幼いころから何度も願ったものだ。 いつか王子様が自分のもとに現れることを。世界で一番好きな人と、幸せな生活をおくることを。 それが叶う世界ではないと知ってからも、ずっと。 今この瞬間、爆弾解除と誰かの通夜式が同時に行われている。そんな奇妙な空気で社内は満たされていた。けたたましく鳴り響くエラー音、その一方で同期や上司はすぐそばに棒立ちになりお互いに目配せをするだけで何も話そうとはしない。 「これ…救急車ですか、ね？」 ようやく声を出した同期は上司に恐る恐るといった様子で話しかけた。 「どうだろう…そもそもこれを知られてもいいのか…？」 上司は苦虫を噛み潰したような顔でエラー音がするものを見下ろしている。目線の先にはフルフェイスのヘルメットのような装置を身に着けた大柄な男が倒れていた。耳障りなエラー音はその装置から発しているようだ。 「ど、どちらにしても…もう、助からないですよね…？」 大柄な男の体は完全に冷たくなってしまっている。上司は大きくため息をつくと、男の胸ポケットにしまわれていた社員証を取り外した。 子供が走り回るような音と声に意識が引っ張り上げられる。痛む頭を押さえて身を起こすと、全く知らないベッドの上で寝かされていることに気が付いた。 「え？どこだ、ここ…？」 木製のシンプルな枠組みに清潔感のある真っ白なシーツが敷いてあるベッドだ。周囲には白いカーテンがかかっており、さながら病院のようだった。自分が何をしていたのかを思い出そうにも、頭が痛んで思考がまとまらず、状況も把握できずにいた。 ひとまずベッドから足をおろしてカーテンをあける。似たようなベッドがいくつか並んでいるが、すべてのカーテンは開け放たれており誰も寝てはいなかった。一瞬学校の保健室かと思ったがそれにしては広い。やはり病院だろう。少し古くて狭いつくりであるため、総合病院のような大きなところではなさそうだ。 「もしかして…仕事中に倒れて救急搬送されたか…？」 シーツから現れた自分の脚はスーツのスラックスを履いていた。ベッド横には革靴が置いてあり、胸元に目を落とすとネクタイまできっちりとしめている。普段の仕事の恰好を見て、ようやく先程まで仕事でオフィスにいたことを思い出した。 霞む記憶で自分のことを考える。名前、仕事。気を失っていたためぼんやりとはしているが、記憶を失ったわけではない。片喰藤(かたばみふじ)、ゲーム関係の会社に勤める28歳のサラリーマンだ。ここ最近は新しい試みのゲーム開発にかなり入れ込んでいて、ろくに寝てもいなかった。そんなゲームの試作品がようやく完成したところだったため、安堵から倒れてもおかしくはない。 「やらかしたな…部長怒ってるかな？早く戻らないと…」 ベッドの下に並べてあった革靴を履いて立ち上がる。頭の痛みは少しずつましになってきている。それどころか、しっかり寝たおかげで今までより幾分か体も軽いようだ。 軽快な足取りでドアまで行き、看護師さんでも呼ぼうとドアを開けた途端、腹部から胸部にかけて衝撃が走った。鈍い音とともに影が向こう側に倒れる。誰かに思いきりぶつかったようだ。片喰は、会社の飲み会では必ずプロレスラーの物まねをやらされるほどの肉体に自販機ほどの身長だ。相手は思い切り吹き飛んでしまい、ばらばらと何かが散乱する音まで聞こえた。片喰は慌てて手を差し伸べる。 「うわっ、すみません。お怪我は有りませんか？」 「あぁー、大丈夫、こちらこそごめんね～」 片喰の肩にも届かないくらいの小柄な男性だ。吹き飛ばされてしりもちをついている。白衣を身にまとっていることから、この病院の関係者だろうと見当がついた。手を貸し、散乱した薬やペンを手早く拾って手渡す。 ありがとう、とこちらを見上げた顔を見て今度は片喰がしりもちをつくことになった。 「えっ？え？あ？」 「あれ？どうかした？まだ具合悪い？」 小柄な男性は挙動不審な片喰の顔を覗き込む。 光を反射する細い銀の髪は前髪だけが重い紫色に染まっている。心配そうに見つめてくる大きな瞳は前髪に比べて住んだ薄いアメジストの色味をしており、よくみると不思議な模様が浮かんでいた。顔の下半分は緑色のスカーフのようなもので覆っているが、それでもなお伝わる幼さだ。