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第2話 推しの悲しい設定

ルイは当初、ストーリーに関わることのないモブだった。リスポーン地点を中央街の小さな病院ということにしたため、医者がいた方がいいのではないかということで追加されたNPCだ。そのため設定も深くは掘られておらず、ビジュアルと町医者という設定だけがあった。まだ若手だった片喰の練習として作らされたモブである。ただ、予想外だったのは片喰がキャラクターデザインにかなり秀でていたということだ。ルイは作品を公開した際にそのビジュアルからかなりの人気を得て、大型アップデートで声優がつき、サイドストーリーとはいえ少しの設定が追加された。 「しかし結構作り込まれてるなぁ」 「人の家に上がり込んだ感想が作り込まれてるなぁってなに!?」 見ず知らずの巨漢に家においてほしいと頼まれたルイは、一度患者とした者を放置することもできず、仕方なく奥の自宅に片喰を通した。片喰が寝ていた部屋のドアの向こうは細い廊下になっており、入口らしき方には待合室のような広いソファルームと受付、診察室と書かれたドアがひとつあるだけだ。案内されたのは入口とは逆側で、裏の勝手口のようなところだった。そこから同じ敷地の向かいに洋風な家が建っており、そちらで普段は生活をしているようだ。ルイオタクな片喰は、病院と病院と家が繋がっている説と自宅は別にある説で甲乙つけがたく思っていたが、唐突なネタバレを食らった気分だった。 「行くあてが見つかるまでだからね!本当にもう…」 「ありがとう、ルイ」 「も~親しげにして!」 重厚な作りのドアを開けると、ふわっと優しさのある甘さと消毒液の混じった匂いがした。ルイに生活感や性格の深掘り設定はない。今回の新作VRで新たに追加しようという案もあったのだが、あまり作り込んでしまうと主役が食われるという理由から結局病院関係のおつかいサイドストーリー以外に追加された設定はなかった。 自分の手から離れ、実際に生活しているルイの家を目の当たりにして片喰は興奮していた。 「とりあえずこれからのことを話したいから座って。あー客人なんか久しぶりだ。どうしようかな…」 片喰をリビングに通したルイはキッチンの方へと何かを取りに行った。一人で住んでいるような話ぶりだったがリビングには大きめのテーブルが置いてあり、おおよそ男の一人暮らしとは思えない綺麗な花が活けてある。片喰の中でルイは忙しさで整理整頓などできず家の中も物が多いイメージだったが、いきなり押しかけてきたにしては不自然なくらい綺麗に片付いていた。ぎっしりと物が多いのは柔らかな雰囲気の部屋には不釣り合いな厳つい本棚くらいだ。通されたリビングで遠慮せずに座って辺りを見回していると、ルイはすぐに戻ってきた。手にはティーカップと缶のジュースが握られている。 「片喰さんはこっちね。さて、今後の話だけど…」 ルイは缶ジュースをこちらに手渡す。なぜ飲み物に差があるのかはわからなかったが、ひとまず受け取って話の続きを促した。 「まずは住むところから探さないとね。そのためにはお金がいるし…片喰さん、属性と職業は?」 「属性と職業?えーっと…」 属性はゲームを始める前に簡単な診断テストを受けると自動的に決まる設定になっており、職業は最初のキャラクターメイキングの際に自分で決めている。異世界転生をした主人公のようにステータス画面が出せないかと試行錯誤してみたが、そんな都合のいいことは起こらないようで出なかった。どうせ試験するだけだからと盛り上がる同期たちに任せて適当に設定してしまったものが反映しているならかなりうろ覚えのため、ステータス画面がないと厳しい。 「確か、木属性で武闘家…だったような…」 「だったようなって…」 曖昧な返事にルイは絶句している。 「職業はともかく、属性はものによっては自分や周りも傷つけることがあるんだよ。そこははっきりしておかないと。木属性なら草木が出せるんじゃない?やってみて」 ルイは今までで一番真剣な面持ちでこちらを見ている。ルイが一体何歳の設定になっているのかはわからないが、高校生くらいに見える幼い風貌の推しに注意されるのはオタクとして気持ちがよかった。自分なんかよりもルイの属性が知りたい思いもあったが、片喰は気持ち悪さを悟られないように一応神妙な面持ちをして草木を出そうとした。 「…ちなみに、どうやって?」 「うそでしょ…別のところから来たって、まさか異世界?」 不甲斐ない片喰にルイが核心をつく。素直にその通りだと頷いたが、ルイは適当な返事をしていてどこまで本気にしているかはわからなかった。 「これは保育園くらいのときに習うけどね。形ある属性はイメージで出せるそうだよ」 「イメージ?うわっ!」 ルイの言う通り、ゲーム制作の折に決めた木属性のエフェクトをイメージする。随分と曖昧なイメージだったが、木製のテーブルからは勢いよく蔦が伸びて斜向かいに座るルイの腕に絡みついた。うっかり下心が反映したのか触手のような蔦である。 「あ、やっぱり木属性なんだ。よかった。木属性なら傷つける心配もないね。職業も見つけやすいし、十分食って行けるよ」 ルイは安心したように笑う。推しの笑顔というあまりに輝かしいご褒美に片喰は目を細めた。そして、そこで初めてルイがティーカップに口をつけていないことに気付く。スカーフのようなもので口を覆ったまま、一度も外していない。口元を見ていないのだ。