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十四 夜風に吹かれて
大欠伸をしながら食堂の列に並んでいると、背後から栗原が声を掛けて来た。
「どうしたの、何か歩き方おかしいよ?」
「あー。ちと運動をな」
そう返事をしながらトレイを手に取る。今日のメニューは豆の煮込み料理らしい。正直なところ岩崎はあまり食欲がわかなかった。
「良いじゃん運動。俺、入社してから少し太ったよ」
「何処がだ。全然、肉なんかついてねえだろ」
「そんなことないよ。やっぱ寮のご飯おいしいし、つい飲んじゃうし」
言いながらトレイに料理を載せていく。確かに、栗原は見た目より食べるようだが、言うほど肉はついていない。
(……鮎川は……)
チラリと席を見回す。鮎川は居ない。時間をずらしているのか、仕事で居ないのか。
(そういや、アイツって部署何処だっけ?)
「なあ、お前鮎川がどこの部署か知ってるか?」
「もう全然、呼び捨てなんだね……。鮎川さんはたしか営業じゃなかった?」
「嘘だろ?」
「俺は君がデザイン部なのも結構、意外だけどね……」
「そうか?」
そういう栗原は、経理部に配属されたようだ。
(鮎川が営業ねえ……)
陰鬱な雰囲気のあの男に、営業なんか出来るのだろうか? と疑問が湧く。同時に、あれほど慕われていたのだから、向いているのだろうとも思った。
(どっちが、本当なんだろ)
あの、愛おしい日々が、嘘だったとは思わない。無理をして作り上げた幻想にはどうしても思えなかった。
では、今の気弱そうな鮎川が、嘘なのかと言えば、それも違う気がする。怒った鮎川は、かつての『総長』と呼ばれた男を思い出させたが、猫かぶりしているわけではないように思えた。
(ああ、ダメだ。ムシャクシャする)
苛立ちに、髪をぐしゃぐしゃとかきあげる。
「岩崎?」
「これ、戻しておいて」
「は!? ちょっと?」
トレイを栗原に押し付け、岩崎は食堂を出ると、寮の外へと飛び出した。
◆ ◆ ◆
辺りはすっかり暗い。寮の駐車場には街灯がなく、民家の僅かな明かりしか頼れない。
駐輪場の一角に、赤いバイクが停めてある。岩崎の愛車だ。車体を一撫でし、感慨にふける。
懐かしい夢を見たのは、思いがけない再会のせいだ。鮎川の正体に気づいて、言いたかったはずの言葉が出てこなかった。
どうして、走るのを辞めたのか。
どうして、突然、いなくなったのか。
どうして、別れも言ってくれなかったのか。
どうして――見捨てたのか。
「……」
見捨てられた。そんな風に、思っていたわけじゃない。岩崎は仲間じゃなかったし、たまに会う中学生の少年だった。名乗りあったことはなく、鮎川の名前も知らなかった。それだけの関係だ。
だが、憧れだった。
いつか、一緒に走れると思っていた。バイクがあれば良いと思っていた。バイトをして、自力で買った、鮎川と同じタイプのスポーツバイク。
「……」
バイクに跨がり、エンジンをかける。ドゥルルンと小気味良いエンジン音が闇に響いた。
「……クソ、脚痛ぇ」
筋肉の痛みをこらえ、岩崎は夜の街へと走り出した。
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