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四十六 不測の事態

 何となく微妙な別れ方をしたせいで、鮎川は岩崎が、もう自分のもとに来なくなるのではないかと思った。だがそれは杞憂だったらしく、夜になってから岩崎はいつも通りに鮎川の部屋を訪ねた。  何となくホッとしている自分がいて、落ち着かない。  岩崎は定位置となったソファに座って、スマートフォンを弄り始める。 「ほら、コーヒー」 「サンキュー」  岩崎は特に何を言うでもなく、いつも通りスマートフォンを弄っている。コーヒーを啜る唇に目をやって、思わず目を逸らした。 「……」  気まずさを抱きながら、岩崎の横に座ってコーヒーを啜る。手持ち無沙汰でいると、不意に岩崎が身体を近づけてきた。  ドキリ、心臓が跳ねる。 「これ観て。スゲーの」 「……どれ」  鼓動が速くなるのを誤魔化しながら、画面を覗き込む。青年たちがパルクールする動画を見ながら「ヤバい」と笑う横顔を見る。  目が合う。  笑みが、少し真顔になった。  顔を近づける。  キスの距離だ。  鼻先が触れる。  唇が触れる、その瞬間。 「っ!」  ビクッと、身体が強ばって、とっさに岩崎の肩を押し返した。岩崎が眉を寄せ鮎川を凝視した。 「は?」  怒気をはらんだ声に、じわりと汗が滲む。自分でも、どうして拒否したのか、理解できなかった。 「なんだよ、急に」 「いや……その」  しどろもどろになる鮎川を岩崎はジロッと睨み付けて、顔を近づけた。その肩を押さえ、顔を背ける。 「――なんで、避けんの」 「え」  無意識に拒絶したことに、自分でしておいてショックを受ける。岩崎が傷ついた顔をした。 「待っ……」  岩崎は黙っていた。鮎川は深呼吸して、ゆっくりと岩崎の肩を引き寄せる。頬を寄せ、沸き上がる甘い感覚に、顔を近づけて唇を寄せる。  だが、やはりその直前に、身体が硬直するのを感じた。 「――」 「鮎川?」  ドクン。焦りから、心臓が跳ねる。 (嘘だろ)  冷や汗が流れる。そんなはずない。そう思いながらも、身体が言うことを聞かない。 「鮎川?」  もう一度、岩崎が名前を呼んだ。 「――……勃たない、かも」  その言葉に、岩崎が固まった。 「――え?」  ひく、と岩崎が顔をひきつらせた。 「いや、ちょっと、調子悪いだけ……だよ、な?」 「……アンタ、インポになったの?」 「怖いこと言うなよ!」  まだ若いのに不能になったとか、絶望的な言葉すぎて、頭を抱える。岩崎は唇を曲げて、鮎川の方を見た。 「……調子悪いんだろ」 「う、うー……」  調子が悪いだけだ。自分でそう言い聞かせるが、不安だった。寝不足だとも、疲れているとも思っていない。相変わらず、岩崎のことは可愛いと思う。  それなのに、何故か急ブレーキがかかったように、身体が強張ってしまう。 「……なあ、触ってみる?」 「い、いや、良い」  それで本当に勃たなかったら、ショック過ぎる。岩崎は唇を曲げたが、それ以上は言わなかった。鮎川の心情を察したのだろう。 「ふーん、まあ、良いけど」  そう言って、岩崎は何事もないふうにソファの背もたれに寄りかかると、またスマートフォンを弄り始めた。 「……」  鮎川はホッと息を吐いて、また手持ち無沙汰になって、無為に自分もスマートフォンを取り出した。

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