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びしょ濡れのシャツ

*** 「う……ん」 ふと、目が覚めた。すごく暖かくて、僕が世界でいちばん安心する大好きなにおいに包まれていると分かった。 写楽だ。 写楽に抱きしめられて寝ている。 でも、なんだかおかしい。写楽のベッドはもっとふかふかで、シーツや毛布の肌触りなんかほんとに極上で信じられないくらい気持ちいいのに。今寝ているベッドはすごく硬くて、掛かっている布団なんてごわごわしている。 それと意識すればツンと鼻につく、何ともいえない部屋のにおい。僕は幼い頃から、このにおいをよく知っている。 ここは、病院だ。 どうして僕は病院にいるんだろう……? だんだんと頭が覚醒してきて、今日の出来事を思い出した。 昼休み、溝内先輩に呼び出されて……そして、頭を打ったあと忘れていた記憶を思い出したことを。それと、 「あ……」 ”触らないで” 写楽の腕を、思い切り振り払ったことも。 どうしてあんなことをしたんだろう?以前はその腕が欲しくて、欲しくて、たまらなかったくせに。 「……遊?起きたのか?」 ふと目線を上に向けたら、写楽が優しい目で僕を見下ろしていた。 「なんだよ、また泣いてんのか」 「――っ……」 僕の目からはいつの間にか大粒の涙がぼたぼたと溢れていたようで、写楽はそれを指で優しく拭ってくれた。 「……めん、なさ……」 「何がだよ」 「っ…ぅっ…いろいろ、ごめんなさっ……」 「落ち着け、別に怒っちゃいねぇよ」 写楽は、僕をギュッと抱きしめてくれた。僕もその胸にしっかりとしがみつく。よく見たら写楽は制服のままだった。 ずっと、一緒にいてくれたんだ。こんな僕のそばに、ずっと…… 「う~~っ」 そう思ったらますます涙がぶわっと溢れた。僕の涙腺は崩壊してしまったみたいで、涙が止まる気配は全くない。 写楽の制服のシャツはいつかみたいに、僕の涙でびしょ濡れになっていく。 「もう泣くな、点滴されちまうぞ」 「う……ぅうっ……!」 泣き叫びたかったけど病院だから我慢した。けど、嗚咽はどうしても洩れてしまう。 ぽんぽん、と僕の背中を優しくさする手が、ますます僕の涙を増幅させていることに写楽は気付いてないんだろうか。 そして僕は、泣きながら言った。 「……手放せなくて、ごめんなさい……」 「ん?」 これは、 写楽の手を振り払ったことに対する謝罪じゃない。 「ほんきで、ずーっと一緒にいたいって思っちゃって……ごめんなさい……」 本当は独りになるのが恐くて、独りぼっちで死ぬのはもっと恐くて、汚い僕から綺麗な君を突き離せなかったことに対する謝罪だ。 夢の中でもう一人の僕に会って、僕自身の弱さを篤と思い知らされた。僕はずっと独りだと思っていたから、また独りになるなんて簡単なことだと思っていた。でも僕は独りなんかじゃなかったんだ。 大好きな梅月先生に、大好きな弟たちと、大好きな友達。そして…… 大好きな、ご主人様。 みんな、そばにいてくれたんだ。 そんな大事なことに、ずっと気付けないでいたなんて……独りで死ぬのが恐いなんて、今まで思ったことなかったのに。 もう一人の僕に殺されそうになった瞬間、僕はきみのことしか頭に浮かばなかった。  「……馬鹿。そんなこと謝ってんじゃねぇよ」 「うっ……うっ……」 「前にもお前は俺から離れたくないって言ってたし、俺もずっと一緒にいてやるって言ったこと、もう忘れたのかよ。お前は俺のペットで、勝手にどっか行くなんて絶対に許さないって……お前が俺から離れようとしたら、その時は俺が殺してやるって言っただろうが……」 言った。確かに写楽は、いつか僕を殺してやる、と何度も言ってくれた。 僕はその言葉を心底嬉しいと思っていたけど、本気で受け止めてはいなかった。

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