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四十 良く知らないこと

(解らん)  岩崎は鮎川に言われたことが理解できず、悶々としていた。セックスがなんだったのか、考えても解らない。何か不満だったのだろうか。 (そもそも、なんでヤったんだっけ?)  いつの間にか、そういう雰囲気になったから|した《・・》。それだけだったはずだ。岩崎の中では普通のことでも、鮎川の中では違ったのだろうか。 (それとも、フェラがいまいちだった?)  自分では良くできたと思っていたが、そもそも、同僚の女たちは上手く出来ないと言っていた。もしかしたら、マズイことをしたのかも知れない。 「……俺が下手だったってことか?」  呟きながら、ディスプレイを睨み付ける。仕事をしていても、鮎川の言ったことが気になって、身が入らない。集中できずに、メールを打つ文面を何度も書き直していた。 (だいたい、鮎川の考えが、解ったことなんか……)  そう考えて、ズンッと気持ちが沈むのを感じた。  鮎川のことは、よく解らない。総長をしていた時も、再会した今も、解らなかった。総長だった頃、鮎川は無口で多くを語らなかった。憧れが、頭を撫でる手の温もりが、信仰のように鮎川を信じさせた。  再会してからは、はぐらかされてばかりだ。大事なことは何も言ってくれないのに、些細なことを怒ったりする。岩崎が聞きたいことは何も教えてくれないのに、隣にいて甘い触れ合いをしてくれる。 (……わかんねえ)  何度目かのため息を吐き出したところに、係長が声をかけてきた。 「岩崎、悪いんだが総務に行ってパンフレット受け取って来てくれるか? ちょっと重いからさ」 「あ、はい」  指示に、ディスプレイの画面を落として立ち上がる。ついでにコーヒーでも買ってこようと、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。    ◆   ◆   ◆  デザイン部の建屋から渡り廊下を通って総務に向かう。夕日コーポレーションの敷地は広く、就業時間でも様々な人が行き交っていた。岩崎は他部署と交流は今のところないし、他の部門がどんな場所にあるのかも、どんな仕事をしているのかも、曖昧にしか解らない。  何度か足をは込んだことのある、総務近くの廊下を歩いていると、見知った顔に出くわした。手に書類を抱えて、どこかへ移動するところのようだ。 「藤宮先輩」 「あれ、珍しいね。岩崎」 「総務に荷物受け取りに。先輩は、どっか行くところですか」 「うん。ラボの方にね」  足を止めてのんびりと返事をするのを見るに、急いでいるわけではないようだ。岩崎ふと、この男が鮎川と同期だったと思い出す。 「先輩って、鮎川と仲良いっすよね」 「――まあ。そうだね。でも、君もかなり仲が良いと思うけど」 「そりゃ、そうなんですけど……」  口ごもって顔をしかめた岩崎に、藤宮がクスリと笑う。 「どうした、何か不満?」 「なんか、解んねーんです。何考えてるのか。ジェネレーションギャップ? とか?」 「あっはっは。確かに、八つも年下だもんな」  笑う藤宮に、岩崎はうんうんと頷いた。 「まあ――秘密主義なところあるからな、昔から」 「そうっすよね」 「俺は寛とは幼馴染みなんだけど」 「えっ」  思っても見なかった言葉に、驚いて目を見開く。 (幼馴染み? じゃあ) 「実家が近所でねー」 「じゃあ、もしかして、鮎川が昔――……」  昔、暴走族の総長だったのを、知っているのか?  言いかけて、口をつぐむ。 「ああ、ヤンチャしてたこと? 岩崎は知ってるんだね」 「あ、はい……」  ズキリ、心臓が痛む。 (なんだ、俺だけじゃ、なかったのか)  自分だけが、知っているのだと思っていた。自分だけ、特別なんだと思っていた。 「っ……」 「……詳しくは知らないんだけどね。知らないフリをしていたと言うか」 「……なんで?」  知っていたけど、知らないことになっているらしい。藤宮の言葉に、つい疑問を投げ掛ける。 「寛が言わないからだよ」  そう言って笑う藤宮は、少し困った顔をしていた。

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