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第1話 落陽

大学生になって、親しい友達と離れ離れになって半年。 ズルズルと3年間以上片想いをしていた相手にまさかの彼女ができた。 ずっとバスケ一筋で、あまりにも女っ気がなかったから完全に油断していた。 『頭が真っ白になる』 その意味を改めて知った。 『彼女ができました~!』 ニコちゃんマークと共にそんなメッセージが送られてきた。 立て続けにツーショットまで。 すとーん、と。 落下してきたよく分からない感情が胸を貫く。 じわじわとそこを中心に亀裂が入る感覚。 掻きむしったって消えないのに、息を吐きながら胸元を押さえ込んだ。 想えるだけでいい、なんて思ってた。 報われることは端から期待してなかったのに。 そんなわけなかった。 あいつとどうこうなるとかむしろ想像できなかったのに。 ショックは意外とデカい。 いつの間にか明るく染められた髪の毛。 顔をクシャッとさせて笑う快活そうな女子。 バスケしかしてなかったじゃん。 あのデカいバスケットボールも掴めそうな、筋張った大きな手。 俺の好きだった彼の手は、その子の肩を抱いていた。 「うーわ……まじか。」 ポツリと呟いて、スマホを持つ手がだらりと垂れた。 盛大にため息が漏れる。 * あーあ。 いつかこの日は必ず来るとは思っていたけど。 できたら一生来ないで欲しいって願っていた。 俺の方がその子よりお前の事知ってるし。 その子より長くお前のこと想ってたし。 秤にかけることができるなら、俺の気持ちが1番重いに決まってる。 現実を突きつけられたって、まだお前のこと好きですけど。 部活ばっかだったくせに、女心とか分かんの? 空気読めずにすぐフラれちまうんじゃねーの。 俺なら、お前の子どもっぽいところだって…… 「あぁー……も〜……違う違うばかばかばか。」 俺ならってなんだよ。 端から可能性なんてなかっただろ。 ノンケに恋なんかするもんじゃない。 あいつが好きになるのは、ゴツくてでかい男じゃなくて小さくて柔らかい女なんだって分かったじゃん。 そんなの、分かってるけど。 好きになるのにタイミングとかそんなのない。 いきなり足をすくわれて、真っ暗な穴に落とされる。 容易に這い上がれるわけがない。 最終的にこんな気持ちになるのに、なんで好きになったんだろう。 寂しい。 チクチクと痛みを増していくそこを無意識に擦る。 なのになんで涙は出ないんだ。 嗚咽の一つ、漏れてしまえばあとは簡単なのに。 (あ、もうなんか駄目だ。今夜このままひとりは無理。) 画面に出ていた渡貫の写真をスライドして消す。 スクロールするまでもなく、着信履歴の一番上にいる男に電話をかけた。 何年経っても、寂しさを他人の体温で埋めることから抜け出せない。 「もしもし、希響さん? 今夜ってさ、暇? 失恋したから慰めてほしいな~、なんて。」 * 「お、音彦くん…!」 息をきらして、駆け寄ってきたこの人。 犬丸 希響(いぬまる ききょう)。 名前に犬がついているだけあって、全身からあふれる忠犬オーラ。 綺麗にセットされていたであろう髪の毛は、走ったせいで前髪が上がっている。 わんわん。 失恋で寂しいから慰めてほしくて呼び出したというのに、今さら罪悪感に苛まれる。 体格にも顔面にも恵まれて、男からも女からも引く手あまたって感じの彼。 なんで俺のことセフレに選んでくれたんだろ。 性格もセックスも優しいけど、そこはかとなくアニマルセラピー感が否めない。 多分これを言っても彼は怒らない。 「どーも。」 ひらひらと手を振れば、困ったような顔をして彼は溜息をつく。 夜だというのに人通りが多く、きらびやかな建物のおかげでまだ昼のように明るい。 「っしゃ!ヤルか!」 「ちょっと、声のボリューム抑えて。」 「誰も聞いてないって。」 口を押えようとしてくる手を避けながら俺が鼻で笑うと、希響さんは頭を抱えるように前髪をかきあげる。 顔がどことなく、ホントちょっとだけど似ていて、やっぱり呼び出すんじゃなかったって後悔しそうになる。 自分勝手でわがままって分かってるけど。 好きな人に少しでも似てる人をセフレに選ぶのはこういう時に地獄だな。 二つ年上の希響さん。 出会いはたまたまだった。 隠れ家のようなミックスバー、同じような嗜好の人たちの溜まり場。 向こうから話しかけてきたけど、最初は俺をタチだと思っていたらしい。 タチ仲間が欲しかったって。 残念、タチ仲間じゃなくてセフレができちゃったというわけだ。 あの時、簡単に手を出してしまった己が憎い。 性欲を優先させるとこういうことが起きるって学習しろよ。 「さて。じゃあホテルに行きますか。」 俺がパン、と膝を叩いて立ち上がると希響さんが慌てたように止める。 「ね、ほんとにするの?」 「え、なに、ヤる以外なくない?だって俺たち、セフ」 今度こそ口を押えられる。 もがもがと暴れても彼は俺をじっと見たまま手を離してくれない。 なに、その顔。 セフレって言われて何で傷ついた顔すんの。 いや、ホントは薄々気づいていたけど。 視線を合わせてられなくて、力が緩んだ瞬間彼をやんわり押しのけた。 好きな人がいる。 でも他の人とセックスはできる。 ただ、他人からの好意を受け入れられるキャパが今の俺にはない。 マスクの下で顔が歪む。 俺なんか性欲の捌け口にしてくれていいのになんでそれ以上になるの。 彼は俺のどこがいいんだろう。 感情の板挟みになるのは嫌だから、緩く体だけの関係にしましょうねって話もしたんだけどな。 「でも音彦くん、失恋したんでしょ?」 「うん、まぁ。」 「まぁって……ね、今日はそういうの無しでさ、話なら聞くから。」 そりゃ、話して楽になるならそうしたいけど。 頭の中真っ白にして、渡貫のことなんてトんで快楽に溺れた方がよっぽど慰めになる。 だって、話をするってつまりさ、受け止めてホントに終わっちゃうってことじゃん。 それが、寂しくて怖くて嫌なのに。 「……ごめん、俺、今すごい余裕なくてさ。 たぶんこのままだと希響さんに当たっちゃうから。 話とかする気分じゃなくて……逆にそういうの面倒かも。 シないなら、ワンナイトの相手探すから。 呼び出してごめんね。んじゃ。」 「え?!ちょ、」 一息の間に一方的に言葉をぶつける。 希響さんを置いて歩こうとする俺の腕を慌てて彼がつかんだ。 「ちょっと待ってって!」 「ごめん、自分勝手ですけどほんとに。」 「分かったから。」 腕を掴む手に力が込められる。 我儘を言ったって許してくれるからって、優しさにつけこんでごめん。 こうやって傷つけてるの分かっていても、自分を優先してしまうくらい俺は最低なのに。 希響さんは黙りこくって俺の手を引く。 大きい背中を見上げながら後ろを歩きだした。 ほ、とすると涙が出そうになる。 他人の体温でなきゃ、自分を慰められないなんて。 マスクの中で唇を噛んだ。

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