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六 何故なのか足が向く

 ドアの前に立っていた岩崎に、鮎川は困惑した顔で彼を見下ろした。岩崎はと言えば、不機嫌を絵に描いたような顔をして、今にも暴れだしそうなのを堪えている。 「ど、どうしたの?」  岩崎は鮎川の胸を押して、無言で部屋に上がり込む。それから、大声で叫んだ。 「あのっ……! クソアマがぁっ!」  岩崎の剣幕に、鮎川はビクッと肩を揺らした。 「ちょ、ちょっと。近所迷惑……」 「おい、あんた。あの女、なんて言ったと思う!?」 「あ、あの女?」  ぐい、と詰め寄る岩崎に、鮎川は逃げ腰になってジリジリと壁の方に移動する。 「フェラの一つも出来ねえくせに!」 「あー……。はい、その子ね。どうしたの?」  冷静に問われ、岩崎は唇を曲げた。 「あの女、てめえのテクがねえから出来ねえんだろって言ったら、『じゃあ今度は本物咥えてみなさいよ。ばーか』って、言ったんだよ! 負けを認めろ!」 「勝負してたんだっけ?」  鮎川の冷静な意見に、岩崎はぐっと言葉を詰まらせた。 「いや、勝負は、してない……」  岩崎が黙り込むと、鮎川はポンポンと肩をたたき「コーヒー飲む? インスタントだけど」と勧めた。 「まあ、個人差も有るしね? 岩崎は彼女にしてもらいたかったの?」 「冗談。彼氏持ちに手出すほどバカじゃねえし、好みじゃねえ」 「あら、そうなの? てっきり……」 「ただの同僚だ。仲が良くなったら、言うだろ。下ネタとか」 「なるほど。友達なんだ」  鮎川が穏やかに微笑む。その顔に唇を曲げながら、カップを受け取る。 (コイツ、こんな風に、笑うんだな……)  コーヒーを一口啜ると、幾らか気分が和らいだ。マグカップに描かれた間抜けなクマのキャラクターに、気が抜けてしまう。 (なんか、つい鮎川のところに来ちまったな……)  鮎川を訪ねるつもりはなかったのだ。気がついたら、部屋のドアを叩いていた。  顔をみて何となく、鮎川なら聞いてくれるんじゃないかと思っていた自分に気がつく。  これまでの人生、岩崎はイライラするようなことがあれば、大抵は物に八つ当たりしていた。それでも解消しなければ、バイクを乗り回し、誰かに絡まれてはケンカをする。そんな感じだった。もう社会人になるのだし、と自覚があったわけではない。ただ、なんとなく足を向けてしまった。 (なんで、このヘタレに)  頭ではそう思うのに、理解できない。鮎川を見ていると、イライラするのに。  鮎川はそんな岩崎の心情を知らないまま、ソファーに腰掛けてコーヒーを啜っている。こちらは、猫のイラストが描かれていた。 「ダサ」 「突然ディスらないで貰える? 僕はこの前君が放置していったバイブを洗ったんだよ?」 「このマグカップも置き土産か?」 「聞いてないし……。違うよ。貰い物……ちゃんとしたね」 「へえ」 「興味なさそう」 「まあ、興味ねえし」  そう口にしながら、岩崎はこのマグカップがペアであることが気になった。ゆるいイラストのマグカップは、同じデザインの違う柄のようだ。 (男子寮で、ペアマグ)  どういう意図で選ばれたものなのか、測りかねる。ノリで買ったものかも知れない。深い意味などないのかも知れない。なのに、なぜか気になる。自分には関係のないことだと解っているのに、どうしてなのか、胸がザワザワした。

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