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十七 据え膳

 扉をノックされ、鮎川はドアスコープから覗きもせずに、扉を開いた。相手が誰なのか気にしなかったのは、訪ねる者を警戒していなかったことと、岩崎だけは来ることがないと思い込んでいたからだ。 「はい?」  目の前に揺れるピンク色の髪に、驚いて目を見開いて固まり、反射的にドアを閉めそうになる。 「何、閉め出そうとしてんだよ」 「何で来たの!?」 「来ちゃ悪いかよ」 「いや、だって……」  しどろもどろになる鮎川の胸を押して、岩崎は勝手に部屋に入ってくる。鮎川は関わらないつもりだったのに。向こうの方が来てしまった。 (あんなことがあったのに――って、思ってるのは、僕だけだってこと、か……)  やはり鮎川には、岩崎のことが解らない。沸点の低い自分だったら、レイプした相手を殴り付けるのは当然だし、なんなら、性的な目で見ただけでも蹴り飛ばすと思う。  岩崎はそれだけ、鮎川とは違うタイプと言うことだろう。 「……」  お陰で、鮎川はどういう態度をとって良いか解らない。怒りもしない、泣きもしない相手に、どうすれば良いのか解らなかった。 「コーヒー」 「あ、うん」  当然のように要求され、戸惑いながらも電気ポットのスイッチを入れる。 (もしかしたら、無かったことにするのかな?)  何も無かったことにするのなら、鮎川もそれで良い。岩崎がこれ以上、過去のことに触れないのなら、口封じの必要もないのだ。 「……」  もや。何故か、モヤモヤと胸が曇る。  マグカップを手渡し、ソファに座った岩崎を見下ろす。隣に腰掛けて良いか解らず、壁に寄りかかった。 「……なあ」  コーヒーを一啜りして、岩崎がそう切り出す。コーヒーで湿った唇に視線が行ってしまい、慌てて目を逸らした。 「まだ付き合ってんの? さっちゃんとかマーコとか、ゆっちとか」 「誰?」  記憶にない名前に、首を捻る。岩崎が怪訝な顔をした。 「だから、幸江と麻友子と結実だって」 「……誰だって?」  全く覚えがない。岩崎は信じられないものを見るような目で、鮎川を見た。 「マジで言ってる? 一応、彼女だったって聞いたけど? 茶髪ロングのねーちゃんがさっちゃんで、黒髪ロングのねーちゃんがマーコ。ゆっちがボブだろ」 「……ちょっと待って」  うっすらと記憶にあるような気がしたが、ハッキリとは思い出せない。 「いや、というか、付き合ってないよ。彼女なんか居なかったもの」 「お前、最低かよ」 「……そういわれても」 「ヤるだけヤったのか」 「……」  そう言われると、否定出来なかった。  過去に、関係を持った女性は何人か居た。彼女だったわけではない。セフレのような印象だった。誘われたから寝ただけである。女性と付き合いたいという気持ちがなかったのが原因だ。ちなみに、学生時代はモテたのに、社会人になってからはまったくと言って良いほどモテない。 (というか、そんなことまで知ってるのか)  岩崎が思いの外、自分のことを知っていることに、ゾッとする。どこまで知っているのだろうか。 (こんな子、居たかな……)  鮎川はあまり記憶力が良い方ではない。それに、周囲には人が多すぎた。仲間たちは数十人といたし、鮎川が把握していない人間も居た。別のグループともなれば、もはや解らない。 「まあ良いや。マーコがさ、あんた細いから骨が当たって痣になるって、太股見せてくれたんだけど。マジで痣になんのな。内腿痛くてバイク乗れねえんだけど」 「なんでそんな赤裸々な話してんの」  自分の居ないところで、セックスがどうだったのか話題にされていたのかと思うと、気が気じゃない。  呆れるふりをしながら、顔が熱いのをごまかす。 「普通だろ」 「普通かなあ……」 (……つまり、岩崎の中では、性の話題は隠すことじゃないんだな……)  何となく、同期の女性とフェラチオの話題でケンカしたという彼の、性格のようなものが解ってきた。ようするに、タブーの感覚がないのだ。  恥ずかしいことでも、隠すことでもない。 (いや、僕は嫌だけど……)  自分の知らないどこかで、誰と寝たとか、どうだったとか、話題にされているなんて、知りたくもない。 「……痣、出来てんの?」  ため息を吐きながら、何故か確認してしまった。 「おう。見る?」 「え?」  言いながら、岩崎が思いきりよくズボンを下げる。赤い柄物のパンツが目に入り、ぎょっとする。  岩崎は戸惑う鮎川を気にすることなく、太股を指差した。内腿部分に、うっすらと痕が残っている。 「これ、解る? 骨盤が当たるっぽい」 「ちょっとちょっとちょっと! 君ね!」  真っ赤になって、クッションで岩崎の下半身を隠す。 (無防備過ぎる!) 「な、なんだよ」 「あのな、岩崎。お前――」  鮎川は言いかけて、ハァと息を吐いた。 「少し、警戒しろ。僕がお前に何をしたのか、解ってるだろ」 「警戒って……必要ねえだろ」 「あるっ。僕が変質者だったら、どうするんだ。誰にたいしても、そんな風にしたらダメだ」 「――もしかして、心配、してんの?」  驚いた様子の岩崎に、鮎川は眉を寄せる。 「当たり前だ」 「―――そ、そうなんだ……。そっか」 「?」  くしゃ、と笑う顔に、ドキリと心臓が鳴る。 (あれ?)  何かが、ざわざわと胸をくすぐった。 「心配してんのか」  嬉しそうに笑う岩崎に、何故だか胸が痛む。 (なんで、そんなに嬉しそうに笑うんだ……)  ジリジリと、胸が痛みを訴える。焦燥感のような、苛立ちに似た感情だ。 「嬉しそうにするな。解ってないだろ」 「別に、問題ないだろ」 「あのなあ……」  警戒心の薄い岩崎に、心配になる。ただでさえ、自分を犯した男の部屋にノコノコやってきて、自分を犯したソファに座っている。その上、ズボンまで脱いで。 (誘ってると思われるぞ……)  無意識に、クッションで隠した白い脚に目が行って、首を振る。 「とにかく、人前で脱いだり、性的な話題をするな。酷い目に遭うぞ」  先日、襲われたのに。そう思うが、岩崎はこたえた様子がない。頭痛がする思いで、頭を抱えた鮎川は、ふと、先日の行為で岩崎が嫌がっていたものを思い出した。 「岩崎、お前ブジーは嫌がってただろ。アレ、挿入れられても知らねえぞ」 「あー……」  岩崎は思い出したのか、少しだけ眉を寄せた。だが、それも一瞬で、何故か目元を赤くして鮎川を見上げる。 「まあ、あんたがやるなら、良いよ」 「へ?」 「あんたなら、酷いことにはならねえだろうし?」 「ちょっとちょっとちょっと? 話、聞いてた?」  何を言い出すのか。混乱して、鮎川は岩崎をじっと見る。ふざけている様子ではない。互いに赤い顔で見つめ合う。 「聞いてるよ。やってみたいんじゃねえの?」 「いや、そんなわけ……」  言いかけて、岩崎の顔が近いのに気がついた。いつの間にか自分で、岩崎の方に近づいていたらしい。 「――っ」  ドクン、心臓が鳴る。  岩崎の痴態を思い出し、下腹部に血液が集まる。  もう、知っているのだ。彼が、どんな顔をするのかを。その顔が、魅力的なのを、扇情的なのを、知っている。 (煽られて、どうする――)  そう思っているのに、何故なのか。  抗えなかった。

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