ここのパン屋、スープも美味しいんだ。ご馳走してあげるよ」 「えっ、けどっ」 「いいから、おいで」 「あ、あのっ」  恥ずかしい。 「僕もスープはどうしようか迷いつつ出てきたんだ。君も道連れにして再入店」  けど、ラッキーで、嬉しくて。  義信さんの後を追いかける一歩が、それこそ子どもみたいにはしゃいでた。 「わ、美味しい」 「僕のおすすめはミネストローネなんだ」 「すっごく美味しいです」 「よかった」  ここのパン屋さん、朝、大学に行く時、すごくいい匂いはしてたけど、高いし。カウンターの席から外を眺めるってこんな感じになるんだなぁ。すごい、みんな忙しそう。早く帰りたいですって顔をして、とにかく早歩きで目の前を通り過ぎていく。  それから半袖の人、一人もいない。  確かに俺、元気っぽいかも。 「お腹、空いてた?」 「あ、あれはっ」 「絶妙なタイミングだったね」 「あれはっ、ですねっ」  思い出すとあまりのタイミングの「悪さ」に真っ赤になる。もうちょっと、何かあそこでロマンチック、とまではいかなくてもいい感じの引き留め方ができたらよかったのに。  何?  腹の虫で引き止めるってさ。  ダサいでしょ。 「カラオケ、行ってて、ちゃんとしたご飯は学食のランチの後、食べてなくて。ポテトとか、そういうのばっかり食べてたから」  子どもっぽいよね。フライドポテトで夕飯なんてさ。義信さんは絶対にそんなのしないだろうし。 「カラオケかぁ、もう何年も行ってないな」 「そうなんですか?」 「歌、苦手なんだ。汰由は上手なんだろうな」 「えぇ? すっごい下手ですよ」  本当に俺は下手。けど、義信さんはすごく上手な気がする。この優しいけど低い声で歌うとか、もう想像しただけでかっこいいんだろうってわかるし。けど、控えめで柔らかい人柄の義信さんのことだから謙遜してるんだろうなって思った。でも、それもまた大人っぽくてかっこよくて。 「汰由の声は澄んでて綺麗だから、なんでも歌えそうだよ」 「……ぇ」  ―― 汰由、澄んだ綺麗な声だ。  それって。 「……」  義信さんが目を、丸く、した。  澄んだ声、そうほめてもらった。  前に、も。  あの時、にも、言ってもらえた。  初めての夜。 「…………ぁ、の」  俺の、初めて。 「なんでもない。スープ冷めないうちに」  覚えていてくれたんだ。  わ。  ど、しよ。 「あ、あのっ」  きっと、あれは一夜限定で、俺のためにしてくれただけのことで、もう今、アルバイトと店長っていう間柄だから、あの夜のことはしまいこまれちゃったんだって思ってた。  義信さんの中ではなかったことっていうか。  片付け終わった出来事っていうか。 「あのっ」  まだ五月なのに半袖で、カラオケくらいしか遊び方を知らなくて、ビールも苦手な俺なんかは義信さんにとっては子どもで。  義信さんはかっこいい大人で。  あの夜はただ俺のこと介抱してくれただけで。 「っ」  別に、俺のことなんて、なんとも。  そう思ってた。  けど、覚えていてくれたんだ。  あの夜のこと。 「あの……」 「スープ、美味しかった? あんまり遅くならないうちに帰った方がいい。引き留めてしまった」 「いえ、そんなっ」  食べ終わったトレイを義信さんは片付けてくれて、そのまま外へ。 「わ……」  さっきはカラオケを終えたばかりで、晶もはしゃいでたし。だからそんなに寒くなかった。駅のところで義信さんを偶然見かけてからはそれこそ一人でテンション高くなっちゃったから、ちっとも寒くなんてなくて。  けれど、一旦落ち着いて、外に出たら、流石に半袖は不正解だったんだって肌寒さに背中が丸まる。  ちょっと寒い。 「汰由」 「は、はい」 「薄着だ」 「……」  今日も義信さんはラフな格好で。  Tシャツにカーディガン。 「!」 「これ、着ていていいよ」 「え、あのっでも!」 「僕は、この駅の反対側だから。実は徒歩圏内」  そうなの? じゃあ、近いんだ。ここから。 「けど」 「風邪を引かせたら大変だ。明日もやってもらいたいことあるから。今日、そこはやらずにデスクワークだけで帰ってきてる。だから休まれるとちょっと困る」  カーディガン、肩に。  かけてもらっちゃ……った。 「明日、返してくれればいいよ」 「あのっ」 「帰り、気をつけて」  ど、しよ。 「お疲れ様。汰由」 「お、疲れ様です」  手を振ってくれる義信さんに俺も手を振った。  袖、余ってる。  大きいんだ。それに……。 「また明日」 「はい……また、明日」  カーディガンあったかくて、半袖で肌に直接触れるのが、すごく気持ち、ぃ。  ドキドキするくらい、気持ち、ぃぃ。

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