41 / 62

四十一 自分のこと、鮎川のこと

 岩崎は自分の部署に帰ってからも、集中できずにいた。藤宮と話せば何か解ると思ったのに、余計にモヤモヤするばかりだった。 (くそっ……)  イライラして、今すぐバイクに乗ってどこかへ走りに行きたくなる。鮎川のことで頭が一杯なのに、当の本人は答えをくれやしない。  終業のチャイムが鳴ると同時に、立ち上がって部署を出る。帰ったらすぐにバイクに乗るつもりだった。 「あれ、岩崎ー」 「あ?」  思わず不機嫌に振り返った岩崎に、声をかけてきた栗原がビクッと後ずさった。 (あ) 「っ、なんか用かよ?」  悪いことをしたと、眉を寄せる。自分で思っていたよりも、鮎川の過去を他人が知っていたことがショックだったようだ。 「いや、一緒になるの珍しいと思ってさ」 「ああ、そうだな」  そう言われれば、帰り道に出くわしたのは初めてかもしれない。栗原は自然と、隣を歩き始める。 「珍しく定時で上がれてさ。そうだ、寮の飯も良いけど、たまには外で食っていかない? 酒はなしでさ」  岩崎が酒に弱いのを知ってか、栗原がそう提案する。岩崎はバイクに乗ろうと思っていたので、一瞬だけ迷ったが、結局は頷いた。 「良いけど、店なんか知らねえぞ」 「前に鈴木先輩が教えてくれた店があるんだ。ステーキが安く食えるって」 「ふーん。まあ、良いんじゃね」  寮では一緒に飯を食べることは良くあったが、外では初めてだ。少しは気分転換になるだろうと、岩崎は栗原についていくことに決めた。   ◆   ◆   ◆  連れてこられたのは、地元の人間が使うような小さな洋食屋だった。知らなければツタに埋もれた看板を見逃してしまうような、鬱蒼としたツタに覆われた店だ。古いながらも手入れは行き届いているようで、壁に作られた飾り棚いっぱいに飾られた工芸品や雑貨は埃一つ積もっていない。長い年月で油が染み込んだような床がつやつやと鈍く光っていた。 「ステーキセットがお得だって聞いたんだけど、ナポリタンとかも美味しそう」  そう言って栗原がメニューを開く。手書きのメニューには写真がなかったが、何故だか美味しそうに見えた。 「俺はステーキでCセットにするわ」 「うん、じゃあ俺もそうしよう」  注文を終え、お手拭きで手を拭く。熱いおしぼりは昨今のレストランでは珍しい。オレンジ色に照らされたランプの下で、栗原はホッと息を吐いた。 「そういや、岩崎は初任給はなにに使った? 家とかに入れたりした?」 「あ――、俺の家は、そういう感じじゃねえんだ」 「ああ、そうなんだ。うちもさ、ホラ。兄がけっこう稼ぐから、家電とか色々買ってくれてるからさ、特に買うようなものもなくて……ボーナスの時には実家に帰る予定だから、まあ、ケーキでも買おうかとは思ってるんだけど……」  栗原の話に、岩崎は「ふん」と頷いて水を啜る。カランと氷が鳴った。栗原の兄弟がなにかだということは聞いた気がするが、あまり興味が持てず聞き流していたことに気づく。だが、今更聞き直す気にもならず、曖昧に相槌を打った。 「岩崎のご両親は、何やってる人なの?」 「うち? 母親がジュエリーデザイナーで、父親が会社経営」 「おお、なんか凄いの出て来た。へえー、じゃあ、ご両親とも忙しいんだ」 「まあ、そんなとこ」 (そういや、鮎川には、こんなことも聞かれないな……)  鮎川が秘密主義なところがあるのは知っていた。他人の家庭のことを聞かないのは、自分が聞かれたくないからだろう。 (……弟がいるっていってたっけ……)  少しは、岩崎を受け入れてくれているのかもしれない。でも、まだまだなのだろう。