先程は白衣から医者だろうと見当をつけたが、白衣がなければ高校生くらいにも見えなくもない。 「あぁ…こう見えても僕は医者だよ。外傷はなかったけど…具合の悪いところがあるなら言ってほしいな。えっと…片喰さん？」 そう困ったように笑う様子も、よく知っている。 この顔は、片喰が「作った」顔だ。 「る、る、る、ルイ…？」 「あ、そうだよ。僕はルイ。知ってる？とりあえず診察に来たんだ。ベッドに戻ろうか」 促されるまま立ち上がり、先程まで寝ていたベッドに戻る。思考が完全に停止していて、言われるがままの行動しかできなかった。 ルイと名乗った医者は、片喰が会社で開発に携わったゲーム「イマ―ジョン・ワールド」の世界の町医者NPCとそっくりだった。かなり人気の高いNPCで、ゲーム内の装備で「なりきりルイセット」などが販売されているほどである。そもそも、「イマ―ジョン・ワールド」自体が属性や職業の概念を有する王道でありながら自由度の高いオープンワールドのRPGで、会社の看板ともいえる人気のゲームだ。そのため、ルイの知名度は単なるNPCの域を超えていた。二次創作ではルイがランキング入りをするほどである。 現在はその「イマ―ジョン・ワールド」のVRでの開発をすすめており、つい先ほど試作品が完成したところだった。そして、それを試していたところだったのだ。 「そうか…VR…これが、ゲーム…？このレベルで完成したのか…！？」 片喰はぼんやりとしている記憶を必死に辿る。確かに、より高みの没入感を目指し開発した自社の装置を実験として装着した覚えがある。今見ているこれがゲームの世界なら、今後のゲーム界に激震が走る問題作となるだろう。 ただ、初めの選択画面やキャラクターメイキングをしている段階ではいたって普通のVR映像だった。装置を身に着けている重たい感覚も、少し酔うような感覚もあったはずだ。今はそれが全くない。 「大丈夫？混乱してるかな？少し触らせてね」 ルイは片喰のネクタイを手早く解くと、ピンク色の聴診器を耳に当てて心音を確かめている。人の指が胸に触れる感触、衣擦れのわずかな音や聴診器の冷たさ、そこには確かな感触があってVRなはずがなかった。 手を伸ばして、ルイに触れる。生身の人間の温もりだ。会社にはないはずのベッドやカーテンにも触れてみるが、本物だった。 「え…なに…？」 「鏡、くれないか？」 「鏡？いいけど……」 唐突な片喰の申し出に、ルイは一瞬戸惑うもすぐに白衣のポケットの中から小さな手鏡を取り出した。覗き込んで、自分の頬に手を当てる。抓る。髪にも触れる。本物だ。VRの機械を頭全体に装着していて、自分の顔や髪に触れられるはずがないのに。 鏡の中にうつる自分は、厳つい図体に強面の顔、漆黒の髪をオールバックにまとめているという自分のよく知る自分だった。ただ、緑色の切れ長の瞳だけが、会社の同期となるべく似せようと盛り上がりながらキャラクターメイキングで作成した「片喰」であることを語っていた。 「あはは…本当に、こんなことが？流行りの異世界転生？いや、ゲーム転生？」 呆れたように笑う片喰を、ルイが心配そうに見ている。 「片喰さん、病院の外で倒れてたんだ。ここは確かにリスポーン地点だけど、普通は受付に出るから…外だから訳ありかもしれないと思って」 ルイが何を言っているのかはわからない。言葉として理解ができても、実感と把握が追い付いていないのだ。それでも、ふたつ確かなことがある。目の前にルイがいるということ、そして、抑えきれないほどの喜びだ。 片喰としては願ってもないことだ。これがゲームだろうと現実だろうと構わない。実際の自分がどうなっているかもわからないが、それでもよかった。 「俺、違うところから来て、行くあてがないんだ」 「え、そうなの？」 「だからさ……」 片喰はルイの肩をしっかりと掴む。急に見ず知らずの様子がおかしい巨体の男に鷲掴みにされたルイは華奢な体を一瞬びくりと震わせて上目遣いで片喰を見た。 これだ。 こだわって作った甲斐がある。 サンプルで何度も何度も作り直して、細部までこだわった最高作。 「お前の家にしばらくおいてくれないか？」 片喰は、ルイ激推しこじらせオタクであった。