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四十二 トクベツ

「岩崎自身はどう? 自分のこと、解ってる?」  そう言われて、言葉に詰まる。 (俺は……)  自分のこと。鮎川のこと。解らなくて、モヤモヤして、バイクで走った日もあった。解らないから、ただ鮎川のところに行くことを繰り返した。鮎川に触れられると、自分でもよく分からない感情で満たされて、それが、すごく良い気がして。気持ち良くて、心地よくて、もっと、触れて居たくて。 (俺は、最初から、変わらねえ)  最初から、変わったものなどない。それこそ、中学のころからずっと、変わっていない。自分ではそう思っていた。だが、何か変わったのだろうか。  鮎川はずっと憧れだ。あの背中を追いかけたくて、ずっと見て居たくて、頭を撫でる手が、心地良くて。  変わらない。色褪せない。  ずっと、ずっと。鮎川は憧れだ。 (……変なの)  鮎川への感情が変わらないことが、自分でも解らない。今の鮎川は、過去の鮎川とは違うのに。もう、バイクにも乗らないのに。後輩からなめられているのに。『仏の鮎川』なんて、呼ばれているのに。 「……まあ、俺がとやかく言うのは違うからさ。憶測で何か言ったりするのも良くないし。ちゃんと、気になるなら聞いた方が良いよ」  栗原の言葉に、岩崎は唇を尖らせた。 「けど、アイツ教えてくれねえんだもん」 「岩崎が真剣に聞けば、きっと教えてくれるよ」 「……そうかなあ……」  栗原に言われると、そんな気もしてくる。岩崎はセットメニューのアイスコーヒーを啜って、ふんと鼻を鳴らした。 「ただ……、あまりこういうことは、言わない方が良いんじゃないかな……。特に、寮ではさ……」 「なんで? そういや、鮎川も言うなって言ってたんだよ」  今まで友人とそう言う話をして来たと首を傾げると、栗原が大きくため息を吐き出した。 「いや――そういう、誰と何したとか、そういう話はさ、まあ……大学生くらいまでは、ノリでいうこともあるけど……。社会人になったら、言わないんだよ」 「! 社会人になったら、言わないのか……!?」 「まあ、普通はそういう話題がね、あまり相応しくないって感じになって、だんだん言わなくなるというか……。うちわのノリでしょ、ああいうのって。会社ってのは『社会』だから」  もちろん、高校も大学も『社会』だけど。と栗原は笑う。岩崎は自分の感覚がもしかしたらズレているのかもしれないと、ようやく気が付いた。 「何を言って良くて、何を言って悪いのか、よく解らん……」 「あー……」  岩崎の言葉に、栗原は苦笑いした。 (……鮎川も、元『|死者の行列《ワイルドハント》』の総長だって、言わないし……、ヤってるのも、言うなみたいにいうし……)  なんとなく、言わない方が良いのだろうなということは、解っている。だが、友人にも言ってはいけないんだろうか。何が良くて何が悪いのか、解らない。大人の中で育っていない岩崎には、こういう良識が欠けている。注意してくれる人も、教えてくれる人も居なかった。 「友達には言って良いのかと思ってた。相談したいのに」  栗原は目を丸くして、それからニッコリと微笑んだ。 「勿論、友達には言っていいさ。ただ、ビックリしただけ。相談してくれて嬉しいよ」  その言葉に、ホッと息を吐く。 「よ、良かった。でも、言わなかったら、どうやってケンセイすんだ?」 「ケンセイ?」  過去に、鮎川の女だった彼女たちは、特定の『彼女』ではなかったけれど、それぞれ関係があった。彼女たちは鮎川と寝たことを自慢げに話していた。それが、牽制だったことを、岩崎は理解している。互いにマウントを取って、鮎川と寝たことを自慢している彼女たちの話を聞いている時、岩崎はいつも感じていた。 「アンタには出来ないでしょ」そう、言われているみたいだった。 「――ああ、もしかして、牽制?」 「だ」  大きく頷く岩崎に、栗原はプッと吹き出して、大笑いする。 「なんで笑うんだよ」 「い、いや、っ、ごめんっ……。くくっ……。ああ、うん――そうか。岩崎は、鮎川先輩に近づいて欲しくないんだね」 「――はあ?」  何を言ってるんだ? そう、岩崎は首を傾げた。 「当たり前だろ。鮎川は、トクベツなんだ」 「――そっか。安心した」  そう言って笑う栗原が、何を言っているのか、岩崎は半分も解っていなかった。

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