期待しているわけじゃないし、絶望したわけでもない。でも、面白いわけでもない。 (結構、仲良くなったと思ってんだけどな……)  ハァと溜め息を吐いた岩崎に、一人喋っていた栗原が話を止めた。 「それで月島が――岩崎、なんかあった?」 「え?」 「元気ないじゃん」 「……」  指摘され、口を結ぶ。栗原がじっと岩崎を見つめた。 「……大した、ことではないんだけど」 「まあまあ、言ってみろよ。気持ちが楽になるかもしれないじゃん」 「――ああ……」  少し迷ったが、モヤモヤしているのは事実だった。栗原なら、聞いてくれる気もする。 「鮎川がさ……」 「ん? 鮎川先輩?」 「セックスしたあと、何か思うことないのかって聞いてきたんだけど、何が言いたいのか――」 「ちょっと待って」  目の前に手を突き出し、栗原が話を止める。 「なんだよ?」 「……なんだって?」 「鮎川とセックスしたあとにな、あいつが――」 「ストップ!」  栗原はそのままこめかみに指を当て、酷く考え込む。ストップと言われた岩崎は、仕方がなくそのまま待った。 「……」  そのうち、注文していたステーキがやって来て、ようやく栗原は止まっていた時間が動き出したかのように顔を上げた。困惑と羞恥を滲ませた顔で、眉間にしわを寄せる。  湯気を立てるステーキを目の前に、岩崎はカトラリーを手に取った。 「冷めるぞ?」 「……あ、うん。そうだな……」  栗原は動揺しながらそう言い、フォークとナイフを手に取った。そのまま、無言で食べ始める。 「ん。結構美味しい」 「んんっ、美味しいじゃん。このソース良いね」  肉をほめながら半分ほど食べたところで、栗原が口を開いた。 「……えーと、鮎川先輩と、付き合ってるの?」 「いや?」 「どういうこと!?」 「どういうことって……そりゃ、その気になったらヤるだけじゃん?」 「いやもう、何かおかしいよ……」  困惑する栗原に、岩崎は水を啜った。 (……でも、まあ。付き合っては、ないんだよな)  岩崎も、今の関係が良く分からないというのはある。改めて「付き合っているのか」と聞かれたら、それは「ノー」としか言えない。だが、セフレではないし、微妙なところだ。 (そもそも、鮎川が――据え膳は、食うって奴だったし……)  過去の女性関係を知っている身としては、今は自分が「そう」なのだろうと思うだけだ。鮎川は自分の身近に居て、ヤれそうな人間とは|して《・・》きた男だ。 (まあ、俺が『据え膳』ってのが、おかしい気もするけど……) 「~~~ひゃ、百歩譲って、そういうこともあるとするけど……」  百歩も何を譲ったのだろうと思ったが、話の腰を折るのもなんなので、黙って聞いておく。 「何それは。男子寮だからってこと? 岩崎はそれで良いの?」 「それで良いのって」 「藤宮先輩とか星野先輩に言われたら、彼らとも寝るの?」 「ばっ……」  バカ言うな。そう言おうとして、口を結ぶ。栗原が、存外真剣な目をしていた。 「……無理」  ぼそっと呟いた言葉に、栗原はフッと笑った。 「なら、それ以上は言わないけどさ」 「……鮎川が、なに考えてるのか解んねえんだ」  教えてくれねえし。そう呟く。 「まあ――難しいよ。他人の考えていることが解るわけじゃないし、口で説明されたって、理解できるかは別問題だし……、言っていることが真実かも、解らないしさ。なんなら、自分自身のことだって、解ってるのかどうか」 「難しいこと言うなよ」  栗原が唇の端をニッと吊り上げる。 「岩崎自身はどう? 自分のこと、解ってる?」 「そりゃあ――」  解らないはずがない。そう応えようとして、言葉が出てこなかった。

ともだちにシェアしよう!