キャラクターデザイン時に外科医をイメージしてマスクの代わりに採用したスカーフだが、ゲーム内でルイはそれを首に巻いているだけで、口に当てているグラフィックは存在していなかった。出会ったときからの違和感はそれだ。 「ルイ、飲まないのか?」 「え、あぁ…うん…」 ルイは曖昧な返事しかしない。変な沈黙がふたりの間に流れたため、片喰は空気を変えるために明るく尋ねた。 「そういえば、ルイの属性はなんなんだ?」 「……。」 空気は変わるどころか更なる地雷を踏んだようだ。ルイは目を伏せたり泳がせたり、目ばかり忙しなくしている。伏せられた長い睫毛まで透けるような銀色だ。長い前髪に隠れてあまり見えないが、眉毛もきっと銀色なのだろう。髭も銀色なのだろうか。そうなれば全身銀の毛なのか…とんでもないことを考えている片喰にとってルイとの沈黙は苦痛ではない。物音ひとつしない沈黙はしばらく続いたが、片喰の痛いほどの視線にため息ひとつついたルイはゆっくりとスカーフの結び目を解き始めた。 いいのか?無理はするな。言わないといけない言葉はたくさんあったが、それ以上に猫をも殺してしまう強烈な好奇心が勝ってしまった。 スカーフがはらりと落ちる。ルイは口に着けていた側を丁寧に内側に畳み込み、こちらに向き直った。 口元があらわになったことで、彼の顔は幼さにさらに拍車がかかった。薄く小さい唇は女性的で、体の線を考えると本当に高校生の設定でもおかしくはない。高校生でも幼い方だ。想像していた髭はなく、ただ綺麗な肌があらわになっただけだ。少なくとも、造形に顔を隠す理由はなさそうに思えた。もちろん、どんなにひどいあばた顔でも推しの顔というのは可愛いものだが。 「僕は、毒の属性なんだ」 ごくごく小さい声でルイは囁く。毒属性。ゲームが公開されてから、使う人が最も少なく人気のなかった属性だ。最初の診断で毒に当たったらやり直したり、作り直したりするようなことが攻略ブログ等では推奨されているようだ。戦闘能力として低いことや、陰湿な戦法をとらないと勝てないことで嫌われている属性でもある。 それでルイは気にしているのかもしれない。ただ、それは戦闘面での話であり、非戦闘員NPCであるルイには関係がないはずだった。なにより、天使のように穢れなく美しいルイがよりにもよって毒を操るということが背徳で魅惑的に思えた。端的に言えばスケベだと思った。 「毒?そうなんだな、いいじゃねえか」 「よくないんだよ、これが。僕、普通の毒じゃないんだ」 いまいち理解できていないような顔をする片喰に、ルイは何度目になるかもわからないため息をつく。しばらく思案した後、片喰に向かって手を差し出した。 「花を僕にちょうだい」 「え…あぁ…」 突然花などねだられても、上手にコントロールできない。 「これではだめなのか?」 テーブルの上に活けてある花をさすが、それではだめなようだ。ルイは首を振る。 「これはだめなんだ…これじゃなかったらなんでもいいよ」 「…努力はするが……」 片喰は学生の頃からひたすらゲームだけに時間を費やし、陰気だといじめられたような男である。そのうち図体は大きく顔もかなり強面になり、いじめられないようにと身体を鍛えた後も趣味にトレーニングが加わっただけで女っ気もなく、人生においてあまり花とは関わりがなかった。ゲーム作成時の資料集にあったような、とにかく思い出せそうな花という花を頭に思い描く。どうせならルイに良く似合う花など出したい。白く透き通るようなルイには、濃い色の花も似合うだろう… 雑念もありつつしばらく葛藤していると突然ぽん、ぽんと片喰の両手いっぱいに薔薇が咲く。十分すぎると思ったが止めるすべもなく、溢れんばかりの花束となってしまった。プロポーズのときにしか見ないような大量の真っ赤な薔薇の花束を抱えて、片喰は恥ずかしくなった。ルイへの気持ちがもろに出ている。 「ありがとう」 ルイはそんな片喰の様子を気にした素振りもなく、花束を受け取る。 「見ててね」 そして、緩慢な動きで口を開いた。小ぶりな口の中にはかなりしっかりと尖った犬歯が見える。きっと可愛いだろうと設定時につけたそれは幼く甘い顔にはあまりに不釣り合いで、そのアンバランスさが妙に妖艶だ。リビングのお洒落な照明に照らされた口内で舌がぬめりを帯びながらゆったりと動いている。口に釘付けになっている片喰を確認して、ルイは舌の先から一筋涎を垂らした。 「……え?」 ルイの口内を見て昂る気持ちを抑えていた片喰は、一瞬何が起きたか理解できなかった。その様子を見て、ルイは花弁を食いちぎる。ルイの口内に触れた花々は次々と生命を奪われ、見る間もなく手の中いっぱいにあった花束は死滅してしまった。 「ど…ういうこと……なんだ?」 さすがに顔を引き攣らせる片喰にルイは悲しそうに笑う。 「普通の毒属性は、毒を作り出すことができるだけのものなんだ。自分の意思でね。でも僕は違う」 ルイは生きる力を失った花束をテーブルにそっと置いて、再びスカーフを巻き直した。 「僕の意志とは関係なく毒が体内で分泌されている。というより、僕の血液から粘膜まで全てが毒なんだ。しかも、麻薬や麻酔なんかにできるものじゃない……猛毒だ」 再び沈黙が空気を支配する。今度は片喰でさえ居心地の悪い沈黙だ。なにか声をかけなくては、と片喰が口を開く夜も先にルイの方が小さく呟いた。 「これで僕は不自由に暮らしてきた。……医者として、失格だよ」 あまりに悲しげな声に、片喰がかけられる言葉は今までの人生経験の引き出しのどこを探してもなかった。

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