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第2話 悪夢

 土曜日、伸びっぱなしだった髪を散髪し、翌日着て行く一張羅のスーツを用意して、早めにベッドに潜り込んだ。    体調が悪い。  本当は丸一日でも休んでいたいのだけれど、中川との約束は絶対だ。    目を閉じてウトウトすると、悪夢を見て飛び起きた。  ここのところずっと同じ夢に悩まされて、眠れない日々が続いていた。  背後から襲いかかってくる真っ黒な得体の知れない影。身体の自由を奪われ、もがく耳元で荒い息使いがこだまする。    怖い……痛い……苦しい……  悲鳴を上げて飛び起きる、その繰り返しだった。  いつになったら、この苦しみから抜け出せるのだろう。    一週間程前に藤城会病院を訪れた榊原は、外科医の村井に無理やり犯された。  夜遅く人気のない診察室に鍵をかけられ、逃げることは出来なかった。  注文が欲しければ、身体を差し出せというのが村井の要求だった。    診察室のベッドには患者の手足を拘束するための道具があった。  村井は計画的にその診察室へ榊原を呼び込んだのだろう。    拘束される直前、榊原は最後の最後までは抵抗できなかった。  自分より身体の大きい村井には、力では適わないとあきらめてしまったのだ。    身体を差し出せば注文が取れる。  ほんのしばらく我慢すればいい。  身体が役に立つというのなら、使えばいいじゃないか。    たいしたことじゃないだろう、と頭の中で悪魔が囁いていた。  それほどに榊原は仕事の成績で追い詰められていて、ほんの一瞬まともな判断力を失ったのだ。    村井は下半身の着衣を剥ぎ取って狂ったように豹変し、獰猛な目をぎらつかせて容赦なく突き上げた。  悲鳴を上げながらただひたすら早く終わるようにと祈り、気を失わないように耐えた。  強姦まがいのその行為に吐き気を催しながらも、傷ついた身体を起こし、榊原は魂が抜けたように無表情のまま衣服を身に着けた。   「注文、よろしくお願いします」と言い残した榊原に村井は「ああ、一ヶ月だけな」と冷たく言い放った。    たった一ヶ月の外科の注文の儲けなど知れている。  それが俺の身体の値段か、と榊原はどうしようもない敗北感に打ちひしがれながらふらふらと帰宅した。  その時負ったのは心の傷だけではなく、榊原は帰宅してから身体にもかなり酷い傷を負ったことに気づいた。  無理やり挿れられたときの傷だろう。    あれから朝晩消毒はしていたが、傷は一向に良くなるどころが、ますます痛みが酷くなってくる。  一日中営業で歩き回ると、耐え難い痛みに悩まされた。  痔に悩まされている人の気持ちがよくわかる。    本当に治るんだろうか、と不安になるものの、医者に見せる勇気はない。  場所が場所だけに、なぜそんなところに傷を負ったのかと問われれば理由はひとつしかない。  たとえ知らない医者であっても、そんな目で見られることに榊原は耐えられなかった。    何もかも忘れてしまいたいのに、身体の痛みがいつまでも悪夢を蘇らせる。  こんなことを相談できる友人もいない榊原は、悪夢にうなされるたびに仕事を辞めようかと思いつめていた。  翌日、疲れが抜けず痛みを抱えた身体に鞭打って、榊原は約束通りにパーティーに出かけた。  男女二十人ずつの参加者は、それぞれファーストネームだけ書かれた名札を受付で受け取り、胸につける。  苗字を名札にしないのは、プライバシーを守る配慮なのだろう。    病院名と苗字を知ると、診察と称して職場まで押しかけてくる女がいるのだ、と中川は小声で言った。  風邪だとでも言われて病院に来られたら、好きでもない女の身体を見ないといけないから逆セクハラだと言うので、なるほどな、と思う。    最初に一人ずつ簡単な自己紹介をすると、あとはフリータイムだ。  バイキング形式になっている料理を取りに行き、好きな席へ移動して好みの相手と会話をする。   「お前も適当に楽しめよ。お前だってルックスは捨てたもんじゃないぞ」    中川はそう囁くと、目当ての女のところへ行ってしまった。  明るく話し好きな中川は数人の女性に囲まれて談笑している。  榊原は自分から女性に声をかける気にはなれず、話しかけてくる相手にだけ適当な返事をしていたが、やはりその気がないと伝わってしまうのか会話は続かなかった。    ひとりぽつんと取り残された榊原は、手持ち無沙汰になり、いったいどんな医者が参加しているのか観察していた。  たいていは中川と榊原のように、同僚や友人の医者と複数で参加しているようだ。    その中に榊原と同じようにぽつんと壁ぎわでひとりでグラスを傾けている男がいた。  『稜』と書かれた幼稚園児のような花の形の名札を胸につけているのが恐ろしく不似合いな男だ。  目つきは鋭く長身でダークブルーのスーツに身を包んでいる。  整った顔立ちをしているがその風貌は医者というよりも、ドラマに出てくるエリート刑事のような男っぽく野性的なイメージだ。    参加者の中ではやや年配で、三十代に見えるその男は、女に興味はなさそうな顔をして酒を飲んでいたが、榊原の視線に気づいてニヤっと笑いを向けてきた。  お前もサクラか、と言うような意味ありげな笑いを向けられて、榊原はあわてて目をそらした。  女ならうまくごまかせても、本物の医者に話しかけられると困る。嘘の苦手な榊原の芝居など、あっという間にボロが出てしまうだろう。

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